スペインサッカー入門

 

最終更新日: 平成29年(西暦2017年)11月20日

はじめに

本稿「スペイン・サッカー入門講義」は、世界最高峰リーグの1つと言われる「リーガ・エスパニョーラ (La Liga Española)」を中心にスポットを当て、スペインのサッカー及びスペインという国についての解説を試みたものである。

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現在の「スペイン・サッカー」は、クラブチームにおいて多くの外国人選手がプレイしており、またそのレベルが高く、「スペクタクルサッカー」をする国であるといわれている。日本でも、海外の試合の放映が増えたりインターネットの普及などにより、ヨーロッパのサッカー情報がリアルタイムで入ってくるようになり、「スペイン・サッカー」がサッカーファンにとって身近な存在になろうとしているのが現状である。

本稿は、そういったサッカーファンに対して、あるいはこれからスペイン・サッカーにのめりこもうとしている人に対して、スペクタクルなサッカーが行なわれている「スペイン」という国を改めて見直す機会を、アマチュアスペイン法研究者でありサッカーファンであるぼくが提供することで、より楽しく「スペイン・サッカー」を観戦してもらえればと思う次第である。

ここで、本稿の大まかなポイントを説明しておきたいと思う。ポイントは2つある。第1に、スペインをはじめとして欧州、南米、アジア、アフリカなど、世界中にサッカーを楽しんでいる人たちが存在するが、その歴史にスポットをあて、なぜサッカーが世界中で人気があるのかという点について言及したい。第2に、スペインサッカーの歴史及び制度を概観した後に、スペイン・サッカーの魅力について、ダービー戦及び多様な文化を持つ国であるという視点から言及してみたいと思う。

本稿はサッカーの最新情報を提供するものではない。むしろ、サッカーという媒体を通して、スペインの文化についての解説を試みたものであるといってもよいであろう。巻末には演習問題も揃えておいた。読者の知的好奇心によって起こる波動の受け皿になれば幸いである。

世界におけるサッカー

サッカーの歴史 - イングランドで誕生

近代スポーツとしてのサッカーは、1863年12月にイングランドで昔から行なわれていたフットボールという遊びの全国統一ルールが作られたところが起源である。この時に全国統一組織として、「フットボール・アソシエーション (Football Association)」が作られた。

それ以前のフットボールは、例えば中世では、「村vs村」「既婚者vs未婚者」などのようにチームを分けて大勢でボールを奪い合い、相手陣地の目標にボールを持ち込んだ方が「勝ち」という遊びで、年に1回の「お祭り」であった。ルールらしいルールは特に存在せず、ボールを抱え込んで走っても投げてもよかったり、どのような形で相手を止めてもよかった。人数も、現在のように1チーム11名のような定数はなく、何十人何百人と参加した。こういった状況下でフットボールを1日中行なったので、死者が出ることも決して珍しいことではなかったようである。全国統一ルールが作られる前のフットボールは、チーム(コミュニティ)の勝利のために行なったというよりも、むしろコミュニティ構成員同士の肉体的接触を体験するために行っていたと言われている。

現在のようなルールが作られるようになったきっかけは、19世紀に「パブリック・スクール (Public School)」がフットボールを学校教育の中に導入された時であった。スクール内でのみフットボールが行なわれているのであれば、全国で統一したルールを作る必要はない。しかし、産業革命によって交通の便が発達すると、「パブリック・スクール (Public School)」を超えて学校対抗戦を行なったり、また彼らが卒業してからOBが他校出身者とフットボールをしようとした時に、ルールがスクール毎に違っていたのではプレイがしにくい。そこでルールを統一しようと踏み切ったのである。1848年にケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジでその動きがいよいよ始まった。そして、1863年12月に、「パブリック・スクール (Public School)」のOBたちの手によって、「アソシエーション式フットボール」のルールが確立された(現在とは異なる点もあるが)。

「アソシエーション式フットボール」のルールは、「ラグビー」のルールと比較すると、次のような特色があげられる。

  1. ボールを持って走ること
  2. ボールを運んでいる相手にハッキング(すねをけること)
  3. トリッピング(引っ掛けてつまずかせること)
  4. ホールディング(おさえること)を行うこと

「アソシエーション式フットボール」のルールでは、この4つのことについて認めなかった。これに反発した一部のクラブチームが、「フットボール・アソシエーション (Football Association)」を脱退し、1871年にロンドンでラグビー協会を発足させた。

しかし、今まで見てきたフットボールのルールの統一問題は、「パブリック・スクール (Public School)」のOBたち (上流階級)が、自らフットボールを楽しもうと思って作っていたに過ぎなかった。逆から言うと、「フットボール・アソシエーション (Football Association)」は「労働者」のためのものではなかったのである。

この頃、「産業革命 (The Industrial Revolution)」によって、都市やその近郊には多くの「労働者」が住むようになった。この頃の「労働者」の生活スタイルは、家庭から離れて工場で一定の規律の下に労働し、労働時間や出来高に応じて給料を受け取るという生活環境に変化していた。「労働者」には「休日」(土曜日の半日と日曜日)ができ、そこで新しいルール (アソシエーション式とラグビー式)のフットボールをして過ごした。やがて、彼らの間には「勝ちたい」「上手くなりたい」という思いが強くなる。それは「ゲーム」というものの持った性質の宿命である。しかし、フットボールができる時間は限られている。もちろん、仕事を休めば給料は支払われない。そこで、フットボールの練習に参加した時間の分の給料をフットボール・クラブが支払って、支払われない給料をクラブチームが補填したり、他の所からいい選手を連れてきて職業を斡旋したりする人たちが現れるようになった。これがサッカー選手の「プロ化」の走りである。

「フットボール・アソシエーション (Football Association)」は当初はこうした「プロ化」に対しては否定的であったが、次第にこの動きを無視できなくなっていた。それほど「労働者」の間で「フットボール」が盛んになったのである。「フットボール・アソシエーション (Football Association)」がプロ選手を認めたのは西暦1885年のことである。現在では「フットボール・アソシエーション (Football Association)」が主催するFAカップ(第1回は1871年)はプロもアマも「フットボール・アソシエーション (Football Association)」にチーム登録さえしていれば、全てのチームが参加することのできるカップ戦になっている。ワールドカップの次の規模を誇る「カップ戦」だといっても過言ではないだろう。

現在イングランドで行われているプレミア・リーグで活躍するクラブチームの所在地に着目すると、産業革命の時代に一世を風靡した都市が目立つことが分かるであろう。マンチェスターは繊維工業が盛んな街だし、そこにある「マンチェスター・ユナイテッド」というクラブチームは、もともとは鉄道会社のクラブチームであるし、ロンドンにある「アーセナル」というチームは、「arcenal」が「海軍工廠」という意味からも分かるように、海軍工廠で働くスコットランド人によって作られたクラブ・チームである。現在、イングランドだけでなく世界で活躍しているイングランドのチームは、こういった歴史的背景を持って現存しているのである。サッカーは、簡易なルールで、上流階級も労働者も楽しめるスポーツで、「フットボール・アソシエーション (Football Association)」がいやいやながらも「プロ選手」を認めたことで、現在も世界一人気のあるスポーツとして現存しているのである。

世界に広がったサッカー

イングランドにおいてサッカーが隆盛を見せていた頃、イングランドは世界各地に植民地を作ったり、各地で貿易をしていたため、多くのイングランド人が海外に渡っていた。サッカーは、海外に渡ったイングランド人の手によって、世界各地の文化と結びつきながら、どんどんと広まっていき、イングランドのようなクラブ・チームも誕生するようになった。

1904年に、フランスの提唱で「FIFA (Fédération Internationale de Football Association / 国際サッカー協会)」が設立された。加盟国はスペインも含めたヨーロッパの8カ国。イングランドを含めた連合王国4カ国 [イングランド・スコットランド・ウェールズ・アイルランド]は、アマチュア問題や4カ国の協会の地位をめぐり、加盟と脱退を繰り返した。FIFAは「国民国家 (Nation State)の原理」がヨーロッパで一般化されているせいなのか、「一つの国に一つのサッカー協会」という原則を掲げ、アマチュアとプロのサッカー協会が独立していたり、一部の地域については別の協会を作るようなことは禁止された。

