スペイン・サッカー入門講義



[作成] 2003年 8月15日
[最終更新日] 2005年12月24日

Produced & Written by Kashiroman


目次


  1. はじめに
  2. 世界の中のサッカー
    1. サッカーの歴史
    2. 世界中に広がったサッカー
    3. 国際大会についての制度概要
      1. ワールドカップ
      2. UEFA欧州選手権 (EURO)及びコンフェデレーションズ・カップ
      3. UEFAチャンピオンズ・リーグ
      4. UEFAカップ
      5. インター・トト・カップ
      6. UEFAスーパーカップ
      7. FIFAクラブワールドチャンピオンシップ
  3. スペイン国内のサッカー
    1. スペインのサッカーの歴史
    2. スペイン国内のプロ・リーグの制度概要
      1. 緒説
      2. リーグ戦
      3. 国王杯
      4. スーペル・コパ杯
    3. スペイン・サッカーの魅力
      1. 緒説
      2. スペイン・ダービー (エル・クラシコ)
      3. 各地のダービー
  4. リンク集
  5. 演習問題
  6. スタッフ・クレジット

1. はじめに


本稿「スペイン・サッカー入門講義」は、世界最高峰リーグの1つと言われる「リーガ・エスパニョーラ (La Liga Española)」を中心にスポットを当て、スペインのサッカー及びスペインという国についての解説を試みたものである。

現在の「スペイン・サッカー」は、クラブチームにおいて多くの外国人選手がプレイしており、またそのレベルが高く、「スペクタクルサッカー」をする国であるといわれている。日本でも、海外の試合の放映が増えたりインターネットの普及などにより、ヨーロッパのサッカー情報がリアルタイムで入ってくるようになり、「スペイン・サッカー」がサッカーファンにとって身近な存在になろうとしているのが現状である。

本稿は、そういったサッカーファンに対して、あるいはこれからスペイン・サッカーにのめりこもうとしている人に対して、スペクタクルなサッカーが行なわれている「スペイン」という国を改めて見直す機会を、アマチュアスペイン法研究者でありサッカーファンであるぼくが提供することで、より楽しく「スペイン・サッカー」を観戦してもらえればと思う次第である。

ここで、本稿の大まかなポイントを説明しておきたいと思う。ポイントは2つある。第1に、スペインをはじめとして欧州、南米、アジア、アフリカなど、世界中にサッカーを楽しんでいる人たちが存在するが、その歴史にスポットをあて、なぜサッカーが世界中で人気があるのかという点について言及したい。第2に、スペインサッカーの歴史及び制度を概観した後に、スペイン・サッカーの魅力について、ダービー戦及び多様な文化を持つ国であるという視点から言及してみたいと思う。

本稿はサッカーの最新情報を提供するものではない。むしろ、サッカーという媒体を通して、スペインの文化についての解説を試みたものであるといってもよいであろう。巻末には演習問題も揃えておいた。読者の知的好奇心によって起こる波動の受け皿になれば幸いである。

それでは早速講義に入りましょう。¡Vamos!


2. 世界の中のサッカー


2-1 サッカーの歴史

近代スポーツとしてのサッカーは、1863年12月にイングランドで昔から行なわれていたフットボールという遊びの全国統一ルールが作られたところが起源である。この時に全国統一組織として、「フットボール・アソシエーション (Football Association)」が作られた。

それ以前のフットボールは、例えば中世では、「村vs村」「既婚者vs未婚者」などのようにチームを分けて大勢でボールを奪い合い、相手陣地の目標にボールを持ち込んだ方が「勝ち」という遊びで、年に1回の「お祭り」であった。ルールらしいルールは特に存在せず、ボールを抱え込んで走っても投げてもよかったり、どのような形で相手を止めてもよかった。人数も、現在のように1チーム11名のような定数はなく、何十人何百人と参加した。こういった状況下でフットボールを1日中行なったので、死者が出ることも決して珍しいことではなかったようである。全国統一ルールが作られる前のフットボールは、チーム(コミュニティ)の勝利のために行なったというよりも、むしろコミュニティ構成員同士の肉体的接触を体験するために行なっていたと言われている。

現在のようなルールが作られるようになったきっかけは、19世紀に「パブリック・スクール (Public School)」がフットボールを学校教育の中に導入された時であった。スクール内でのみフットボールが行なわれているのであれば、全国で統一したルールを作る必要はない。しかし、産業革命によって交通の便が発達すると、「パブリック・スクール (Public School)」を超えて学校対抗戦を行なったり、また彼らが卒業してからOBが他校出身者とフットボールをしようとした時に、ルールがスクール毎に違っていたのではプレイがしにくい。そこでルールを統一しようと踏み切ったのである。1848年にケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジでその動きがいよいよ始まった。そして、1863年12月に、「パブリック・スクール (Public School)」のOBたちの手によって、「アソシエーション式フットボール」のルールが確立された(現在とは異なる点もあるが)。

「アソシエーション式フットボール」のルールは、「ラグビー」のルールと比較すると、次のようなことがあげられる。

  1. ボールを持って走ること
  2. ボールを運んでいる相手にハッキング(すねをけること)
  3. トリッピング(引っ掛けてつまずかせること)
  4. ホールディング(おさえること)を行うこと

「アソシエーション式フットボール」のルールでは、この4つのことについて認めなかった。これに反発した一部のクラブチームが、「フットボール・アソシエーション (Football Association)」を脱退し、1871年にロンドンでラグビー協会を発足させた。

しかし、今まで見てきたフットボールのルールの統一問題は、「パブリック・スクール (Public School)」のOBたち(上流階級)が、自らフットボールを楽しもうと思って作っていたに過ぎなかった。逆から言うと、「フットボール・アソシエーション (Football Association)」は、「労働者」のためのものではなかったのである。

この頃、「産業革命 (The Industrial Revolution)」によって、都市やその近郊には多くの「労働者」が住むようになった。この頃の「労働者」の生活スタイルは、家庭から離れて工場で一定の規律の下に労働し、労働時間や出来高に応じて給料を受け取るという生活環境に変化していた。「労働者」には「休日」(土曜日の半日と日曜日)ができ、そこで新しいルール(アソシエーション式とラグビー式)のフットボールをして過ごした。やがて、彼らの間には「勝ちたい」「上手くなりたい」という思いが強くなる。それは「ゲーム」というものの持った性質の宿命である。しかし、フットボールができる時間は限られている。もちろん、仕事を休めば給料は支払われない。そこで、フットボールの練習に参加した時間の分の給料をフットボール・クラブが支払って、支払われない給料をクラブチームが補填したり、他の所からいい選手を連れてきて職業を斡旋したりする人たちが現れるようになった。サッカー選手の「プロ化」の走りである。

「フットボール・アソシエーション (Football Association)」は、当初はこうした「プロ化」に対しては否定的であったが、次第にこの動きを無視できなくなっていた。それほど、「労働者」の間で「フットボール」は盛んだったのである。「フットボール・アソシエーション (Football Association)」がプロ選手を認めたのは1885年のことである。現在では、「フットボール・アソシエーション (Football Association)」が主催するFAカップ(第1回は1871年)はプロもアマも「フットボール・アソシエーション (Football Association)」にチーム登録さえしていれば、全てのチームが参加することのできるカップ戦になっている。ワールドカップの次の規模を誇る「カップ戦」だといっても過言ではないだろう。

都市名 チーム名
ロンドン チェルシー
アーセナル
トッテナム・ホットスパー
フラム
チャールトン・アスレティック
ウエストハム・ユナイテッド
マンチェスター マンチェスター・ユナイテッド
マンチェスター・シティ
リバプール エバートン
リバプールFC
バーミンガム アストン・ビラ
バーミンガム・シティ
ウエスト・ブロミッチ ウエスト・ブロミッチ・アルビオン
ボルトン ボルトン・ワンダラーズ
ミドルスブラ ミドルスブラ
ニューカッスル ニューカッスル・ユナイテッド
ブラックバーン ブラックバーン・ローバーズ
ポーツマス ポーツマス
サウサンプトン サウサンプトン

上の表は、現在プレミア・リーグで活躍するクラブ・チームとその所在地を一覧にしたものである。都市名を見ると、産業革命の時代に一世を風靡した都市が目立つことが分かるであろう。マンチェスターは繊維工業が盛んな街だし、そこにある「マンチェスター・ユナイテッド」というクラブチームは、もともとは鉄道会社のクラブチームであるし、ロンドンにある「アーセナル」というチームは、「arcenal」が「海軍工廠」という意味からも分かるように、海軍工廠で働くスコットランド人によって作られたクラブ・チームである。現在、イングランドだけでなく世界で活躍しているイングランドのチームは、こういった歴史的背景を持って現存しているのである。サッカーは、簡易なルールで、上流階級も労働者も楽しめるスポーツで、「フットボール・アソシエーション (Football Association)」がいやいやながらも「プロ選手」を認めたことで、現在も世界一人気のあるスポーツとして現存しているのである。

2-2 世界中に広がったサッカー

イングランドにおいてサッカーが隆盛を見せていた頃、イングランドは世界各地に植民地を作ったり、各地で貿易をしていたため、多くのイングランド人が海外に渡っていた。サッカーは、海外に渡ったイングランド人の手によって、世界各地の文化と結びつきながら、どんどんと広まっていき、イングランドのようなクラブ・チームも誕生するようになった。

1904年に、フランスの提唱で「FIFA (Fédération Internationale de Football Association / 国際サッカー協会)」が設立された。加盟国はスペインも含めたヨーロッパの8カ国。イングランドを含めた連合王国4カ国 [イングランド・スコットランド・ウェールズ・アイルランド]は、アマチュア問題や4カ国の協会の地位をめぐり、加盟と脱退を繰り返した。FIFAは、「国民国家 (Nation State)の原理」がヨーロッパで一般化されているせいなのか、「一つの国に一つのサッカー協会」という原則を掲げ、アマチュアとプロのサッカー協会が独立していたり、一部の地域については別の協会を作るようなことは禁止された。