FIFAは、今でこそ世界中211の国と地域が参加している (オリンピックの出場国数や国連の加盟国数よりも多い!!)が、昔はヨーロッパ内のサッカー協会であった。ヨーロッパ以外の国々がFIFAに加盟したのは、1909年の南アフリカ、1912年のチリとアルゼンチンまで待たなければならなかった。

ところで、FIFAが主催する最も大きな大会と言えば、言わずもがなワールドカップ (Copa Mundiual)である。初回大会が開かれたのは「ウルグアイ大会」で、それは西暦1930年のことであった。それまではオリンピックでサッカーの国際大会が行われた。ワールドカップがFIFAの手によって開催されるようになったのは、オリンピックでヨーロッパ勢が南米勢に負けて決勝戦で戦えない状態になり (1924年の第2回大会[パリ]と第3回大会[アムステルダム]で優勝したのはいずれもウルグアイであった)、プロ選手も含めた世界選手権の開催を本格的に考えるようになったところからはじまった。第1回大会は、ヨーロッパの国々は比較的重要視しておらず、建国100周年のウルグアイで開催され、地元のウルグアイが優勝を成功を収めた。これを見ていたイタリアが第2回大会を開催し、イタリアの力を見せ付けた (独裁者のムッソリーニの時代で、「国家の威信」を意識しなかったわけがない!!!)。こうしてワールドカップは現在まで続いているのである。

回数 開催年 開催地 優勝 準優勝 3位
第1回 1930年 ウルグアイ ウルグアイ アルゼンチン
第2回 1934年 イタリア イタリア チェコスロバキア ドイツ
第3回 1938年 フランス イタリア ハンガリー ブラジル
第4回 1950年 ブラジル ウルグアイ ブラジル スウェーデン
第5回 1954年 スイス 西ドイツ ハンガリー オーストリア
第6回 1958年 スウェーデン ブラジル スウェーデン フランス
第7回 1962年 チリ ブラジル チェコ・スロバキア チリ
第8回 1966年 イングランド イングランド 西ドイツ ポルトガル
第9回 1970年 メキシコ ブラジル イタリア 西ドイツ
第10回 1974年 西ドイツ 西ドイツ オランダ ポーランド
第11回 1978年 アルゼンチン アルゼンチン オランダ ブラジル
第12回 1982年 スペイン イタリア 西ドイツ ポーランド
第13回 1986年 メキシコ アルゼンチン 西ドイツ フランス
第14回 1990年 イタリア 西ドイツ アルゼンチン イタリア
第15回 1994年 アメリカ ブラジル イタリア スウェーデン
第16回 1998年 フランス フランス ブラジル クロアチア
第17回 2002年 韓国・日本 ブラジル ドイツ トルコ
第18回 2006年 ドイツ イタリア フランス ドイツ
第19回 2010年 南アフリカ スペイン オランダ ドイツ
第20回 2014年 ブラジル ドイツ アルゼンチン オランダ
第21回 2018年 ロシア

 

現在、FIFAは、AFC (Asian Football Confederation: アジアサッカー連盟)、CAF (Confédération africaine de football: アフリカサッカー連盟)、UEFA (Union des Associations Européennes de Football: 欧州サッカー連盟)、OFC (Oceania Football Confederation: オセアニアサッカー連盟)、CONCACAF (Confederation of North, Central American and Caribbean Association Football: 北中米カリブ海サッカー連盟)、CONMEBOL (Confederación Sudamericana de Fútbol: 南米サッカー連盟)の6つの大陸連盟を傘下においており、各国のサッカー協会は大陸連盟を通してFIFAに加盟している。例えば、日本サッカー協会は、AFCを通じてFIFAに加盟している。2017年現在、全部で211の協会がFIFAに加盟している (ちなみに国連加盟国は193カ国)。

国際大会についての制度概要

ワールドカップ

ワールドカップは、各々の地区によって出場国の決定方法は異なるが、各々の地区で予選が行われ、各地区代表がが本戦へと進むというシステムを採用している。

各地区でワールドカップへの出場が決まった後、組み合わせ抽選会が行われる。

まず、FIFAランキングやワールドカップ予選大会の試合結果を踏まえて、FIFAがシード国を決める。開催国を含めた8カ国がポット1(つまりシードチーム)に入る。次に残りの国については、ポット2から4 (この振り分けられ方は、同地区チーム同士の対戦は基本的には行わない。但し、ヨーロッパは出場国が多いので2カ国までOK)に入っているくじを引き、グループ、試合時間及び試合の開催場所(スタジアム)が決定される。

ワールドカップ本戦は、32カ国の参加国を4カ国8グループに分け、総当たり戦で各グループ上位2位までに入ったチームが決勝トーナメントに進出。各組の順位は勝ち点(試合に勝った場合は勝ち点3、引き分けの場合は勝ち点1、負けのチームは勝ち点が入らない)の多い順で決定し、勝ち点が同じ場合、当該チーム間で得失点、得点、全体の得失点、総得点の順で争われ、すべて同じ場合は抽選で決める。

各グループ上位2位が決勝トーナメントに進出。90分で同点の場合、前後半15分の延長戦、PK戦で勝者を決める。延長戦は得点が入っても、最後まで続けられるのである。

UEFA欧州選手権 (EURO)

国境を超えたサッカーの試合は全世界的に行われているが、本稿はスペインのサッカーを取り扱っているため、ヨーロッパの国際大会を中心に簡単にその大会の制度について解説を試みたいと思う。

まずは、ヨーロッパ(UEFA)に所属する国の代表チームがしのぎを削って行われるUEFA EUROである。ワールドカップが開催される年の中間年(つまりオリンピックが開催される年と同じ年)に行われる。

最近開催されたのは「UEFA EURO 2017」で、フランスで開催された。

「UEFA EURO 2017」の予選は開催国・フランスを除くUEFAに加盟する53の国と地域が23の本大会出場権を懸けて争われる。UEFAに加盟する53の国と地域が6か国からなる8組と、5か国からなる1組、計9組に分かれ、ホーム・アンド・アウェーでの総当たりリーグ戦を行う。各グループの首位と2位が予選を通過し、3位の9か国のうち成績が最も上位の国も予選を通過残る3位の8か国が2か国ずつ4組に分かれホーム・アンド・アウェーでのプレーオフを行い、勝利した4か国が予選を通過するという仕組みである。

本戦の組み合わせは、次のように決定される。

  • ホスト国であるフランスはA1のチームとなるため、ポットには振り分けられない。
  • 前回大会優勝のスペインは「ポット1」に入る。
  • そのほかの出場国は、予選終了後に更新されるUEFAランキングポイントに基づいて4つのポットに振り分けられ、各ポットから1チームずつAからFの各組に振り分けられる。

本戦は、予選から勝ち上がってきた23チームに開催国1カ国を加え、24カ国を6つのグループに分けリーグ戦を行い、上位2チームが決勝トーナメントに進出。第2ステージ(決勝ラウンド)は16チームで行うが、各グループの3位の上位4チームがベスト16に進む。これ以降はノックアウト方式で実施され、優勝チームが決定する。

UEFA欧州選手権で優勝を勝ち取ったチームは、「コンフェデレーションズ・カップ」の出場権を得ることができ、世界中にある各国のカップ戦の優勝チーム(アジアで言う「アジアカップ」)とともに、ワールドカップとは違った「世界一」を目指し、戦う。一般的に、「コンフェデレーションズ・カップ」は、ワールドカップが行われる前年に、ワールドカップが開催される国で行われる。

UEFAチャンピオンズリーグ (Liga de Campeones de la UEFA)

国別の「世界一」を決めるのが「ワールドカップ」だとすると、クラブ・チームによる「世界一」を決めるのが「UEFAチャンピオンズ・リーグ (Liga de Campeones de la UEFA)」であると言う人もいる(形式的には後述する「FIFAクラブワールドチャンピオンシップ トヨタカップ」であるが、質的な問題で「UEFAチャンピオンズ・リーグ」の方が上であるという論者が一般的に多い)ほど、「UEFAチャンピオンズ・リーグ」はスペクタクルで、毎年名勝負をヨーロッパ中で繰り広げる。

それでは、簡単に「UEFAチャンピオンズ・リーグ」についての制度概要を説明したいと思う。

形式 参加チーム
予選 予選1回戦 ホームアンドアウェイ
  • UEFAランキング46~55位の国内リーグ優勝チーム
予選2回戦 ホームアンドアウェイ
  • 予選1回戦を勝ち上がったチーム
  • UEFAランキング16位~45位の国内リーグ優勝チーム
予選3回戦 ホームアンドアウェイ <国内リーグ優勝グループ>(20チーム)