FIFAは、今でこそ世界中204の国と地域が参加している(オリンピックの出場国数や国連の加盟国数よりも多い)が、昔はヨーロッパ内のサッカー協会であった。ヨーロッパ以外の国々がFIFAに加盟したのは、1909年の南アフリカ、1912年のチリとアルゼンチンまで待たなければならなかった。

FIFAといえば、2002年に日本と韓国でも行なわれたワールドカップ (Copa Mundiual)を開催した機関であるが、第1回目にワールドカップが行なわれたのは1930年に行なわれた「ウルグアイ大会」である。それまではオリンピックのサッカーが国際大会であった。ワールドカップがFIFAの手によって開催されるようになったのは、オリンピックでヨーロッパ勢が南米勢に負けて決勝戦で戦えない状態になり(1924年の第2回大会[パリ]と第3回大会[アムステルダム]で優勝したのはウルグアイであった)、プロ選手も含めた世界選手権の開催を本格的に考えるようになったところからはじまった。第1回大会は、ヨーロッパの国々は比較的重要視しておらず、建国100周年のウルグアイで開催され、成功を収めた。これを見ていたイタリアが第2回大会を開催し、イタリアの力を見せ付けた (独裁者のムッソリーニの時代で、「国家の威信」を意識しなかったわけがない!!!)。こうしてワールドカップは現在まで続いているのである。

回数 開催年 開催地 優勝 準優勝 3位
第1回 1930年 ウルグアイ ウルグアイ アルゼンチン -
第2回 1934年 イタリア イタリア チェコスロバキア ドイツ
第3回 1938年 フランス イタリア ハンガリー ブラジル
第4回 1950年 ブラジル ウルグアイ ブラジル スウェーデン
第5回 1954年 スイス 西ドイツ ハンガリー オーストリア
第6回 1958年 スウェーデン ブラジル スウェーデン フランス
第7回 1962年 チリ ブラジル チェコ・スロバキア チリ
第8回 1966年 イングランド イングランド 西ドイツ ポルトガル
第9回 1970年 メキシコ ブラジル イタリア 西ドイツ
第10回 1974年 西ドイツ 西ドイツ オランダ ポーランド
第11回 1978年 アルゼンチン アルゼンチン オランダ ブラジル
第12回 1982年 スペイン イタリア 西ドイツ ポーランド
第13回 1986年 メキシコ アルゼンチン 西ドイツ フランス
第14回 1990年 イタリア 西ドイツ アルゼンチン イタリア
第15回 1994年 アメリカ ブラジル イタリア スウェーデン
第16回 1998年 フランス フランス ブラジル クロアチア
第17回 2002年 韓国・日本 ブラジル ドイツ トルコ
第18回 2006年 ドイツ イタリア フランス ドイツ
第19回 2010年 南アフリカ - - -

現在、FIFAは、AFC (Asian Football Confederation: アジアサッカー連盟)、CAF (Confédération africaine de football: アフリカサッカー連盟)、UEFA (Union des Associations Européennes de Football: 欧州サッカー連盟)、OFC (Oceania Football Confederation: オセアニアサッカー連盟)、CONCACAF (Confederation of North, Central American and Caribbean Association Football: 北中米カリブ海サッカー連盟)、CONMEBOL (Confederación Sudamericana de Fútbol: 南米サッカー連盟)の6つの大陸連盟を傘下においており、各国のサッカー協会は、大陸連盟を通して、FIFAに加盟している。例えば、日本サッカー協会は、AFCを通じてFIFAに加盟している。2005年現在、全部で205の協会がFIFAに加盟している(ちなみに国連加盟国は191カ国)。

2-3 国際大会についての制度概要

2-3-1 ワールドカップ

ワールドカップは、各々の地区によって出場国の決定方法は異なるが、各々の地区で予選が行われ、各地区代表がが本戦へと進むというシステムを採用している。

2006年ワールドカップドイツ大会では下記のような方法で、それぞれの地区でワールドカップが行われた。

- 予選参加国 本戦出場国 予選概要
アジア
(AFC)
32 4or5 32カ国を4カ国ごとの8グループに分け、ホームアンドアウエー方式のグループリーグを戦い、各グループの1位のみが最終予選へ進む。最終予選は8カ国を2グループに分け、ホームアンドアウエー方式のグループリーグを戦い、各グループの上位2チームがワールドカップ本大会の出場権を獲得する。また、各グループの3位同士がプレーオフを戦い、その勝者が北中米およびカリブ海地区4位とプレーオフで出場権を争う。
アフリカ
(CAF)
50 5 40チームが予備選を戦い、勝者20チームが最終予選に進む。予備予選の勝利チーム20チームにシードの10チーム、合計30チームが6チームずつ5つのグループに分かれてリーグ戦を戦う。グループ1位のチームが本大会に出場できる。
ヨーロッパ
(UEFA)
51 13+ドイツ 開催国・ドイツを除く51カ国が参加。6から7チームずつ8グループに分かれてリーグ戦を行い、各グループの1位と成績の良かった2位2チームが本大会に出場。その他の各グループ2位6チームはプレーオフを戦い、勝者3チームに出場権が与えられる。
オセアニア
(OFC)
12 0or1 5チームずつ2つのグループに分かれてリーグ戦を行う。上位2チームずつが2次予選へ進出。1次予選の上位2チームずつと、シードされたオーストラリア、ニュージーランドの合計6チームがリーグ戦を行う。上位2チームがホーム&アウエーのプレーオフを行い、勝者はさらに南米5位チームと大陸間プレイオフを戦わなければならない。
北中米及びカリブ海
(CONCACAF)
34 3or4 2から3チームずつ12のグループに分かれて、勝ち上がった12チームがステージ2に進出。その後、4チームずつ3つのグループに分かれてリーグ戦を戦い、上位2チームずつが最終予選に進出する。最終予選は、6チームによるリーグ戦が行われ、上位3位までが本大会に出場。4位のチームはアジア5位との大陸間プレイオフに勝たなければ出場できない。
南米
(CONMEBOL)
10 4or5 10チームが総当りのリーグ戦を行い、上位4チームまでが本大会出場。5位チームは、オセアニア1位のチームと争う。

各地区でワールドカップへの出場が決まった後、組み合わせ抽選会が行われる。ドイツ大会の抽選会は下記のように行われた。

ポット1 ポット2 ポット3 ポット4
ドイツ
ブラジル
イタリア
フランス
アルゼンチン
スペイン
メキシコ
イングランド
オーストラリア
アンゴラ
ガーナ
コートジボワール
トーゴ
チュニジア
エクアドル
パラグアイ
クロアチア
チェコ
オランダ
ポーランド
ポルトガル
スウェーデン
スイス
ウクライナ
イラン
日本
サウジアラビア
韓国
コスタリカ
トリニダード・トバゴ
アメリカ
スペシャル・ポット
セルビア・モンテネグロ
FIFAランキングやワールドカップ予選大会での試合結果を加味してFIFAがシードチーム8チームを決定。開催国もこのポットに入る。 ポット1には入れなかった南米、アフリカ及び南米とプレイオフで勝利したオーストラリアが入る。 ポット1には入れなかったヨーロッパのチーム。スペシャル・ポットは、ヨーロッパのポットに入りきれなかったセルビア・モンテネグロが、ポット1でヨーロッパチームと対戦させないために特別な配慮が行われたポットである。 アジア及び北中米カリブ海の予選を突破してきたチーム。

まず、FIFAランキングやワールドカップ予選大会の試合結果を踏まえて、FIFAがシード国を決める。開催国のドイツを含めた8カ国がポット1(つまりシードチーム)が入る。次に残りのポット(この振り分けられ方は、同地区チーム同士の対戦は基本的には行わない。但し、ヨーロッパは出場国が多いので2カ国までOK)に入っているくじを引き、グループ及び試合の順番が決定される。なお、ヨーロッパから出場が決まったセルビア・モンテネグロは、ヨーロッパからの本戦出場国が多いため、グループ内にヨーロッパのチームが3チームになる可能性があり、それを避けるために、ポット1のシード国のうち、ヨーロッパの国とは当たらないという配慮がなされた(つまり、ブラジルとアルゼンチンとメキシコとしかあたらないということになる)。

抽選結果は下記の通り。

グループA グループB グループC グループD
ドイツ イングランド アルゼンチン メキシコ
コスタリカ パラグアイ コートジボアール イラン
ポーランド トリニダード・トバゴ セルビア・モンテネグロ アンゴラ
エクアドル スウェーデン オランダ ポルトガル
グループE グループF グループG グループH
イタリア ブラジル フランス スペイン
ガーナ クロアチア スイス ウクライナ
アメリカ合衆国 オーストラリア 大韓民国 チュニジア
チェコ 日本 トーゴ サウジアラビア

ワールドカップ本戦は、32カ国の参加国を4カ国8グループに分け、総当たり戦で各グループ上位2位までに入ったチームが決勝トーナメントに進出。各組の順位は勝ち点が同じ場合、当該チーム間の勝ち点、得失点、得点、全体の得失点、総得点の順で争われ、すべて同じ場合は抽選で決める。

各グループ上位2位が決勝トーナメントに進出。90分で同点の場合、前後半15分の延長戦、PK戦で勝者を決める。延長戦は得点が入っても、最後まで続けられる。

2-3-2 UEFA 欧州選手権 (EURO)

国境を超えたサッカーの試合は、全世界的に行われているが、本稿はスペインのサッカーを取り扱っているため、ヨーロッパの国際大会を中心に、簡単にその大会の制度について解説を試みたいと思う。

まずは、ヨーロッパ(UEFA)に所属する国の代表チームがしのぎを削って行われるUEFA EUROである。ワールドカップが開催される年の中間年(つまりオリンピックが開催される年と同じ年)に行われる。次回の開催は「UEFA EURO 2008」で、オーストリアとスイスの共同開催によって行われる。