  • UEFAランキング13位~15位の国内リーグ優勝チーム
  • 予選2回戦を勝ち上がったチーム
<国内リーグ上位グループ>(10チーム)

  • UEFAランキング7位~15位の国内リーグ2位のチーム
  • 6位の国内リーグ3位のチーム
UEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦で敗戦したチームはUEFAヨーロッパリーグのプレイオフへ
プレイオフ ホームアンドアウェイ <国内リーグ優勝グループ>(10チーム)

  • 国内リーグ優勝グループの予選3回戦を勝ち上がったチーム
<国内リーグ上位グループ>(10チーム)

  • 国内上位グループの予選3回戦を勝ち上がったチーム
  • UEFAランキング4位~5位の国内リーグ3位のチーム
  • UEFAランキング1位~3位の国内リーグ4位のチーム
UEFAチャンピオンズリーグ予選プレイオフ敗退10チームは、UEFAヨーロッパリーグの本戦グループリーグへ。
本戦 グループステージ ホームアンドアウェイ
  • UEFAランキング1位から12位の国内リーグ優勝チーム
  • UEFAランキング1位から6位の国内リーグ2位のチーム
  • UEFAランキング1位から3位の国内リーグ3位のチーム
  • 前年度UEFAヨーロッパリーグ優勝チーム
  • プレイオフの国内リーグ優勝グループから勝ち上がったチーム
  • プレイオフの国内リーグ上位グループから勝ち上がったチーム
  • 上記32チームを8つのグループに分けてホームアンドアウェイの総当たり戦
  • 各グループの上位1位及び2位のチームが決勝トーナメントへ進出
  • 各グループ3位の8チームは、UEFAヨーロッパリーグの本戦の決勝トーナメントへ
決勝トーナメント

(ラウンド16から準決勝まで)

ホームアンドアウェイ <組み合わせ決定方法>

  • 同じサッカー協会に所属するチーム同士の対戦は組まれない。
  • グループリーグにおいて、同一グループの1位と2位の対戦は組まれない。
  • グループリーグにおいて、グループ首位同士の対戦は組まれない。
  • グループリーグにおいて、グループ2位同士の対戦は組まれない。
  • グループ2位チームが第1戦のホームチームとなる。
  • UEFA理事会の決定により、ロシアとウクライナのチームは対戦しない。

<勝敗の決定方法>

  • 2試合の合計得点が多いチームが次のラウンドへ勝ち進む。
  • 合計得点が同じ場合、アウェイゴールが多いチームが勝ち進む。
  • アウェイゴール数も同じ場合、30分の延長戦が行われる。
  • 延長戦でもアウェイゴールが適用されるため、両チームが同じゴール数を決めた場合、必然的にアウェーチームが勝ち進む
  • 延長戦で両チームとも得点が無い場合、PK戦が行われる。

決勝戦

1試合のみ
  • 試合会場はUEFA理事会によって予め決定される。
  • 優勝すると、FIFAクラブワールドカップへの出場権を獲得する。

 

各国の出場枠は、UEFAランキングと呼ばれるランキングにより、出場できるチーム数が決定する。

スペインは、現在UEFAランキングでは1位を獲得しているので、4チームの出場枠がある。1位、2位及び3位のチームが「リーグ戦」からの出場が認められ、4位のチームは「予選のプレイオフ」からの出場が認められている。

グループステージは、32チームが4チームずつ8グループに振り分けられる。その振り分け方法を簡単に見ておこう。まず以下の条件が付される。

  • 同じ協会から複数のチームが参加した場合は同じグループにはならない。
  • ロシアとウクライナのチームが同一グループに入ることも排除される。

前シーズン優勝チーム及びUEFAランキングの上位7か国の優勝チームをポット1に、残りのチームをUEFAクラブ係数に基づいてポット2から4に振り分け、くじを引いて組み合わせが決定する。

グループ・リーグを2位以上で通過すると、決勝トーナメントが実施される。決勝トーナメントの組み合わせは次のような規定にしたがって、決定される。

  • 同じ国のチーム同士が対戦することはない。
  • 同じグループ・ステージで首位と2位になったチームが対戦することはない。
  • グループ・ステージで首位同士のチームが対戦することはない。
  • グループ・ステージで2位同士のチームが対戦することはない。

そして、グループステージで2位のチームが第1戦をホームゲームで行う。

ここで、決勝トーナメント及び予選において採用されている「アウェイゴールルール」について説明しておきたいと思う。

2試合の合計得点が同点であった場合の点数の数え方である。こういった場合、ホームチームが点を取ると1点としてカウントされるが、もしアウェイチームが点を取ると、2倍の得点として点数が換算される。

第1レグホーム 得点 第2レグホーム
インテル
(イタリア)
2 1-0 2 バレンシア
(スペイン)
1-2

 

実際にあった例で分かりやすく説明しよう。上の対戦は、2002-2003シーズンのチャンピオンズ・リーグの準々決勝戦で行なわれた「インテル対バレンシア」の試合である。第1レグは、インテルのホームであるサン・シーロ・スタジアムで行なわれた。インテルは前半の14分にビエリがヘディングでゴールを決め、そのまま守りを固めて、バレンシアの12本のゴールにも耐え、接戦をものにした。この時点では、バレンシアはホームで2点以上を取れば準決勝に駒を進めることができた。しかし、バレンシアのホームであるメスタージャ・スタジアムで向かえた第2レグで、前半の5分にまたもやインテルのビエリがゴールを決めた。この時点で、バレンシアは4点以上取らなければ勝てない(3点以上であれば延長ゴールデンゴール、PKになるが…)。この後、前半7分にバレンシアの司令塔であるアイマールが、後半6分にスペイン代表のボランチのバラハがゴールを決めるが、あとは堅守のインテルに阻まれ、試合終了。形式上は2対2であっても、「アウェイゴールルール」によってインテルは3対2という扱いを受け、準決勝戦に進んだ。

決勝戦はUEFAが予め決定したスタジアムで、1発勝負で行われる。延長でも勝負が付かない時はPK戦となる。

UEFAヨーロッパリーグ  (La Liga Europa de la UEFA)

「UEFAヨーロッパリーグ (La Liga Europa de la UEFA)」もまた、UEFAが主催するヨーロッパで行われるクラブチームの国際大会である。2009-10シーズンより前はUEFAカップと呼ばれ大会の形式も異なっていたが、2009-2010シーズンから新たに始まった国際大会である。

形式 参加チーム
予選 予選1回戦 ホームアンドアウェイ
  • UEFAランキング35位〜53位の国内カップ戦優勝チーム
  • UEFAランキング22位〜51位の国内リーグ3位
  • UEFAランキング28位〜53位の国内リーグ2位
  • UEFAフェアプレーランキングで選ばれた3チーム
予選2回戦 ホームアンドアウェイ
  • 予選1回戦を勝ち上がったチーム
  • UEFAランキング20位〜34位の国内カップ戦優勝チーム
  • UEFAランキング7位〜9位の国内リーグ5位
  • UEFAランキング10位〜15位の国内リーグ4位
  • UEFAランキング16位〜21位の国内リーグ3位
  • UEFAランキング16位〜27位の国内リーグ2位
予選3回戦 ホームアンドアウェイ
  • 予選2回戦を勝ち上がったチーム
  • UEFAランキング17位〜19位の国内カップ戦優勝チーム
  • UEFAランキング1位〜3位の国内リーグ6位
  • UEFAランキング4位〜6位の国内リーグ5位
  • UEFAランキング7位〜9位の国内リーグ4位
  • UEFAランキング10位〜15位の国内リーグ3位
プレイオフ ホームアンドアウェイ
  • 予選3回戦を勝ち上がったチーム
  • UEFAランキング8位〜16位の国内カップ戦優勝チーム
  • UEFAランキング1位〜3位の国内リーグ5位
  • UEFAランキング4位〜6位の国内リーグ4位
  • UEFAランキング7位〜9位の国内リーグ3位
  • UEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦敗退15チーム
本戦 グループステージ
  • プレイオフを勝ち上がった37チーム
  • UEFAランキング1位〜7位の国内カップ戦優勝チーム
  • UEFAチャンピオンズリーグ予選プレーオフ敗退10チーム
  • UEFAヨーロッパリーグ前年度優勝クラブ
決勝トーナメント
  • グループステージ各組上位2チーム
  • UEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグ3位

FIFAクラブワールドチャンピオンシップ (Copa Mundial de Clubes de la FIFA)

2005-2006シーズンから新しく始まった大会である。これは、先に紹介した6つの大陸連盟の各々が主催して繰り広げられているクラブのチャンピオン (欧州で言えば、UEFAチャンピオンズリーグの優勝チーム)同士が戦う、世界一のクラブチームを争う大会である。

世界クラブチーム選手権の構想はFIFAが以前より構想していており、西暦2000年に一度ブラジルで開催されたが、2回目のスペイン大会の時にスポンサーが倒産したことで大会の運営がうまくいかなくなったり、南米やヨーロッパのクラブチームが日程の過密化に拍車をかけるという理由で大会への参加には積極的な態度でなく、その構想はなかなか実現されなかった。

しかし、1980年から2004年まで続いたヨーロッパのクラブチームの王者 (UEFAチャンピオンズリーグの優勝チーム)と南米のクラブチームの王者 (コパ・リベルタドーレス(Copa Libertadores))による対戦が行われてきた「トヨタカップ (TOYOTA EUROPEAN/SOUTH AMERICAN CUP)」を発展的解消し、西暦2005年より「FIFAクラブワールドチャンピオンシップ トヨタカップ ジャパン2005」が開催されることになったのである。第1回の開催は日本である。

大会方式は次のとおりである。南米代表とヨーロッパ代表には、これまでの実績からシード権がある。そのため、アジア代表・アフリカ代表・オセアニア代表・北中米カリブ海代表の間でノックアウト方式でゲームを行い (一発勝負)、勝った2チームが南米代表とヨーロッパ代表と対戦し (一発勝負)、決勝戦で1位を決する。また、それぞれのブロックで負けたチームも対戦し、結果的に1位から6位までが争われる大会である。

スペイン国内のサッカー

スペインサッカーの歴史

スペインにサッカーが伝わったのは19世紀の末頃で、イングランド人によってもたらされた。場所はスペインの南西部、アンダルシア地方にある港町のウェルバという場所である。ウェルバの内陸部には「リオ・ティント」という銅鉱山があり、それをイングランド人が操業していた。

1870年代に、銅鉱山や鉄道会社 (リオ・ティントは内陸にあり、ウェルバに物資を運ぶため鉄道会社が作られていた)の資本家や労働者がレクレーションのためのクラブチームを作った。作られた当時はサッカーよりもテニスやダンスが活動の中心であった。構成員の多くはイングランド人であった。

サッカーがこのレクレーション・クラブで行われるようになったのは西暦1889年のことであると言われている。クラブチーム名は「レクレアティーボ・ウェルバ (Recreativo Huelva)」である。現在もレクレアティーボ・ウェルバというチームは存在する。

この時期にスペイン国内の別の場所でもサッカーが盛んになっていた。それはスペインの北部のバスク地方である。この地方は、海を越えればイングランドに近く、鉄鉱石や石炭も採れ、早くから産業革命も進んでおり、当時の世界一の経済大国だったイングランドの人々も住んでいた。そこに住んでいたイングランド人がサッカーを始め、西暦1899年には「アスレティック・ビルバオ (Athletic Bilbao)」というチームが創設された(正式発足が西暦1901年)。

スペインの強豪といえばレアル・マドリードとFCバルセロナがあるが、これらのチームが創設されたのもこの時期である。

FCバルセロナは、西暦1899年にスイス人のジョアン・ガンペール氏が中心となって、バルセロナに住んでいたスイス人やイングランド人を集められて作られた。バルセロナは当時は繊維の街として知られ、産業革命の流れで多くの外国人が住んでいたという背景がある。

一方のレアル・マドリードは、西暦1902年にカタルーニャ人(バルセロナ周辺の地域)の学生によって作られたチームである。裕福な資本家の息子たちがイングランドに留学をし、サッカーを覚えて帰国してスペインでもプレイし始めたところから始まる。当時のマドリードは、王室や政府の省庁ぐらいしかなく、人口も50万人程度の中規模都市であった。

また、同じ年には初めての国内カップ戦(アルフォンソ13世即位杯)が開催された。

こうしてスペイン国内にクラブチームが発足されていく中で、西暦1902年に「アルフォンソ13世国王杯」が始まり、西暦1928年には「リーガ・エスパニョーラ (La Liga Española)」が始まった。

以下はWikipediaから抜粋したリーガ設立当初の所属クラブチームである。

クラブ 本拠地 創設年
FCバルセロナ バルセロナ 1899年
レアル・マドリード マドリード 1902年
アスレティック・ビルバオ ビルバオ 1898年
レアル・ソシエダ サン・セバスティアン 1909年
アレナス・クルブ・デ・ゲチョ ゲチョ 1909年
レアル・ウニオン イルン 1915年
アトレティコ・マドリード マドリード 1903年
RCDエスパニョール バルセロナ 1900年
CEエウロパ バルセロナ 1907年
ラシン・サンタンデール サンタンデール 1913年

 

この後、特にレアル・マドリードとFCバルセロナという2強がリーガ・エスパニョーラを牽引する。

最後に、各国のサッカー協会、国内プロリーグ及び国内カップ戦のあらましをまとめてみた。

協会創立年 プロリーグ戦 カップ戦
チーム数
スペイン 1913年 リーガ・エスパニョーラ 国王杯
20チーム
イングランド 1863年 プレミアシップ FA杯
20チーム
イタリア 1889年 セリエA コパ・イタリア
18チーム
ドイツ 1900年 ブンデスリーガ ドイツ・カップ
18チーム
日本 1921年 Jリーグ 天皇杯
18チーム

 

スペイン国内のプロリーグの制度概要

緒説

スペインのリーグ戦は下記のような構成になっている。

階級 チーム数 解説
1部
(Primera División)
20 日本のマスコミで「リーガ・エスパニョーラ (Liga Española)」といわれるのはこの階級のこと。
2部 (2部A)
(Segunda División)
22 プロリーグ(LFP)という機関が統括し、全国規模で開催されるのはこのクラスまで。2部B以下は、各地方で試合が行われる。
2部B
(Segunda División B)
グループ1 20 ガリシア自治州、マドリード自治州、カスティーリャ・イ・レオン自治州、カスティーリャ・ラ・マンチャ自治州
グループ2 20 アストゥリアス自治州、カンタブリア自治州、カスティーリャ・イ・レオン自治州、バスク自治州、ナバーラ自治州、ラ・リオハ自治州
グループ3 20 カタルーニャ自治州、バレンシア自治州、バレアレス諸島、アラゴン自治州
グループ4 20 アンダルシア自治州、メリリャ、カナリア自治州、ムルシア自治州、エストレマドゥーラ自治州
3部
(Tercera División)
グループ1 19 ガリシア
グループ2 20 アストゥリアス
グループ3 20 カンタブリア
グループ4 20 バスク
グループ5 20 カタルーニャ
グループ6 20 バレンシア
グループ7 20 マドリード
グループ8 20 カスティーリャ・イ・レオン
グループ9 20 アンダルシア東部
グループ10 20 アンダルシア西部
グループ11 20 バレアレス諸島
グループ12 21 カナリア諸島
グループ13 20 ムルシア
グループ14 20 エストゥレマドゥーラ
グループ15 20 ナバーラ
グループ16 20 ラ・リオハ
グループ17 20 アラゴン
グループ18 20 カスティーリャ・イ・ラ・マンチャ

 

以下、それぞれについて簡単に述べていくことにする。

プリメーラ・ディビシオン (Primera División)

プリメーラ・ディビシオン (Primera División)のあらまし

トップリーグは、「プリメーラ・ディビシオン (Primera División)」と呼ばれるクラスがトップリーグである。全20チームが所属する。試合は、「ホームアンドアウェイ方式」でホームで1試合・アウェイで1試合ずつ総当たり戦で行われる (具体的には今シーズンの日程を参照するとよい)。

「プリメーラ・ディビシオン (Primera División)」を戦い抜いた結果、上位チームは「UEFAチャンピオンズリーグ」や「UEFAヨーロッパリーグ」に出場することができる。下位3チームは自動的に2部リーグに降格する。具体的には表形式でまとめてみた。