「UEFA EURO 2008」は、UEFA加盟国(52カ国)が全て参加するとすれば、予選は開催国のオーストリアとスイスを除いた50カ国が参加し、これらの国を7つのグループに分け、各グループ上位2位が本戦に出場する。予選は2006年半ばから2007年11月頃まで1年余りを費やして行われる。本戦は、14チームに開催国2カ国を加え、4カ国4グループによるグループリーグ戦を行い、上位2チームが決勝トーナメントに進出。準々決勝以降はノックアウト方式で実施され、優勝チームが決定する。

UEFA欧州選手権で優勝を勝ち取ったチームは、「コンフェデレーションズ・カップ」の出場権を得ることができ、世界中にある各国のカップ戦の優勝チーム(アジアで言う「アジアカップ」)とともに、ワールドカップとは違った「世界一」を目指し、戦う。一般的に、「コンフェデレーションズ・カップ」は、ワールドカップが行われる前年に、ワールドカップが開催される国で行われる。

[今後のヨーロッパサッカーのスケジュール]
- ワールドカップ関連 欧州選手権(EURO)関連
2006年 ワールドカップ開催(ドイツ)  
  EURO2008予選
2007年  
2008年   EURO2008本戦
ワールドカップ欧州予選   
2009年 コンフェデレーションズ・カップ
2010年 ワールドカップ開催(南アフリカ)  
  EURO2012予選開始

このように見ると、ヨーロッパのサッカー選手は、タイトなスケジュールの下で、試合をこなしているということが分かるであろう。

2-3-3 UEFAチャンピオンズ・リーグ

一流のチームで、一流のサッカープレイヤーがこなす試合数というのは、これだけにとどまらない。「UEFAチャンピオンズ・リーグ (Liga de Campeones)」があるからである。

国別の「世界一」を決めるのが「ワールドカップ」だとすると、クラブ・チームによる「世界一」を決めるのが「UEFAチャンピオンズ・リーグ」であると言う人もいる(形式的には「FIFAクラブワールドチャンピオンシップ トヨタカップ」であるが、質的な問題で「UEFAチャンピオンズ・リーグ」の方が上であるという論者が一般的に多い)ほど、「UEFAチャンピオンズ・リーグ」はスペクタクルで、毎年名勝負をヨーロッパ中で繰り広げる。

それでは、簡単に「UEFAチャンピオンズ・リーグ」についての制度概要を説明したいと思う。

- 参加チーム数 進出チーム数
予戦1回戦 24 12
UEFAランキング26位から42位の国及び44位から50位のリーグ戦1位チーム
予戦2回戦 28 14
予選1回戦を勝ち上がった12チーム&シードされている16チーム(UEFAランキング16位-25位の国のリーグ戦1位チーム&UEFA10位-15位の国のリーグ戦2位チーム)
予選3回戦 32 16
予選2回戦を勝ち上がった14チーム&シードされている18チーム(UEFA10位-15位の国のリーグ戦1位チーム&UEFA7位-9位の国のリーグ戦2位チーム&UEFA1位-6位の国のリーグ戦3位チーム&UEFA1位-3位の国のリーグ戦4位チーム) 負けた16チームは、UEFAカップ1回戦へ
グループリーグ戦 32 16
32チームを、8つのグループに分け、リーグ戦を行なう
予選3回戦を勝ち上がった16チーム&シードされている16チーム(前回優勝チーム&UEFA1位-9位の国のリーグ戦1位チーム&UEFA1位-6位の国のリーグ戦2位チーム) 負けた8チームは、
UEFAカップ決勝トーナメント1回戦へ

(8チームとは、各グループ3位チーム)
決勝トーナメント
1回戦
16 8
準々決勝戦 8 4
準決勝戦 4 2
決勝戦 2 1

各国の出場枠は、UEFAランキングと呼ばれるランキングにより、出場できるチーム数が決定する。スペインは、現在UEFAランキングでは1位を獲得しているので、4チームの出場枠がある。1位と2位のチームが「リーグ戦」からの出場が認められ、3位と4位のチームは「予戦3回戦」からの出場が認められている。

なお、2005-2006シーズンにおいては、次のような問題が起こったため、例外的な措置がとられた。2004-2005シーズンにおいてチャンピオンズ・リーグで優勝したリバプールは、イングランド・プレミア・リーグではチャンピオンズ・リーグ出場権のある4位以下(実際は5位)になってしまい、従来の規定では、前回優勝しているにも関わらずチャンピオンズ・リーグの出場権がないという状況になってしまった。そこで、異例の措置で、リバプールについては「予選1回戦」からの出場を認められることになった、ということがあった。

ところで、「ホームアンドアウェイ&ノックアウト方式」により予選を勝ち抜いたチームとシードされたチームは、グループリーグ戦で戦う。組み合わせは次のような条件下で決まる。

  1. 同じ国のチームは、同じグループに属することはない。
  2. 同じ国から2チームが出場している場合、火曜日と水曜日に試合が分かれるように、ペアリング(一対に)される。一つのチームが、火曜日にホームで試合を行えば、もう一方のチームは、水曜日にアウェイで試合を行なう。なお、3チームが出場している場合、2チームだけがペアリングされる。4チームが出場している場合、2つのペアリングができる。
  3. リーグ戦に出場する32チームは、UEFAが算出する係数により4つのポットに分けられる。ポット1には前回優勝チーム及び係数上位の7チームが含まれる。以降、係数によりポット2からポット4までに各チームが振り分けられる。
  4. グループリーグ戦は8つのグループに分けられる。抽選の際には色によってグループが識別される。グループAからグループDまでは「赤」で、グループEからグループHまでは「青」で区分される。ペアリングされたチームが、赤グループに抽選された場合、一方のチームは、自動的に青グループに割り当てられる。

ちなみに、2005-2006シーズンのチャンピオンズ・リーグのポットは次のように分けられた。

ポットA

レアル・マドリー(スペイン)、ACミラン(イタリア)、FCバルセローナ(スペイン)、リバプール(イングランド)、マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)、インテル(イタリア)、バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)、アーセナル(イングランド)

ポットB

ポルト(ポルトガル)、ユベントス(イタリア)、PSVアイントホーヘン(オランダ)、オリンピック・リヨン(フランス)、パナシナイコス(ギリシャ)、チェルシー(イングランド)、ビリャレアル(スペイン)、アヤックス(オランダ)

ポットC

クラブ・ブルージュ(ベルギー)、アンデルレヒト(ベルギー)、オリンピアコス(ギリシャ)、シャルケ04(ドイツ)、スパルタ・プラハ(チェコ)、リール・メトロポール(フランス)、レンジャース(スコットランド)、ベルダー・ブレーメン(ドイツ)

ポットD

ベンフィカ(ポルトガル)、ローゼンボリ(ノルウェー)、ベティス(スペイン)、ウディネーゼ(イタリア)、フェネルバフチェ(トルコ)、ラピド・ウィーン(オーストリア)、トゥーン(スイス)、アルトメディア・ブラチスラバ(スロバキア)

抽選は以下の手順によって行なわれる。

  1. まず、赤ボールが、アトランダムに、ポット1から引かれる。ボールは、抽選されたチーム名を表示するため、オープンにされる。
  2. コンピュータが、同時に、このチームに対して、どちらのグループが有効(赤グループのAからD、青グループのEからH)かを表示する。
  3. グループ番号を表示した緑色のボールが含まれるボウルが用意される。最終的なグループを確定するため、このボウルから、緑色のボールが引かれる。ポット1のすべてのチームの抽選が終わると、ポット2、ポット3、ポット4と順番に進んでいく。
  4. ポット1のチームは、それぞれのグループの1番目に置かれる。以降、ポット2のチームは2番目、ポット3のチームは3番目、ポット4のチームは4番目に置かれる。組合せ抽選が、すべて完了すると、コンピュータがそれぞれのグループのチームのポジションを確定する。これらのポジションとグループで、ホーム&アウェイ方式の試合の順序を確定する。

こうしてチャンピオンズリーグのグループが確定されていく。2005-2006シーズンのグループは下記の通りである。

- チーム名 ポート
グループA バイエルン・ミュンヘン(ドイツ) ポート1
ユベントス(イタリア) ポート2
クラブ・ブルージュ(ベルギー) ポート3
ラピド・ウィーン(オーストリア) ポート4
グループB アーセナル(イングランド) ポート1
アヤックス(オランダ) ポート2
スパルタ・プラハ(チェコ) ポート3
トゥーン(スイス) ポート4
グループC FCバルセローナ(スペイン) ポート1
パナシナイコス(ギリシャ) ポート2
ベルダー・ブレーメン(ドイツ) ポート3
ウディネーゼ(イタリア) ポート4
グループD マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) ポート1
ビリャレアル(スペイン) ポート2
リール(フランス) ポート3
ベンフィカ(ポルトガル) ポート4
グループE ACミラン(イタリア) ポート1
PSVアイントホーヘン(オランダ) ポート2
シャルケ04(ドイツ) ポート3
フェネルバフチェ(トルコ) ポート4
グループF レアル・マドリー(スペイン) ポート1
オリンピック・リヨン(フランス) ポート2
オリンピアコス(ギリシャ) ポート3
ローゼンボリ(ノルウェー) ポート4
グループG リバプール(イングランド) ポート1
チェルシー(イングランド) ポート2
アンデルレヒト(ベルギー) ポート3
ベティス(スペイン) ポート4
グループH インテル(イタリア) ポート1
ポルト(ポルトガル) ポート2
グラスゴー・レンジャース(スコットランド) ポート3
アルトメディア(スロバキア) ポート4