順位 説明
1位 UEFAチャンピオンズ・リーグ出場(本戦グループリーグ)

スーペル・コパ・デ・エスパーニャ(スペインスーパーカップ)出場権

2位 UEFAチャンピオンズ・リーグ出場(本戦グループリーグ)
3位 UEFAチャンピオンズ・リーグ出場(本戦グループリーグ)
4位 UEFAチャンピオンズ・リーグ出場(プレイオフ)
5位 UEFAユーロリーグ出場 (本戦グループリーグ)
6位 UEFAユーロリーグ出場 (予選3回戦)
・・・・・・
18位 自動的に2部 (Segunda División)に降格
19位 自動的に2部 (Segunda División)に降格
20位 自動的に2部 (Segunda División)に降格

 

下位3チームが自動的に降格する代わりに、後述する「セグンダ・ディビシオン (Segunda División)」から昇格してくる。

毎年、優勝争いも降格争いも熾烈を極め、それが「リーガ・エスパニョーラ (Liga Española)」の面白さの1つになっている。

順位の決定方法

試合に勝つと勝ち点として3点がもらえ、引き分けでは勝ち点を1点もらえ、負けた場合は勝ち点は獲得できない(要するに勝ち点は0である)。順位は勝ち点の多い順で決定される。しかし、勝ち点が同じである場合は、次のように順位が決定される。

  1. 該当チームどうしの直接対戦(2試合)のみの得失点差で勝るほうを上位とする。
  2. 上記の方法でも差がない場合は、リーグ通算の得失点差で勝るほうを上位とする。
  3. 上記の方法でも差がない場合は、リーグ通算の得点数の多いほうを上位とする。
  4. 上記の方法でも差がない場合は、フェアプレーポイントが少ないほうを上位とする (フェアプレーポイントは少ない方がよい)。
  5. 上記の方法でも差がない場合は、順位決定戦(1試合)を行なう。

この方法で、優勝チームや昇格チームや降格チームが決定される。

シーズンは、毎年7月初から始まり翌年の6月末に終了する。スケジュールは、前シーズンの終了後、「スペインプロフットボールリーグ (Liga Nacional de Fútbol Profesional)」が翌シーズンの日程案を作成、スペインサッカー連盟(RFEF)の承認後、7月に発表される。

セグンダ・ディビシオン (Segunda División)

「セグンダ・ディビシオン (Segunda División)」がある。日本語で言えば「2部リーグ」といったところだろうか。チーム数は22チームある。試合の方式は「プリメーラ・ディビシオン (Primera División)」と同様である。

「セグンダ・ディビシオン (Segunda División)」で上位に入ると、「プリメーラ・ディビシオン (Primera División)」へ昇格する権利が与えられる。2010-2011シーズンからそのレギュレーションが変更されている。

  • 上位2チームが「プリメーラ・ディビシオン (Primera División)」に自動昇格できる。
  • 3~6位チームがホームアンドアウェイのトーナメント方式によるプレーオフを行い、勝ったチームが「プリメーラ・ディビシオン (Primera División)」昇格する。
  • 同組織の下部クラブは上位クラブと同じディビシオンに属せない。

下位4チームは自動的に「セグンダ・ディビシオンB (Segunda División B)」に降格する。

セグンダ・ディビシオンB (Segunda División B)

「セグンダ・ディビシオン (Segunda División)」の下には「セグンダ・ディビシオンB (Segunda División B)」がある。ここからは、「スペインプロフットボール・リーグ (Liga Nacional de Fútbol Profesional)」は統括せず、各地域のサッカー協会がそれぞれの地域を統括している。地域とチーム数を考慮して、4つのグループを構成する。

現在はそれぞれのグループに20チームが所属している。

「セグンダ・ディビシオンB (Segunda División B)」の各グループ上位4チームは、リーグ終了後に新たに4チームずつの昇格リーグを編成し、各グループの1位が「セグンダ・ディビシオン (Segunda División)」に昇格する (つまり4チームが昇格することになる)。

一方、下位チームは、それぞれのグループの17位から20位のチームは自動的に「テルセーラ・ディビシオン (Tercera División)」に降格する。さらに、各グループの16位のチームは4チームを2つのグループに分けてプレイオフ(ホームアンドアウェイ方式)を行い、勝利したチームが「セグンダ・ディビシオンB (Segunda División B)」に残留し、負けた2チームが「テルセーラ・ディビシオン (Tercera División)」に降格する。

テルセーラ・ディビシオン (Tercera División)

「セグンダ・ディビシオンB (Segunda División B)」の下には「テルセーラ・ディビシオン (Tercera División)」と呼ばれるクラスがあるが、こちらは18のグループに分けられ、それぞれのグループに20チーム前後 (グループによってチーム所属数はまちまち)が所属している。各グループの1位チームが「セグンダ・ディビシオンB (Segunda División B)」に昇格する。

各グループの下位3チームにはディビシオネス・レヒオナレス(地域ディビション)への降格の可能性がある。

国内カップ戦 (国王杯 (Copa del Rey))

緒説

スペイン語では”Copa de S.M. el Rey” (通称「Copa del Rey [コパ・デル・レイ]」と呼ばれる)という。日本語では「国王杯」と訳される。

「国王杯」は、もともとは西暦1902年にアルフォンソ13世が即位したことを記念して行われたスペイン最古の国内カップ戦であり、翌年から「国王杯」として開催されている。途中で第2共和制が敷かれた際には「共和国大統領杯(Copa del Presidente de la República)、その後フランコが政治の中心であった時代には「フランコ総統杯 (Copa del Generalísimo)」などと改称され、国内カップ戦はスペイン内戦時代を除き継続された。

参加資格

国王杯への参加資格は次のとおりである。

  1. 昨シーズンにおいて「プリメーラ・ディビシオン (Primera División)」に所属していた全チーム (20チーム)
  2. 昨シーズンにおいて「セグンダ・ディビシオン (Segunda División)」に所属していたリザーブチームを除く全チーム (最大で22チーム)
  3. 昨シーズンにおいて「セグンダ・ディビシオンB (Segunda División B)」に所属していたチームのうち、グループの上位5チーム及び残りの全チームのうち最も勝ち点の多かった2チーム(リザーブチームを除く)。(但し、「セグンダ・ディビシオン (Segunda División)」枠に参加資格のないリザーブチームがいた場合はこのチーム数が増える)(最小で22チーム)
  4. 昨シーズンにおいて、「テルセーラ・ディビシオン (Tercera División)」で各グループで優勝したクラブチーム(優勝がリザーブチームの場合は準優勝クラブチーム)(18チーム)

国王杯の大会進行

国王杯はどのように大会が進行していくのであろうか。

試合  試合形式 備考
1回戦 1発勝負 「セグンダ・ディビシオンB (Segunda División B)」の一部と「テルセーラ・ディビシオン (Tercera División)」が参加する。

*「セグンダ・ディビシオンB (Segunda División B)」の残りのチーム(7チーム)は免除。

 

2回戦 1発勝負 1回戦を勝ち上がったチーム及び新たに「セグンダ・ディビシオン (Segunda División)」のチームが参加。
3回戦 1発勝負 2回戦を勝ち上がったチームが参加。
ラウンド32 ホームアンドアウェイ 3回戦を勝ち上がったチーム及び新たに「プリメーラ・ディビシオン (Primera División)」が参加。
ラウンド16 ホームアンドアウェイ  ラウンド32から勝ち上がった16チーム
準々決勝 ホームアンドアウェイ ラウンド16から勝ち上がった8チーム
準決勝 ホームアンドアウェイ 準々決勝から勝ち上がった4チーム
決勝 1発勝負 準決勝を勝ち上がった2チーム

 

「カップ戦」の魅力は、「ジャイアント・キリング」、つまり一発ノックアウト勝負で弱者が強者を倒せる可能性が大きく広がるという点である。上記のシステムは、2005-2006シーズンから採用されたものであるが、若干強者に有利に働いたルール改正となった。