グループ・リーグを2位以上で通過すると、決勝トーナメントが実施される。決勝トーナメントの組み合わせは次のような規定にしたがって、決定される。

そして、グループステージで2位のチームが第1戦をホームゲームで行う。

ここで、決勝トーナメント及び予選において採用されている「アウェイゴール2倍ルール」について説明しておきたいと思う。

2試合の合計得点が同点であった場合の点数の数え方である。こういった場合、ホームチームが点を取ると1点としてカウントされるが、もしアウェイチームが点を取ると、2倍の得点として点数が換算される。

第1レグホーム 得点 第2レグホーム
インテル
(イタリア)
2 1-0 2 バレンシア
(スペイン)
1-2

実際にあった例で分かりやすく説明しよう。上の対戦は、2002-2003シーズンのチャンピオンズ・リーグの準々決勝戦で行なわれた「インテル対バレンシア」の試合である。第1レグは、インテルのホームであるサン・シーロ・スタジアムで行なわれた。インテルは前半の14分にビエリがヘディングでゴールを決め、そのまま守りを固めて、バレンシアの12本のゴールにも耐え、接戦をものにした。この時点では、バレンシアはホームで2点以上を取れば準決勝に駒を進めることができた。しかし、バレンシアのホームであるメスタージャ・スタジアムで向かえた第2レグで、前半の5分にまたもやインテルのビエリがゴールを決めた。この時点で、バレンシアは4点以上取らなければ勝てない(3点以上であれば延長ゴールデンゴール、PKになるが...)。この後、前半7分にバレンシアの司令塔であるアイマールが、後半6分にスペイン代表のボランチのバラハがゴールを決めるが、あとは堅守のインテルに阻まれ、試合終了。形式上は2対2であっても、「アウェイゴール2倍ルール」によってインテルは3対2という扱いを受け、準決勝戦に進んだ。

決勝戦はUEFAが予め決定したスタジアムで、1発勝負で行われる。延長でも勝負が付かない時はPK戦となる。

2-3-4 UEFAカップ

クラブチームによる国際大会の2つ目は「UEFAカップ (Copa de la UEFA)」である。「UEFAカップ」とは、各ヨーロッパの国で行なわれている国内リーグ戦の上位チームや国内カップ戦のカップウィナーのチームなどが参加するカップ戦である。各国に対するチーム数の割り振りは、チャンピオンズ・リーグの時と同様、「UEFAカップ」を主催するUEFAが作成しているランキングに従って決められる。UEFAカップは、各国に割り当てられた出場枠以外に、後述する「インタートト・カップ」で勝ち抜けた3チームに (1回戦から出場可)、さらにフェアプレー枠というものがあり (リーグ戦のフェアプレー・ポイント1位のチームが抽選により3チームが選ばれる)、こちらは予選から3チームが出場できる。

- 参加チーム数 進出チーム数
予戦1回戦 56 28
UEFAランキング51位から52位の国のリーグ戦1位チーム&UEFA25位-50位の国のカップ戦優勝チーム&UEFA25位-42位・44位-50位のリーグ戦2位チーム&UEFAフェアプレイ賞3チーム
予戦2回戦 64 32
予選1回戦を勝ち上がった28チーム&シードされている36チーム(UEFAランキング9位-21位のリーグ戦3位チーム&UEFAランキング16位-24位のリーグ戦2位チーム&UEFAランキング11位-24位のカップ戦優勝チーム)
1回戦 80 40
予選2回戦を勝ち上がった32チーム&シードされている48チーム(UEFAランキング1位-10位のカップ戦優勝チーム&UEFAランキング1位-3位のリーグ戦6位チーム&UEFAランキング1位-8位のリーグ戦5位チーム&UEFAランキング4位-8位のリーグ4位チーム&UEFAランキング7位-8位のリーグ戦3位チーム&インタートトカップ勝利チーム&CL3次予選敗退チーム)
グループリーグ戦 40 24
40チームを8つのグループに分け、リーグ戦を行なう
決勝トーナメント
1回戦
32 16
グループリーグ戦を勝ち上がった24チーム&シードされている8チーム(CLグループリーグ3位チーム)
決勝トーナメント
2回戦
16 8
準々決勝戦 8 4
準決勝戦 4 2
決勝戦 2 1

スペインのチームは、リーグ戦(リーガ・エスパニョーラ)ランキングで5位と6位及び国王杯優勝チームが参加する権利を有する。なお、2005-2006シーズンについては、国王杯優勝チームのベティスがチャンピオンズ・リーグに出場しているため、準優勝チームのオサスナがUEFAカップに出場を果たしている。

「UEFAカップ」の参加基準は、昔から複雑であったが、「チャンピオンズリーグ」のリーグ戦の敗退チーム (グループで3位のチーム) が「UEFAカップ」に出場できるようになり、さらに「カップ・ウィナーズ・カップ (国内カップ戦優勝チーム同士が戦うカップ戦)」が存在したが、人気がなかったために、1999-2000シーズンから「UEFAカップ」に吸収合併され、システムはより複雑化してきた。実質的な位置付けが、「チャンピオンズリーグ」の下部カップ戦という位置付けになっていることも否定はできない。

2003-2004シーズンは、スペインの強豪チームでもあるバレンシアが優勝した。

2-3-5 インタートト・カップ

「インタートト・カップ (Intertoto)」は、国内リーグ戦の中位チームが争うカップ戦である。

インタートトカップは、4つのラウンドと決勝戦からなる。第1ラウンドは40チームが参加し、勝ち上がった20チームと第2ラウンドから参加する12チームの計32チームが戦う。リーガの前シーズン8位チームはここから出場する。第3ラウンドは、第2ラウンドで勝ち上がった16チームと第2ラウンドから参加する8チームの24チームが戦う。リーガの前シーズン7位チームはここから出場する。第4ラウンドからは、第3ラウンドで勝ち上がった12チームが戦い、ここで勝った6チームが決勝戦に進む。

決勝戦は6チームで3試合行なわれ (対戦チームは固定されている。したがってリーグ戦のような形態では行なわれない)、勝った3チームにはUEFAカップ出場権(1回戦から)が与えられる。

いずれもホームアンドアウェイ方式で試合は行なわれ、6月の末から始まり、UEFAカップが始まる8月の下旬頃には決勝戦が終わるという日程になっている。

2-3-6 UEFAスーパーカップ

「UEFAスーパーカップ (Supel Copa)」は、UEFAチャンピオンズ・リーグの覇者とUEFAカップの覇者が、リーグ戦のシーズン開幕頃に行なう大会である。試合は中立地で行なわれる。実質的な意味は少ない。

2-3-7 FIFAクラブワールドチャンピオンシップ

2005-2006シーズンから新しく始まった大会である。これは、先に紹介した6つの大陸連盟の各々が主催して繰り広げられているクラブのチャンピオン(欧州で言えば、UEFAチャンピオンズ・リーグの優勝チーム)同士が戦う、世界一のクラブ・チームを争う大会で、日本で行なわれた。

世界クラブチーム選手権の構想は、FIFAが以前より構想していており、2000年に一度ブラジルで開催されたが、2回目のスペイン大会の時にスポンサーが倒産したことで大会の運営がうまくいかなくなったり、南米やヨーロッパのクラブチームが日程の過密化に拍車をかけるという理由で、その構想はなかなか実現されなかったのだが、1980年から2004年まで続いた、ヨーロッパと南米のクラブチームによる対戦が行われてきた「トヨタカップ (TOYOTA EUROPEAN/SOUTH AMERICAN CUP)」を発展的解消し、2005年より「FIFAクラブワールドチャンピオンシップ トヨタカップ ジャパン2005」が開催されることになった。

南米代表とヨーロッパ代表には、これまでの実績からシード権がある。そのため、アジア代表・アフリカ代表・オセアニア代表・北中米カリブ海代表の間でトーナメントを行い(一発勝負)、勝った2チームが南米代表とヨーロッパ代表と対戦し(一発勝負)、決勝戦で1位を決する。また、それぞれのブロックで負けたチームも対戦し、結果的に1位から6位までが争われる大会である。

[出場チーム]
- チーム名 最終順位
ヨーロッパ代表 UEFA リバプールFC イングランド 2位
南米代表 CONMEBOL サンパウロFC ブラジル 1位
アジア代表 AFC アルイテハド サウジアラビア 4位
アフリカ代表 CAF アルアハリ エジプト 6位
北中米カリブ海代表 CONCACAF デポルティーボ・サプリサ コスタリカ 3位
オセアニア代表 OFC シドニーFC オーストラリア 5位

2005年の「FIFAクラブワールドチャンピオンシップ トヨタカップ」は、上記のチームが出場し、白熱した試合が展開され、大成功をおさめた(優勝はサンパウロFC)。今後、FIFAはこの大会を、「ワールドカップに並ぶイベントにしたい」と言っているが、サッカー選手の日常のほとんどはクラブチームで過ごしているわけで、ワールドカップのナショナルチーム以上にコンビネーションのよいサッカーが見られることが予想される。ぜひサッカーファンとしてFIFAの言うとおりになってもらいたいと思う。いずれ、スペインのチームやJリーグのチームもここに立てるように頑張ってもらいたいものである。


3. スペイン国内のサッカー


3-1 スペイン・サッカーの歴史

スペインにサッカーが伝わったのは19世紀の末頃で、イングランド人によってもたらされた。場所はスペインの南西部、アンダルシア地方にある港町のウェルバという場所である。ウェルバの内陸部には「リオ・ティント」という銅鉱山があり、それをイングランド人が操業していた。

1870年代に、銅鉱山や鉄道会社 (リオ・ティントは内陸にあり、ウェルバに物資を運ぶため鉄道会社が作られていた)の資本家や労働者がレクレーションのためのクラブチームを作った。作られた当時はサッカーよりもテニスやダンスが活動の中心であった。構成員の多くはイングランド人であった。

サッカーがこのレクレーション・クラブで行なわれるようになったのは1889年のことであると言われている。クラブチーム名は、スペイン語で「レクレアティーボ・ウェルバ (Recreativo Huelva)」である。現在のレクレアティーボは、2002-2003シーズンに25年ぶりに1部リーグに昇格した。しかしリーグ戦では戦績をあげることができず、2003-2004シーズンは2部Aに落ちてしまった (国王杯では「決勝戦」まで駒を進めた)。

この時期にスペイン国内の別の場所でもサッカーが盛んになっていた。それはスペインの北部のバスク地方である。この地方は、海を越えればイングランドに近く、鉄鉱石や石炭も採れ、早くから産業革命も進んでおり、当時の世界一の経済大国だったイングランドの人々も住んでいた。そこに住んでいたイングランド人がサッカーを始め、1899年には「アスレティック・ビルバオ (Athletic Bilbao)」というチームが創設された(正式発足が1901年)。

スペインの強豪といえばレアル・マドリーとFCバルセローナがあるが、これらのチームが創設されたのもこの時期である。

FCバルセローナは、1899年に、スイス人のジョアン・ガンペール氏が中心となって、バルセローナに住んでいたスイス人やイングランド人を集めて作られた。バルセローナは繊維の街としても知られ、産業革命の流れで多くの外国人が住んでいたという背景がある。

一方のレアル・マドリーは、1902年に、カタルーニャ人(バルセローナ周辺の地域)の学生によって作られたチームである。裕福な資本家の息子たちがイングランドに留学をし、サッカーを覚えて帰国してスペインでもプレイし始めたところから始まる。当時のマドリーは、王室や政府の省庁ぐらいしかなく、人口も50万人程度の中規模都市であった。

こうしてスペイン国内にクラブチームが発足されていく中で、1902年に「アルフォンソ13世国王杯」が始まり、1928年には「リーガ・エスパニョーラ (La Liga Española)」が始まった。

この後、特にレアル・マドリーとFCバルセローナという2強がヨーロッパ内でも強豪となっていく...。(詳しくは後述)

現在は、レアル・マドリーとFCバルセローナという「2強時代」は終わりを告げ、様々なチームがチャンピオンズリーグで活躍できるようになり、群雄割拠時代を迎えようとしていると言われている。

3-2 スペイン国内のプロ・リーグの制度概要

3-2-1 緒説

スペインでは、他のヨーロッパ諸国と同様に、プロ・チームでは「リーグ戦」と「カップ戦」がシーズン中に繰り広げられている。

- 協会創立年 プロリーグ戦 カップ戦
チーム数
スペイン 1913年 リーガ・エスパニョーラ 国王杯
20チーム
イングランド 1863年 プレミアシップ FA杯
20チーム
イタリア 1889年 セリエA コパ・イタリア
18チーム
ドイツ 1900年 ブンデスリーガ ドイツ・カップ
18チーム
日本 1921年 Jリーグ 天皇杯
20チーム

以下、スペインにおける「リーグ戦」と「カップ戦」についての概説を試みてみたいと思う。

3-2-2 リーグ戦

スペインのリーグ戦は下記のような構成になっている。

階級 チーム数 解説
1部
(Primera División)
20 日本のマスコミで「リーガ・エスパニョーラ (Liga Española)」といわれるのはこの階級のこと。
2部 (2部A)
(Segunda División)
22 プロリーグ(LFP)という機関が統括し、全国規模で開催されるのはこのクラスまで。2部B以下は、各地方で試合が行われる。
2部B
(Segunda División B)
グループ1 20 ガリシア、バスク地方中心
グループ2 20 アラゴン、カスティーリャ地方中心
グループ3 20 カタルーニャ、バレンシアなど地中海地方中心
グループ4 20 アンダルシア地方
3部
(Tercera División)
グループ1 20 ガリシア
グループ2 20 アストゥリアス
グループ3 20 カンタブリア
グループ4 20 バスク
グループ5 20 カタルーニャ
グループ6 20 バレンシア
グループ7 21 マドリー
グループ8 20 カスティーリャ・イ・レオン
グループ9 22 アンダルシア東部
グループ10 20 アンダルシア西部
グループ11 20 バレアレス諸島
グループ12 20 カナリア諸島
グループ13 20 ムルシア
グループ14 20 エストゥレマドゥーラ
グループ15 20 ナバーラ & ラ・リオハ
グループ16 20 アラゴン
グループ17 20 カスティーリャ・イ・ラ・マンチャ

第1に、「1部 (Primera División)」と呼ばれるクラスがあり、いわゆる「リーガ・エスパニョーラ (Liga Española)」と呼ばれる。全20チームあり、「ホーム・アンド・アウェイ方式」で、ホームで1試合・アウェイで1試合ずつ総当たり戦で行なわれる (具体的には今シーズンの日程を参照するとよい)。上位チームは「UEFAチャンピオンズ・リーグ」や「UEFAカップ」に出場できる権利を得ることができる。下位3チームは自動的に2部リーグに降格する。

順位 説明
1位 UEFAチャンピオンズ・リーグ出場 グループリーグより出場
2位 UEFAチャンピオンズ・リーグ出場
3位 UEFAチャンピオンズ・リーグ出場 予選3回戦より出場
4位 UEFAチャンピオンズ・リーグ出場
5位 UEFAカップ出場 (1回戦より出場)
6位 UEFAカップ出場 (1回戦より出場)
7位 インタートトカップ出場
8位 インタートトカップ出場
-
18位 自動的に2部 (Segunda División)に降格
19位 自動的に2部 (Segunda División)に降格
20位 自動的に2部 (Segunda División)に降格

毎年、優勝争いも降格争いも熾烈を極め、それが「リーガ・エスパニョーラ (Liga Española)」の面白さの1つになっている。

次に、「2部 (Segunda División)」がある。チーム数は22チームある。試合の方式は1部と同様である。2部Aの上位3チームは自動的に1部に昇格でき、下位4チームは自動的に2部Bに降格する。

続いて、「2部B (Segunda División B)」がある。ここからは、「スペイン・プロ・フットボール・リーグ (Liga Nacional de Fútbol Profesional)」は統括せず、各地域のサッカー協会がそれぞれの地域を統括している。地域とチーム数を考慮して、4つのグループを構成する。現在は、それぞれのグループに20チームが所属している。2部Bの各グループ上位4チームは、リーグ終了後、新たに4チームずつの昇格リーグを編成し、各グループの1位が2部に昇格する (4チームが昇格することになる)。一方、下位チームは、それぞれのグループの17位から20位のチームは自動的に3部リーグに降格する。さらに、各グループの16位のチームはプレイオフを行ない、そのうちの1チームが3部リーグに降格する。

さらに、「3部 (Tercera División)」と呼ばれるクラスがあるが、ここは、17の地方 (註: スペインの自治州の数と同じだが、自治州と同じ分かれ方ではない)に分けられ、それぞれのグループに20チームから22チーム (グループによってチーム所属数はまちまち)が所属している。各グループの1位チームが2部Bに自動昇格する。

次に、1部及び2部(A・B)で適用される順位の決定方法について解説したい。まず、試合に勝つと勝ち点として3点がもらえ、引き分けでは勝ち点を1点もらえ、負けた場合は勝ち点は獲得できない(要するに勝ち点は0である)。順位は勝ち点の多い順で決定される。しかし、勝ち点が同じである場合は、次のように順位が決定される。

  1. 該当チームどうしの直接対戦(2試合)のみの得失点差で勝るほうを上位とする。
  2. 上記の方法でも差がない場合は、リーグ通算の得失点差で勝るほうを上位とする。
  3. 上記の方法でも差がない場合は、リーグ通算の得点数の多いほうを上位とする。
  4. 上記の方法でも差がない場合は、フェアプレーポイントが少ないほうを上位とする (フェアプレーポイントは少ない方がよい)。
  5. 上記の方法でも差がない場合は、順位決定戦(1試合)を行なう。

この方法で、優勝チームや昇格チームや降格チームが決定される。

シーズンは、毎年7月初から始まり翌年の6月末に終了する。スケジュールは、前シーズンの終了後、スペインプロサッカーリーグ(LFP)が翌シーズンの日程案を作成、スペインサッカー連盟(RFEF)の承認後、7月に発表される。

ところで、「リーガ・エスパニョーラ」が始まったのは1928年のことである。途中、スペイン内戦中の、1936-1937年シーズンから1938-1939年シーズンまで休止していた時期もあったが、2005-2006シーズンで75シーズン目を迎えた。

[歴代優勝チーム]
優勝チーム 優勝回数
レアル・マドリー 29回
FCバルセローナ 17回
アトレティコ・マドリー 9回
アスレティック・ビルバオ 8回
バレンシア 6回
レアル・ソシエダ 2回
セビーリャ 1回
デポルティーボ・デ・ラ・コルーニャ 1回
ベティス 1回
合 計 74回

過去の優勝成績を見ると、レアル・マドリーとバルセローナの優勝回数が圧倒的に多い。ここ5年間の数字を見ると、バレンシアやデポルティーボ・デ・ラ・コルーニャが優勝しているものの、残りの3年間はやはりレアル・マドリーとバルセローナが優勝している。しかし、毎年最終節まで熾烈な優勝争いをしており、シーズンの終盤までリーグ戦は盛り上がる。しかも、特に最近の傾向として、毎年のようにダークホース的なチームが必ずといっていいほど上位に登場する。また、前シーズンで上位にいたチームが突如2部落ちするといったことも最近では珍しくない。「リーガ・エスパニョーラ」の歴史上、74シーズンにわたって1部リーグにずっと残っているチームは、レアル・マドリーとFCバルセローナとアスレティック・ビルバオの3チームしかない。それだけ過酷なリーグ戦が毎年行なわれているのである。

3-2-3 国王杯

スペイン語では"Copa de S.M. el Rey" (通称「Copa del Rey [コパ・デル・レイ]」と呼ばれる)という。日本語では「国王杯」と訳される。