しかし、ここまで「テルセーラ・ディビシオン (Tercera División)」などの下位のクラブチームが勝ちあがってくれば、リーグ戦ではあり得ない組み合わせでのゲームも見られるというわけである。その具体例として、2009-2010シーズンに当時「セグンダ・ディビシオンB (Segunda División B)」に所属していたADアルコルコン (Agrupación Deportiva Alcorcón)がレアル・マドリードとラウンド32で対戦し、ファーストレグではホームで4-0で勝利し、セカンドレグでは0-1で敗れたものの、トータルでレアル・マドリードに勝利した。これはクラブ史上初の「プリメーラ・ディビシオン (Primera División)」との公式戦であり、この快進撃を「アルコルコナッソ (Alcorconazo)」と呼んで大きな話題となった。このように、「国王杯」を通じて下部リーグチームからFCバルセロナやレアル・マドリードなどを脅かすチームが登場すると大きなニュースになるのである。

スーペルコパ・デ・エスパーニャ (Supercopa de España)

「リーガ・エスパニョーラ」の「チャンピオン」と「国王杯」の「カップ・ウィナーズ」が、次シーズンの始まる前に戦うのが「スーペルコパ・デ・エスパーニャ (Supercopa de España)」である。試合は「ホームアンドアウェイ方式」で行われる。

 

スペインサッカーの魅力

緒説

スペインのリーグ戦が「面白い」と言われるのは、各地に存在していた「王国」が次第にカスティーリャ王国という王国に統一されて「スペイン」という国が誕生したという歴史的背景のせいか、現在においても「地域」の文化が豊かで、それに誇りを持ち続ける住民が、地域のクラブチームを愛しているからだと言われている。西暦1978年に制定された現在のスペイン憲法において、「自治州 (Comunidades Autónomas)」の制定を、それぞれの県 (スペイン国内には50の「県」が存在する)に自主的に認めたのは、こうした背景があるからである。

スペインにおける自治州の地図

13世紀から15世紀にかけてのスペインは、「ナバーラ」「アラゴン」「カスティーリャ」とイスラームの「グラナダ」の4つの勢力が分かれており、それが次第に統一されていったという歴史を持つ。現在のスペインの国家紋章にもそれがあしらわれている。

スペインの国章

スペインの国旗の中央にある紋章の中には意味がある。それぞれの意味について説明を加えたいと思う。

スペイン国章の意味

スペインの国章の意味

現在においても、スペインでは個性的な言語が各地で存在している。具体的には、スペイン北東部で地中海沿岸のカタルーニャ地方 (バルセロナがその中心地)で話されている「カタルーニャ語」、スペイン北西部のガリシア地方 (有名なところといえば、サンティアゴ巡礼のゴールであるサンティアゴ・デ・コンポステーラなど)で話されている「ガリシア語」、そしてゲルニカなどで有名なスペイン北東部地方にあるバスク地方で話されている「バスク語」などである。我々がよく言う「スペイン語」というのは、かつてスペインの内陸部のカスティーリャ地方で話されていた「カスティーリャ語」のことである。「スペイン語」はスペイン国内で話されている1地方言語だったのである。現在3億5000万人以上の人が世界中で「スペイン語」を話しているのは、歴史的背景でカスティーリャ地方にあった国 (カスティーリャ王国)が強かったからである。

以下は、「ダービー戦」について述べていきたいと思う。「ダービー戦」とは、「同じ地方、都市、地区又はホームスタジアムであるチーム同士の試合」のことである。もともとは、「イングランドの中部にある「ダービー」というところで、毎年聖ペテロ教会とオールセインツ教会の二つの教会区に分かれて、文字通り町を二分して行われるフットボール (近代サッカーとは異なるもの)の試合があった。そのため、町、あるいは該当する地域を二分して激しい試合が行われることを「ダービー」と呼ぶようになったのだ」という。簡単に言ってしまえば、1つの場所で対立する2つのチームが戦うことを指すわけであり、相対する2つのチームの対立する度合いが強ければ強いほど、当然ながら「敵対心」が生まれ、より熱い(ときには熱すぎる)勝負が繰り広げられるのである。

エル・クラシコ

スペイン国内での「地域」色の豊かさを反映したサッカーの試合といえば、知る人ぞ知る、「スペイン・ダービー」である。つまり、「レアル・マドリード対FCバルセロナ」である。スペインでは「クラシコ・デルビー」とか「エル・クラシコ」とか単に「クラシコ」とも呼ばれている。日本語に訳せば、「伝統のダービー戦」とでも訳しておけばよいのだろうか。

レアル・マドリードは、スペインの首都マドリードにあるクラブチームである。

マドリード自治州

ホームスタジアムは、サンチャゴ・ベルナベウ・スタジアム (Estadio Santiago Bernabéu)である。

サンチャゴ・ベルナベウ・スタジアム
(撮影: 2000年3月25日)

これに対して、FCバルセロナはカタルーニャ自治州の州都であるバルセロナにあるクラブチームである。

カタルーニャ自治州

ホームスタジアムは、カンプ・ノウ・スタジアムである。

20020212カンプノウスタジアム

カンプ・ノウ・スタジアム
(2002年2月12日現在)

スペイン国内でも「伝統の一戦 (エル・クラシコ)」と言われるとおり、この2チームがスペインのサッカーを盛り上げてきたといっても過言ではない。優勝回数などの実績を見ても、国内リーグ戦だけでなくカップ戦、ヨーロッパにおける国際大会などのタイトルも競うように多く獲っている。

しかし、このチームの「ダービー・マッチ」が盛り上がるのは、単に「リーガ・エスパニョーラ」内で突出した力を持った「強いクラブチーム同士」の戦いだからだ、というだけではない。マドリードとバルセロナという2つの都市が持つ文化的なもの、2つの都市が持つ歴史などのサッカー以外の要素がクラブチームと絡んで、ダービー戦をより盛り上げているのである。

バルセロナのあるカタルーニャ地方は、中世は「アラゴン王国」という国があり、イベリア半島東部から南部沿岸の地中海を征服していた海洋国家であった。一方のマドリード周辺には、トレドを中心に急進的な宗教国家(キリスト教)の「カスティーリャ王国」が存在していた。両国に転機が訪れたのは、西暦1468年に「アラゴン王国」の皇太子のファラン(スペイン語名で「フェルナンド」)と「カスティーリャ王国」の王女イサベルが結婚した時であった。後に、両者はそれぞれの国の国王・女王となるのであるが、「世界史」の教科書の年表にあるような「スペイン統一」は為されたわけではなかった。依然として両国とも「存在」しており、単に国のトップ同士の人的な結びつきがあったにすぎなかったのである (両者の仲はよく、国家レベルにおいても、署名はイサベルが先で国家紋章はアラゴン・カスティーリャ王国が先というような取り決めまでなされていたのだという)。

彼らが国のトップに立った時はまだ「レコンキスタ(国土回復運動)」の真っ最中であった。つまり、イベリア半島には依然としてイスラム勢力が残っており、彼らを半島から追い出すという事業を行っていた最中であった。「アラゴン王国」は、「カスティーリャ王国」の政策を譲歩しながらも受け入れ、念願の「レコンキスタ」を完了させた。その後、彼らの孫のカルロス1世の時代になると名実ともに「スペイン」が統一される。

スペイン・ハプスブルク家の誕生

それと共に、カタルーニャ地方で話されていた「カタルーニャ語」が次第に社会の表面から消えていくことになる(日常生活では残った)。当時は、アイデンティティだの何だのというより生活の安定の方が重要視されていた時代であった。両国が統一された後のカタルーニャ地方の農民の生活は徐々によくなっていたし、当時は文字を読める人が少なかったため、容易にカタルーニャ語からカスティーリャ語(スペイン語)へと切り替わっていったのである。

カタルーニャ地方の没落は、西暦1701年の「スペイン王位継承戦争 (Guerra de sucesión)」によって決定的となった。

スペイン王位継承戦争

この時期になると、スペインの没落ぶりは明らかで、国王はハプスブルク家のカルロス2世であった。カルロス2世は、病弱で、性的に不能で嫡子を設けることができず、王の異母姉はフランスのルイ14世(太陽王)に嫁ぎ、妹は神聖ローマ帝国皇帝のレオポルト1世に嫁いでいたため、カルロス2世の死をここぞとばかりに待っていたのだ。カルロス2世が死亡し、その遺言には、「ルイ14世の孫のフィリップ」を跡継ぎに指名すると書いてあった。しかし、フランスの領土拡大を恐れたオーストリア、イギリス、オランダは直ちに神聖ローマ帝国皇帝のレオポルト1世の子のカール大公を跡継ぎにすることを主張し、スペインの王位継承をめぐる戦争が勃発したのである。カタルーニャ地方は、弱体化していたハプスブルク家には地方特権に対しての擁護姿勢があったことなどもあり、カール大公の支持に回った。

ブルボン家 ハプスブルク家
王位継承主張者 アンジュー公フィリップ (西暦1700年にフェリペ5世として即位) カール大公 (西暦1703年に即位)
国内問題 主体 カスティーリャ王国 アラゴン連合王国
主張 スペインの没落傾向に歯止めをかけるため、国王の絶対的権力と中央集権化政策を求めた。 親戚関係にあったオーストリア・ハプスブルク家から新国王を。あくまで既存の”緩やかな連合”を主張。
国際問題 主体 フランス 対仏連合
(イギリス/オランダ/神聖ローマ帝国/ポルトガル)
主張 スペイン王位をブルボン家に継承させることで、スペイン領土(無論、新大陸も含む)の獲得を目指す。 「新大陸」の大西洋貿易による富をフランスに独占させたくない!!
アラゴン連合王国に対しては、旧アラゴン王国の地域が以前より持っていた地域特権の擁護を約束。

 

結果は、紆余曲折があり、オーストリア、イギリス、オランダが手を引き、カタルーニャは孤立し、ついにブルボン家のスペイン軍に敗れてしまった。

ブルボン・スペインは、厳しい中央集権を敷いた。スペイン国内で最後までブルボン家に対抗してきたカタルーニャには特に厳しい態度で臨んだ。州政府が廃止され、地方組織も廃止され、カタルーニャ独自の法律や特権も廃止された。そして、カスティーリャ語(スペイン語)の使用を義務付けた。官途に就いて出世することや政治家になることができなくなった。しかし、皮肉にも、これらの政策がカタルーニャを蘇らせることにもなった。彼らは政治の分野では何もすることができなくなってしまった一方で、「産業」に集中することができるようになった。これは、この後スペインがさらに没落していく一方で(西暦1898年には「米西戦争」にも敗れた)、スペイン国内で一番早く「産業革命」を成功させた。この時期ぐらいから、カタルーニャの中心地であったバルセロナでは「芸術」や「文化」も輝きを見せる。アントニ・ガウディなどはその典型である。

このような時期の中、バルセロナに「FCバルセロナ」が西暦1899年に生まれたのである。一方のレアルマドリードは、「マドリード・フットボール・クラブ」として西暦1902年に設立された。

カタルーニャとマドリードの激動の歴史はこれでまだ終わらない。

経済的発展の代償として、貧しい工場労働者も誕生した。彼らは貧困のために街中でテロ行動などを起こし、社会的問題になっていた。この社会的問題に対して従来の政党政治は何もできず、独裁者プリモ・デ・リベラ将軍による独裁政治をカタルーニャのブルジョワたちは願った。プリモ・デ・リベラ将軍は、一度はカタルーニャの文化や言語を認めると言ったものの、政権の中枢に就くとその約束を反故にし、弾圧を始めた。しかし、プリモ・デ・リベラの政治は世界恐慌などの影響もあり、長くは続かなかった。その後に登場したのは「共和国政府」である。国内カップ戦の名称が「国王杯」から「共和国大統領杯」と改称されたのもこの時期である。この政府のもとでは、自治政府が認められ、一時的に政治的自立が保障された。

しかし、共和国政府の急進的な社会の変化を嫌ったフランコ将軍がクーデターを起こした。カタルーニャ自治政府は共和国政府を支持した。スペイン国内を二分する激しい戦いが3年にわたって行われたが、共和国政府は敗れ、その後は再びカタルーニャにとっては暗黒の時代を迎えることになる。政治的な側面はもとより、文化的なもの、社会的なものまでもが徹底的に弾圧された。カタルーニャ語の民俗芸能やカタルーニャ語による本の出版はもちろん、氏の変更(例えばジョルディと呼ばれていたものをホルヘと名乗らなければならなくなる)が行われるなど、カタルーニャの文化にとっては大きな痛手となる政策がフランコ政権によって次々と取られていった。

こうした中で、レアル・マドリードは「第1期黄金時代」を迎えていた。現在のレアル・マドリードの本拠地である「サンチャゴ・ベルナベウ・スタジアム」の名称は、この時期の敏腕会長であったサンチャゴ・ベルナベウ氏の名前が由来している。彼は、アルゼンチンのスーパースターであったアルフレッド・ディ・スティファーノの獲得をめぐってFCバルセロナと争ったがこれに勝利し、そのアルフレッド・ディ・スティファーノの活躍で「チャンピオンズ・カップ(後の「チャンピオンズ・リーグ」)」5連覇という偉業を成し遂げていた。

一方のバルサは、固有の言語であった「カタルーニャ語」の使用を禁止され、自治権も剥奪され、中央政府に対して抵抗する術を持っていなかった。しかしサッカーがそれを可能にした。FCバルセロナのホームスタジアムである「カンプ・ノウ」においてカタルーニャ語で大声で喋ったり叫んだりしていたのである。スペイン政府の加護を受けていたと言われていたレアル・マドリードに勝つことがカタルーニャ人の喜びにもなっていた (しかしながら、カタルーニャ出身選手の活躍というよりは外国人選手の活躍の方がどちらかと言えば目立っていた)。

フランコの死後、憲法によって結果としてカタルーニャ語は公用語としても保障され、またスペイン憲法の中で多様なスペインの文化を尊重しなければならないという規定も設けられた。しかし「あの頃」に弾圧された歴史は拭い去ることはできない。したがって、現在も「クラシコ」は、一種の「異文化圏戦争」の如く激しいものになっている。

例えば、FCバルセロナのアイドルであったポルトガル代表のスーパースターのルイス・フィーゴが、高額な移籍金でレアル・マドリードに移籍し、そのおかげで、カンプ・ノウ・スタジアムでは大ブーイングが毎年起こっていた (彼はスペイン語で「金の亡者」を意味する「ペセテーロ (Pesetero)」と呼ばれるようになる)。2002-2003シーズンのカンプ・ノウで行なわれた「クラシコ」では、ウイスキーのビンや豚の頭までがピッチに投げ込まれるという騒ぎまで起こった。

その他のダービー

「リーガ・エスパニョーラ」は、「地域」間の争いが面白いと言われることがよくあるがそれだけではない。やはり、他の国のプロ・リーグと同じように、同じ都市に存在するチーム同士の戦いもまた面白い。それは、イタリアのミラノ・ダービーにおけるACミランとインテル・ミラノと同じように、チームの創設当時からの歴史 (創設者や創設当時のチーム状況やサポーターなど) が異なるためである。

ここでは、スペイン国内でも盛り上がると言われている「マドリード・ダービー」「バルセロナ・ダービー」「バスク・ダービー」「セビーリャ・ダービー」を、チームの創設時の背景から現在の状況に至るまでを簡単に紹介したいと思う。

マドリード・ダービー

近年盛り上がりを見せているのがこのマドリードダービーである。

マドリード自治州

レアル・マドリード
アトレティコ・マドリード
設立
背景
フランコ時代には「政府のチーム」と呼ばれ、スペインの中央集権のシンボルとして言われることも少なくなかった。しかし、チームの初代オーナーはカタルーニャ人である。 マドリード市内で学ぶ3人のバスク人が設立したチームで、アスレティック・ビルバオのファンの社交クラブから始まったクラブチームである。

 

一時期はレアル・マドリードが圧倒的に実力が上であったが、近年はFCバルセロナのほか、両チームがリーガでも優勝争いをしたり、西暦2014年5月25日に行なわれたUEFAチャンピオンズリーグの決勝戦では「マドリード・ダービー」が実現して延長戦にまでもつれ込む熱戦を演じるなど、近年は盛り上がりを見せているダービーマッチである。

バルセロナ・ダービー

あまり知られていないかもしれないが、バルセロナには2つの有名なクラブチームがある。

FCバルセロナ
エスパニョール
設立背景
イングランドに留学経験のある紳士が設立したチームで、「地元の人間だけで構成するチーム」であることを謳ったが、当時は現実にはチーム内に「カタルーニャ人」は多くなく、外国人が多数を占めていた。 バルセロナ大学で工学を専攻する学生によって設立されたチーム。創設の辞で「我々はFCバルセロナの”外国人”に対抗するために設立する」と言ったことや名前から、カタルーニャの右派チームとしての性格を帯びていると言う人もいる。