「国王杯」は、1902年に「アルフォンソ13世国王杯」として始まった。スペインの「国内カップ戦」は、時の権力が変わるのに伴って、「アルフォンソ13世国王杯」(1902-1903シーズンから1931-1932シーズンまで)から「共和国大統領杯」(1932-1933シーズンから1936年シーズンまで)、「フランコ総統杯」(1937-1938シーズンから1975-1976シーズンまで)と名前が変化し、現在は「国王杯」と呼ばれている。なお、1936年-1937年と1937年-1938年の大会は、スペイン内戦のため開催されなかった。

[歴代優勝チーム]
優勝チーム 優勝回数
FCバルセローナ 24回
アスレティック・ビルバオ 23回
レアル・マドリー 17回
アトレティコ・マドリー 9回
バレンシア 6回
サラゴサ 6回
エスパニョール 3回
ウニオン・クルブ・デ・イルン 3回
セビーリャ 3回
ベティス 2回
レアル・ソシエダ 2回
デポルティーボ・デ・ラ・コルーニャ 2回
アナレス・グエチョ 1回
マヨルカ 1回
合 計 102回

国王杯は、2003-2004年で101回目を迎えた大会だが、過去優勝したことのあるチームは、上に挙げたたったの14チームである。その中でも、バルセローナ、アスレティック・ビルバオ及びレアル・マドリーの優勝回数が半分以上を占めている。しかし、ここ5年間は、3強以外のチームが優勝を飾っている。サラゴサ(00-01)、デポルティーボ・デ・ラ・コルーニャ(01-02)、マヨルカ(02-03)、サラゴサ(03-04)、ベティス(04-05)である。

ところで、国王杯は次のように進められる。

参加資格のあるチームは82チーム(2005-2006シーズン)で、それは下記の条件を満たすチームである。

  1. 昨シーズンにおいて1部リーグ (Primera División)に所属していた全チーム (20チーム)
  2. 昨シーズンにおいて2部Aリーグ (Segunda División)に所属していたチーム (21チーム)
  3. 昨シーズンにおいて2部Bリーグ (Segunda División B)に所属していたチーム (23チーム)
    1. 昨シーズン終了時、2部リーグBの各4グループで上位の5チームの計20チーム (下部組織のチームを除く)
    2. 前述の20チームに含まれなかった2部リーグBの4グループの中で最も勝ち点が多かった3チーム(同点の場合は上位のチーム)
  4. 昨シーズンにおいて、3部リーグ (Tercera División)で各々のグループで優勝したチーム (18チーム)。但し、下部組織のチームを除く。

大会システムは下記の通りである。(2005-2006シーズンよりルール改正)

段階 試合回数 出場チーム及び大会方式
予選 ホームアンドアウェイ方式 上記カテゴリー4の18チーム
上記カテゴリー3のうち、2部Bリーグ昇格を果たしたチームと2部Bリーグ昇格プレイオフ決勝戦に出場していない18チーム
第2ラウンド 1回戦 1回勝負 今シーズン2部Aリーグに所属する20チーム
2回戦 1回勝負 予選で勝ちあがった18チーム
第2ラウンド1回戦を勝ち上がってきた10チーム
昨シーズン終了時、2部リーグBへ降格した4チーム
予選を免除された2部リーグ昇格プレイオフ決勝戦に出場した2チーム
抽選で対戦カードが決定。シードはなし。2部リーグBと3部リーグの10チームが2部リーグの10チームと対戦、残り14チームの中で対戦する形で抽選が行なわれます。試合は下部リーグに所属するチームのホームゲームで開催。同一リーグの場合は抽選。
3回戦 1回勝負 2回戦を勝ち上がってきた14チーム
1部リーグに所属する11チーム
抽選は1部リーグの11チームがその他のリーグに所属するチームと対戦する形で実施。引き続き、残り6チームの中で対戦する形で抽選が行なわれます。試合は下部リーグに所属するチームのホームゲームで開催。同一リーグの場合は抽選。
4回戦 1回勝負 3回戦を勝ち抜いた14チームが参加。
抽選で対戦カードが決定。1部リーグのチーム同士が対戦することはありません。可能な限り1部リーグと下部リーグに所属するチームが対戦。試合は下部リーグに所属するチームのホームゲームで開催。同一リーグの場合は抽選。
決勝ラウンド ラウンド・オブ・16 ホームアンドアウェイ方式 第2ラウンド4回戦を勝ち上がってきた7チーム
未出の1部リーグ所属の9チーム
抽選で対戦カードが決定。UEFA大会に出場しているチーム同士が対戦することはない。リーグが異なる場合、第1戦は下部リーグに所属するチームがホームゲーム。
準々決勝 ホームアンドアウェイ方式 ラウンド・オブ16を勝ち上がってきた8チーム
抽選で対戦カード(ホームゲームの権利を含む)が決定。
準決勝 ホームアンドアウェイ方式 準々決勝を勝ち上がってきた4チーム
抽選で対戦カード(ホームゲームの権利を含む)が決定。
決勝 1回勝負 準決勝を勝ち上がった2チームで実施。
王立スペインサッカー協会(RFEF)が指定するスタジアムで開催。優勝チームはUEFAカップの出場権を獲得。同時にリーグ優勝のチームと対戦するスーペルコパ出場権も獲得。

「カップ戦」の魅力は、「ジャイアント・キリング」、つまり一発ノックアウト勝負で弱者が強者を倒せる可能性が大きく広がるという点である。上記のシステムは、2005-2006シーズンから採用されたものであるが、若干強者に有利に働いたルール改正となった。しかし、ここまで3部リーグのチームが勝ちあがってくれば、リーグ戦ではあり得ない組み合わせでのゲームも見られるというわけである。「国王杯」を通じて、株リーグチームからバルサやレアル・マドリーなどを脅かすチームが登場することを祈るばかりである。

3-2-4 スーペル・コパ杯

「リーガ・エスパニョーラ」の「チャンピオン」と、「国王杯」の「カップ・ウィナーズ」が、次シーズンの始まる前に戦うのが「スーペル・コパ (英語でいえば「スーパーカップ」といったところだろうか...)」である。試合は「ホームアンドアウェイ方式」で行なわれる。

3-3 スペイン・サッカーの魅力

3-3-1 緒説

スペインのリーグ戦が「面白い」と言われるのは、各地に存在していた「王国」が次第にカスティーリャ王国という王国に統一されて「スペイン」という国が誕生したという歴史的背景のせいか、現在においても「地域」の文化が豊かで、それに誇りを持ち続ける住民が、地域のクラブチームを愛しているからだと言われている。1978年に制定された現在のスペイン憲法において、「自治州 (Comunidades Autónomas)」の制定を、それぞれの県 (スペイン国内には50の「県」が存在する)に自主的に認めたのは、こうした背景があるからである。

スペインの自治州
[スペインの自治州地図]

スペインは、周知の通り、様々な国が集まってできた国である。13世紀から15世紀にかけてのスペインは、「ナバーラ」「アラゴン」「カスティーリャ」とイスラームの「グラナダ」の4つの勢力が分かれており、それが次第に統一されていったという歴史を持つ。現在のスペインの国家紋章にもそれがあしらわれている。

スペイン国家紋章
[スペインの紋章]

スペインの国旗の中央にある紋章の中には意味がある。それぞれの意味について説明を加えたいと思う。

紋章の場所 意味するもの
右上 獅子 レオン王国 スペイン北西部。914年成立、1230年カスティーリャ王国と最終統合
左上 カスティーリャ王国 スペイン中央部、マドリーを中心とする。930年成立。1469年女王イサベルがアラゴン王子と結婚する。1479年にアラゴン連合王国と共同統治を始める
右下 ナバーラ王国 スペイン北東部。820年成立、1512年カスティーリャ王国に併合。
左下 黄色の下地に4本の赤筋 アラゴン連合王国 スペイン東部、バルセローナを中心とする。1035年独立、1137年カタルーニャと共同統治を開始。1469年王子フェルナンドがカスティーリャ王女と結婚、1479年にカスティーリャ王国と共同統治を始める
最下部 小さな「ざくろ」 グラナダ王国 スペイン南部。1238年に建国されたスペイン最後のイスラム教国、1492年征服される
中央部 白ユリ 現在のスペイン王室がブルボン王朝のため
盾の上部にある王冠 5つの王国が「一つにまとまっていることを示す
左右の柱 天を支える「ヘラクレスの柱」で、この2つの柱は、イベリア半島の最南端にあるジブラルタール海峡に突き出した大きな岩山とその対岸のアフリカ大陸のレオナ岬を意味するようである。説によっては、「スペインと中南米の領土をあらわしている」というものもある。
左右の「ヘラクレスの柱」に巻かれているものには、「PLUS ULUTRA (もっと遠くへ)」と書かれている。この柱には、もともと「ここは世界の果てである」と書かれていたそうなのだが、スペイン人がアメリカ大陸にたどり着いた後に、当時の国王が「PLUS ULUTRA」と書き直させたという言い伝えがある。

スペイン主要都市地図

現在においても、スペインでは個性的な言語が各地で存在している。具体的には、スペイン北東部で地中海沿岸のカタルーニャ地方 (バルセローナがその中心地)で話されている「カタルーニャ語」、スペイン北西部のガリシア地方 (有名なところといえば、サンティアゴ巡礼のゴールであるサンティアゴ・デ・コンポステーラなど)で話されている「ガリシア語」、そしてゲルニカなどで有名なスペイン北東部地方にあるバスク地方で話されている「バスク語」などである。我々がよく言う「スペイン語」というのは、かつてスペインの内陸部のカスティーリャ地方で話されていた「カスティーリャ語」のことである。、「スペイン語」はスペイン国内で話されている1地方言語だったのである。現在3億5000万人以上の人が世界中で「スペイン語」を話しているのは、歴史的背景でカスティーリャ地方にあった国 (カスティーリャ王国)が強かったからである。

他にもサッカーがさかんであると言われているイングランドやイタリアには、言語学的に国内に異言語が存在するという事実はない。そう考えると、「リーガ・エスパニョーラ」は、ある種の「異文化対抗マッチ」と言えるのかもしれない。

以下は、「ダービー戦」について述べていきたいと思う。「ダービー戦」とは、「同じ地方、都市、地区又はホームスタジアムであるチーム同士の試合」のこと。もともとは、「イングランドの中部にある「ダービー」というところで、毎年聖ペテロ教会とオールセインツ教会の二つの教会区に分かれて、文字通り町を二分して行われるフットボール (近代サッカーとは異なるもの)の試合があった。そのため、町、あるいは該当する地域を二分して激しい試合が行われることを「ダービー」と呼ぶようになったのだ」という。簡単に言ってしまえば、1つの場所で対立する2つのチームが戦うことを指すわけであり、相対する2つのチームの対立する度合いが強ければ強いほど、当然ながら「敵対心」が生まれ、より熱い(ときには熱すぎる)勝負が繰り広げられるのである。

3-3-2 スペイン・ダービー (エル・クラシコ)

スペイン国内での「地域」色の豊かさを反映したサッカーの試合といえば、知る人ぞ知る、「スペイン・ダービー」である。つまり、「レアル・マドリー (以下「レアル」と称する)対FCバルセローナ (以下「バルサ」と称する)」である。スペインでは「クラシコ・デルビー」とか「エル・クラシコ」とか単に「クラシコ」とも呼ばれている。日本語では「伝統のダービー戦」とでも訳しておけばよいのだろうか。

- レアル・マドリー FCバルセローナ
ホームタウン マドリー自治州
マドリー自治州
マドリー
カタルーニャ自治州
カタルーニャ自治州
バルセローナ
ホームスタジアム
サンチャゴ・ベルナベウ カンプ・ノウ
75.000人収容 98.000人収容
リーガ・エスパニョーラ
(全74シーズン)
優勝 29回 17回
準優勝 16回 21回
コパ・デル・レイ (国王杯)
(全102回)
優勝 17回 24回
準優勝 19回 9回
スーペル・コパ 優勝 5回 6回
準優勝 7回 2回
チャンピオンズ・リーグ 優勝 9回 1回
準優勝 3回 3回
カップ・ウィナーズ・カップ 優勝 0回 4回
準優勝 2回 2回
UEFAカップ 優勝 2回 3回
準優勝 0回 1回
ヨーロッパ・スーパー・カップ 優勝 1回 2回
準優勝 2回 3回
インターコンチネンタル・カップ 優勝 3回 0回
準優勝 2回 1回
エル・クラシコ・データ ホーム
成績
48勝14分13敗 44勝14分17敗
全成績 65勝14分57敗 57勝14分65敗
ホーム
得失点
161得点77失点 150得点88失点
全得失点 249点227失点 227得点249失点
ワン・ツー・フィニッシュ リーガ 12回 (レアルが1位・バルサが2位) 8回 (バルサが1位・レアルが2位)
国王杯 2回 (レアルが優勝・バルサが準優勝) 4回 (バルサが優勝・レアルが準優勝)

スペイン国内でも「伝統の一戦 (エル・クラシコ)」と言われるとおり、この2チームがスペインのサッカーを盛り上げてきたといっても過言ではないだろう。特に優勝・準優勝のワン・ツー・フィニッシュとなったシーズンは、「リーガ・エスパニョーラ」では20シーズン(約4シーズンに1シーズンの割合)、「国王杯」では6回(約17回に1回)にのぼっている。数値的に見ると、ややレアル・マドリーの方が分はいいが、この2チーム以外のチーム成績を比べて見ると、やはりこの2チームが群を抜いていると言わざるを得ない。

しかし、このチームの「ダービー・マッチ」が盛り上がるのは、単に「リーガ・エスパニョーラ」内で突出した力を持った「強いクラブチーム同士」の戦いだからだ、というだけではない。マドリーとバルセローナという2つの都市が持つ文化的なもの、2つの都市が持つ歴史などのサッカー以外の要素がクラブチームと絡んで、ダービー戦をより盛り上げているのである。

バルセローナのあるカタルーニャ地方は、中世は「カタルーニャ・アラゴン王国」という国があり、イベリア半島東部から南部沿岸の地中海を征服していた海洋国家であった。一方のマドリー周辺には、トレドを中心に急進的な宗教国家(キリスト教)の「カスティーリャ王国」が存在していた。両国に転機が訪れたのは、1468年に「アラゴン・カタルーニャ連合王国」の皇太子のファラン(スペイン語名で「フェルナンド」)と「カスティーリャ王国」の王女イサベルが結婚した時であった。後に、両者はそれぞれの国の国王・女王となるのであるが、年表にあるような「スペイン統一」は為されたわけではなかった。依然として両国とも「存在」しており、単に国のトップ同士の人的な結びつきがあったにすぎなかったのである (両者の仲はよく、国家レベルにおいても、署名はイサベルが先で国家紋章はアラゴン・カスティーリャ王国が先というような取り決めまでなされていたのだという)。

彼らが国のトップに立った時はまだ「レコンキスタ(国土回復運動)」の真っ最中であった。つまり、イベリア半島には依然としてイスラム勢力が残っており、彼らを半島から追い出すという事業を行なっていた最中であった。「アラゴン・カタルーニャ王国」は、「カスティーリャ王国」の政策を譲歩しながらも受け入れ、念願の「レコンキスタ」を完了させた。その後、彼らの孫のカルロス1世の時代になると名実ともに「スペイン」が統一される。それと共に、カタルーニャ地方で話されていた「カタルーニャ語」が次第に社会の表面から消えていくことになる(日常生活では残った)。当時は、アイデンティティだの何だのというより生活の安定の方が重要視されていた時代であった。両国が統一された後のカタルーニャ地方の農民の生活は徐々によくなっていたし、当時は文字を読める人が少なかったため、容易にカタルーニャ語からカスティーリャ語(スペイン語)へと切り替わっていったのである。

- ブルボン家 ハプスブルク家
王位継承主張者 アンジュー公フィリップ (1700年にフェリーペ5世として即位) カール大公 (1703年に即位)
国内問題 主体 カスティーリャ王国 アラゴン連合王国
主張 スペインの没落傾向に歯止めをかけるため、国王の絶対的権力と中央集権化政策を求めた。 親戚関係にあったオーストリア・ハプスブルク家から新国王を。あくまで既存の"緩やかな連合"を主張。
国際問題 主体 フランス 対仏連合
(イギリス/オランダ/神聖ローマ帝国/ポルトガル)
主張 スペイン王位をブルボン家に継承させることで、スペイン領土(無論、新大陸も含む)の獲得を目指す。 「新大陸」の大西洋貿易による富をフランスに独占させたくない!!
アラゴン連合王国に対しては、旧アラゴン王国の地域が以前より持っていた地域特権の擁護を約束。

カタルーニャ地方の没落は、1701年の「スペイン王位継承戦争 (Guerra de sucesión)」によって決定的となった。この時期になると、スペインの没落ぶりは明らかで、国王はハプスブルク家のカルロス2世であった。カルロス2世は、病弱で、性的に不能で嫡子を設けることができず、王の異母姉はフランスのルイ14世(太陽王)に嫁ぎ、妹は神聖ローマ帝国皇帝のレオポルト1世に嫁いでいたため、カルロス2世の死をここぞとばかりに待っていたのだ。カルロス2世が死亡し、その遺言には、「ルイ14世の孫のフィリップ」を跡継ぎに指名すると書いてあった。しかし、フランスの領土拡大を恐れたオーストリア、イギリス、オランダは直ちに神聖ローマ帝国皇帝のレオポルト1世の子のカール大公を跡継ぎにすることを主張し、スペインの王位継承をめぐる戦争が勃発したのである。カタルーニャ地方は、弱体化していたハプスブルク家には地方特権に対しての擁護姿勢があったことなどもあり、カール大公の支持に回った。結果は、紆余曲折があり、オーストリア、イギリス、オランダが手を引き、カタルーニャは孤立し、ついにブルボン家のスペイン軍に敗れてしまった。

ブルボン・スペインは、厳しい中央集権を敷いた。スペイン国内で最後までブルボン家に対抗してきたカタルーニャには特に厳しい態度で臨んだ。州政府が廃止され、地方組織も廃止され、カタルーニャ独自の法律や特権も廃止された。カスティーリャ語(スペイン語)の使用を義務付けた。官途に就いて出世することや政治家になることはできなくなった。しかし、皮肉にも、これらの政策がカタルーニャを蘇らせることにもなった。彼らは政治の分野では何もすることができなくなってしまった一方で、「産業」に集中することができるようになった。これは、この後スペインがさらに没落していく一方で(1898年の「米西戦争」にも敗れた)、スペイン国内で唯一「産業革命」を成功させた。この時期ぐらいから、カタルーニャの中心地であったバルセローナでは「芸術」や「文化」も輝きを見せる。アントニ・ガウディなどはその典型である。

このような時期の中、バルセローナに「FCバルセローナ」が(1899年)、マドリーに「マドリー・フットボール・クラブ(後のレアル・マドリー)」(1902年)が生まれた。

カタルーニャと中央のマドリーの激動の歴史はこれでまだ終わらない。

経済的発展の代償として、貧しい工場労働者といった新しい社会的階層が誕生した。彼らは貧困のために街中でテロ行動などを起こし、社会的問題になっていた。この社会的問題に対して、政党政治は何もできず、独裁者プリモ・デ・リベラ将軍による独裁政治を、カタルーニャのブルジョワたちは願った。プリモ・デ・リベラ将軍は、一端はカタルーニャの文化や言語を認めると言ったものの、政権の中枢に就くとその約束を反故にし、弾圧を始めた。しかし、プリモ・デ・リベラの政治は世界恐慌などの影響もあり、長くは続かなかった。その後に登場したのは、「共和国政府」である。国内カップ戦の名称が「国王杯」から「共和国大統領杯」と改称されたのもこの時期である。この政府の基では、自治政府が認められ、一時的に政治的自立が保障された。