 

バルセロナといえば、アントニ・ガウディやダリなど、多くの芸術家を輩出した地域でもあるせいか、より芸術的でスペクタクルなサッカーをサポーターからも要求されることが多いようである。両チームとも歴史のあるチームだが、リーガの優勝回数や国王杯の優勝回数などの記録は、圧倒的にバルセロナに分があり、チーム力に開きがあるためか、あまり盛り上がらないという人もいる。ちなみに、エスパニョールは、日本代表の経験もある西澤明訓選手や中村俊輔が所属していたチームである。

FCバルセロナは「カンテラ (石切工の意味で、クラブチームの下部組織を意味する)」組織がしっかりしていたもののトップチームで彼らがあまり活躍していない時期もあった。ところが、近年の「バルセロナの黄金期」においてはスターティングメンバ―の全員がバルセロナのカンテラ出身であったという試合もあったりして、「カンテラ」の存在は世界からも注目されている。

バスク・ダービー

アスレティック・ビルバオ
レアル・ソシエダ
チームの
特徴
「地元出身の選手で構成されたチーム」という概念は、未だ引き継がれている。つまり、「バスク人」以外の選手は採らないということを意味する。厳密に考えていくと、「コジツケ」の感も否めないが、人口約300万人の地域から優れた選手を輩出し、さらにスペイン代表を最も多く輩出している地域なのだからスゴイというしかないだろう…。 「地元出身の選手で構成されたチーム」で、「バスク人を採る」という概念は「アスレティック・ビルバオ」と同様であるが、「外国人」は採る。少し古い例になるが、2002-2003シーズンに再び来た「ロシアの皇帝」モストボイは、「外国人」を採ったといういい例である。しかし、「スペイン人」は採ろうとはしないようである。上の3つのダービーと比較して、相対的にではあるが、チーム仲はまぁまぁよいようである。

 

バスク地方は、「カンテラ」のシステムがしっかりしている。歴代の「スペイン」代表に、バスク地方出身が多いのは興味深い。この地方の出身者は、他の地方の出身者と比べても体が大きい。サッカーのスタイルも、ショートパスでつなぐスペイン的な(?)サッカーよりも、イングランドの直線的なサッカーが行なわれていると言われている。

セビーリャ・ダービー

スペインで最も熱いと言われるダービーがセビーリャ・ダービーである。

セビーリャ
レアル・ベティス
歴史
セビーリャは、1905年に地元の炭鉱の従業員によって創設された。地主階級の人間が長を務めていた。しかし、セビーリャの幹部が身分の低い選手を差別して試合に出場させなかったため、それに反発して創設されたチームがベティスである。今でも仲の悪いチームであると言われることがある。
サポーター 比較的上流階級が多いと言われている。 貧しい労働者が多いと言われている。
カップウィナー
になった年
1939年。競技が再開し、カップ戦の名前が「総統杯」と改められてからの最初の優勝。これを含み3回(1935年,1948年)優勝している。 1977年。折りしもカップ戦の名前が「総統杯」から「国王杯」に戻された時の最初の優勝チーム。カップ戦で優勝したのはこの1度のみ。
1947年 国王杯でも優勝し、リーグ戦でもチャンピオンに。黄金時代を迎えていた。 地獄の「3部リーグ」に落ち、チームはどん底状態。
現在 1995年からの数シーズンを2部リーグで過ごす。2000-2001シーズンに1部に昇格。現在はヨーロッパの国際大会でも活躍するスペインを代表するクラブチームの1つとなっている。 1990年に入り、次第に実力をつけ、2000-2001シーズンに1部に昇格。その年に上位に食い込む活躍を見せる。近年は、「セグンダ・ディビシオン (Segunda División)」を行ったり来たりもしていた。

 

セビーリャは、前述したとおり、スペイン国内で最も「熱い」応援をするサポーターが大勢いると言われている。セビーリャとベティスを応援することはもちろんであるが、実は、「スペイン代表」の応援もこの地域の人々が最も熱心であると言われている。このせいか、セビーリャのホームグラウンドである「エスタディオ・ラモン・サンチェス・ピスフアン(Estadio Ramón Sánchez Pizjuán)」で行われるスペイン代表の勝率は、「サンチャゴ・ベルナベウ」や「エスタディオ・オリンピコ」で行われる試合の勝率よりも格段に高いといわれている。

サッカースペイン代表チーム (Selección nacional de fútbol de España)

クラブチームの戦いは大きな盛り上がりを見せる一方で、いわゆるサッカースペイン代表チーム (Selección nacional de fútbol de España)はワールドカップの常連ではあるものの目立った活躍を見せてこなかった。「永遠の優勝候補」などと揶揄された時期もあった。一説ではスペインは先に見たようにユニークな地域性があり、あまりスペイン代表戦には関心が高くなかったということが言われており、これがサッカースペイン代表が大舞台で勝ちきれない原因であると述べている人が多くいた (それが真実かどうかは別として…)。

スペイン代表の黄金期を迎えたのは2000年代の後半からである。FCバルセロナの選手が中心となって、そこにレアルマドリードの選手や海外で活躍している選手とともに化学反応を起こし、EURO2008で欧州王者となった。

そしてついに、西暦2010年のワールドカップ南アフリカ大会では、決勝戦でオランダを下してついに念願の世界一に輝いた。

ついでEURO2012でサッカースペイン代表は連覇を果たしている。

リンク集

筆者も本や雑誌でサッカー情報を集めることはあるが、インターネットは速報性という面においてはやはり本や雑誌にはかなわない。筆者がよく活用しているサッカーサイトを紹介したい。

ホームページ名 使用言語 内 容
FIFA 西語・英語 国際サッカー協会のホームページ。ホームページでは、国別のサッカーランキングや国際Aマッチの最新情報などを発表している。
RFEF 西語 王立スペインサッカー協会 (Real Federación Española de Fútbol) の公式ホームページ。国王杯の情報やスペイン代表のコンテンツが充実している。
LFP 西語 スペイン・プロ・フットボール・リーグ (Liga Nacional de Fútbol Profesional)の公式ホームページ。試合の最新情報が手に入る。
MARCA 西語 スペイン最大手のスポーツ紙のウェブ・サイト。レアル・マドリード贔屓としても知られている。移籍情報などはここから仕入れている。
AS 西語 スペイン大手のスポーツ紙のウェブ・サイト。移籍情報などはここから仕入れている。
El Mundo Deportivo 西語 バルセロナで発行されているスポーツ新聞のウェブサイト。
UEFA 西語、英語他 ヨーロッパサッカー協会の公式ホームページ。チャンピオンズ・リーグやUEFAカップのレポートなどは見ていて面白い。日本語にも対応している。左のリンクは日本語ページへリンクがされている。
soccer-spain.com 英語 スペインのサッカーの最新の情報が事細かに記載されている。情報は、スペイン代表はもちろん、2部Aや2部Bにまで及んでいる。簡易な英語で書かれているので、筆者でも十分に読める。
ふっとぼーる・えすぱにょーる 日本語 スペインのサッカーの情報を日本語で分かりやすく説明。しかし最新情報 (試合結果速報や順位表など)はLFPやYAHOOなどにリンクしてあるのみなので、それは使いにくい。
WSDNET.COM 日本語 日本スポーツ企画出版社が出しているサッカー専門誌「WORLD SOCCER DIGEST」のウェブサイト。最新のサッカー情報が日本語で分かりやすく載っている。
SPORTSNAVI.COM 日本語 スペインサッカーのニュースをコンパクトに伝えるサイト。ここのサイトのコラムも必見である。
SponichiAnnex 日本語 サッカーの情報を詳しく分かりやすく伝えるスポーツ紙「スポニチ」のサイト。

 

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日本語だけではなく、英語やスペイン語で書かれたサイトまで紹介してみた。しかし、特定のチームを応援する、いわゆる「ファンサイト」の紹介は敢えてしなかった。ここからは読者の皆さんにご自身の手で探してもらいたい。ウェブサイトを探すのも、インターネットの面白みだからである。スペインのサッカーが初めてだという人は、上のサイトから情報を得るといいと思う。