しかし、フランコ将軍がクーデーターを起こし、3年にわたってフランコと戦ったが敗れ(カタルーニャ自治政府は無論「共和国政府」を支持した)、その後は再びカタルーニャにとっては暗黒の時代を迎えることになる。政治的な側面はもとより、文化的なもの、社会的なものまでもが徹底的に弾圧された。カタルーニャ語の民俗芸能やカタルーニャ語による本の出版はもちろん、氏に至るまで(例えばジョルディと呼ばれていたものをホルヘと名乗らなければならなくなる)、徹底した弾圧が行なわれた。

こうした中で、レアル・マドリーは政府に近い財界人と手を結び、「第1期黄金時代」を迎えていた。現在のレアル・マドリーの本拠地である「サンチャゴ・ベルナベウ・スタジアム」の名称は、この時期の敏腕会長であったサンチャゴ・ベルナベウ氏の名前が由来している。彼は、バルサとのアルゼンチンのスーパースターであったアルフレッド・ディ・スティファーノの獲得戦に勝利し、アルフレッド・ディ・スティファーノの活躍で、「チャンピオンズ・カップ(後の「チャンピオンズ・リーグ」)」5連覇という偉業を成し遂げていた。

一方のバルサは、固有の言語であった「カタルーニャ語」の使用を禁止され、自治権も剥奪され、中央政府に対して抵抗する術を持っていなかった。しかしサッカーがそれを可能にした。したがって、「中央」の加護を受けていたと言われるレアル・マドリーに勝つことがカタルーニャ人の喜びにもなっていた (しかしながら、カタルーニャ出身選手の活躍というよりは外国人選手の活躍の方がどちらかと言えば目立っていた)。こうして両チームの戦いは、よりエキサイトしていったのである。

フランコの死後、憲法によってカタルーニャ語は公用語としても保障され、また多様なスペインの文化を尊重しなければならないという規定も設けられた。しかし「あの頃」に弾圧された歴史は拭い去ることはできない。したがって、現在も「クラシコ」は、一種の「異文化圏戦争」の如く激しいものになっているのである。

近年は、特にバルサのアイドルであったポルトガル代表のスーパースターのルイス・フィーゴが、高額な移籍金でレアル・マドリーに移籍し、そのおかげで、カンプ・ノウ・スタジアムでは大ブーイングが毎年起こっている (彼はスペイン語で「金の亡者」を意味する「Pesetero」と呼ばれるようになる)。2002-2003シーズンのカンプ・ノウで行なわれた「クラシコ」では、ウイスキーのビンや豚の頭までがピッチに投げ込まれるという騒ぎまで起こっている。これはやりすぎだと思うが、移籍時の彼の態度の豹変振りを見れば、怒りたくなるファンの気持ちも分からないわけではない。しかしやりすぎだ。

今後もおそらく「クラシコ」は盛り上がるに違いない。しかし、サポーターの極めて卑劣で暴力的な行為によって「クラシコ」が妨害されるのはやめてもらいたい。神聖なピッチの上では、サッカーでこの「異文化圏サッカー戦争」を戦ってもらいたい。極東のスペインのサッカーの「1ファン」の小言かもしれないが、今後の発展のためにもそれだけはお願いしたいと考える。

3-3-3 その他のダービー

「リーガ・エスパニョーラ」は、「地域」間の争いが面白いと言われることがよくあるがそれだけではない。やはり、他の国のプロ・リーグと同じように、同じ都市に存在するチーム同士の戦いもまた面白い。それは、イタリアのミラノ・ダービーにおけるACミランとインテル・ミラノと同じように、チームの創設当時からの歴史 (創設者や創設当時のチーム状況やサポーターなど) が異なるためである。

ここでは、スペイン国内でも盛り上がると言われている「マドリー・ダービー」「バルセローナ・ダービー」「バスク・ダービー」「ガリシア・ダービー」「セビーリャ・ダービー」を、チームの創設時の背景から現在の状況に至るまでを簡単に紹介したいと思う。

[マドリー・ダービー]
-
レアル・マドリー
アトレティコ・マドリー
設立
背景
フランコ時代には「政府のチーム」と呼ばれ、スペインの中央集権のシンボルとして言われることも少なくなかった。しかし、チームの初代オーナーはカタルーニャ人である。 マドリー市内で学ぶ3人のバスク人が設立したチームで、アスレティック・ビルバオのファンの社交クラブから始まったクラブチームである。
近年の
特徴
ポルトガルのフィーゴやフランスのジダーンなどのスーパープレーヤーを金銭的な力で獲得していった。スペインサッカー界の「読売」といったところだろうか...。2001-2002シーズンには欧州チャンピオンに輝いている。 球団の財務スキャンダル・オーナーの逮捕などで2部Aに落ちていたが、2002-2003シーズンから1部リーグに戻ってきた。決して人気があるほうではないが、伝統的に強いチームである。2002-2003シーズンの優勝候補にもなっている。

アトレティコ・マドリーもレアル・マドリーも共にスペインのサッカー史に輝かしい歴史を残してきた。最近でこそ、レアル・マドリーが圧倒的にリードしているが、それでもマドリー・ダービーは毎年盛り上がるダービーである。

[バルセローナ・ダービー]
-
FCバルセローナ
エスパニョール
設立背景
及び
チームの
特徴
イングランドに留学経験のある紳士が設立したチームで、「地元の人間だけで構成するチーム」であることを謳ったが、現実にはチーム内に「カタルーニャ人」は多くなく、外国人が多数を占めていた。「カタルーニャ」を代表するチームなのに「カタルーニャ人」が少ないのは皮肉な「矛盾」である。 バルセローナ大学で工学を専攻する学生によって設立されたチーム。創設の辞で「我々はFCバルセローナの"外国人"に対抗するために設立する」と言ったことや名前から、カタルーニャの右派チームとしての性格を帯びていると言う人もいる。

バルセローナといえば、アントニ・ガウディやダリなど、多くの芸術家を輩出した地域でもあるせいか、より芸術的でスペクタクルなサッカーをサポーターからも要求されることが多いようである。両チームとも歴史のあるチームだが、リーガの優勝回数や国王杯の優勝回数などの記録は、圧倒的にバルセローナに分があり、チーム力に開きがあるためか、あまり盛り上がらないという人もいる。ちなみに、エスパニョールは、日本代表の経験もある西澤選手が所属していたチームである。

[バスク・ダービー]
-
アスレティック・ビルバオ
レアル・ソシエダ
チームの
特徴
「地元出身の選手で構成されたチーム」という概念は、未だ引き継がれている。つまり、「バスク人」以外の選手は採らないということを意味する。厳密に考えていくと、「コジツケ」の感も否めないが、人口約300万人の地域から優れた選手を輩出し、さらにスペイン代表を最も多く輩出している地域なのだからスゴイというしかないだろう...。 「地元出身の選手で構成されたチーム」で、「バスク人を採る」という概念は「アスレティック・ビルバオ」と同様であるが、「外国人」は採る。2002-2003シーズンに再び来た「ロシアの皇帝」モストボイは、「外国人」を採ったといういい例である。しかし、「スペイン人」は採ろうとはしないようである。上の3つのダービーと比較して、相対的にではあるが、チーム仲はまぁまぁよいようである。

バスク地方は、「カンテラ (石切工の意味で、クラブチームの下部組織を意味する)」のシステムがしっかりしている。歴代の「スペイン」代表に、バスク地方出身が多いのは興味深い。この地方の出身者は、他の地方の出身者と比べても体が大きい。サッカーのスタイルも、ショートパスでつなぐスペイン的な(?)サッカーよりも、イングランドの直線的なサッカーが行なわれていると言われている。

[ガリシア・ダービー]
-
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
セルタ・デ・ビーゴ
歴史
1990年頃までは、両チームとも2部と1部を行ったり来たりしていたエレベーターチームであった。しかし、ブラジル人をはじめとする「外国人」の補強によりクラブの力は伸び始め、近年ではスペイン国内だけではなく、ヨーロッパでも活躍できるチームに成長した2チームである。
みどころ 1999-2000シーズンにスペインの北西部にあるガリシア地方にあるチームで初のチャンピオンに輝いたチーム。最近ではUEFAチャンピオンズリーグの常連にもなりつつあり、ヨーロッパの強豪の1つにもなろうとしている。 「セルタ (Celta)」とはスペイン語で「ケルト」の意味。クラブはビーゴという街にある。ここ10年間で、1部リーグの常連にもなり、上位の常連にもなってきているチームである。

ガリシア地方は、バスク地方とは違って、「カンテラ」はあまり発展していない。むしろガリシア語に近いポルトガル語圏 (ポルトガルやブラジル)の外国人が入ってくることでクラブチームが強くなっている。

[セビーリャ・ダービー]
-
セビーリャ
レアル・ベティス
歴史
セビーリャは、1905年に地元の炭鉱の従業員によって創設された。地主階級の人間が長を務めていた。しかし、セビーリャの幹部が身分の低い選手を差別して試合に出場させなかったため、それに反発して創設されたチームがベティスである。今でも仲の悪いチームであると言われることがある。最初のダービーは1917年の元日に行なわれた。
<<セビーリャとベティスの表と裏>>
サポーター 比較的上流階級が多いと言われている。 貧しい労働者が多いと言われている。
カップウィナー
になった年
1939年。競技が再開し、カップ戦の名前が「総統杯」と改められてからの最初の優勝。これを含み3回(1935年,1948年)優勝している。 1977年。折りしもカップ戦の名前が「総統杯」から「国王杯」に戻された時の最初の優勝チーム。カップ戦で優勝したのはこの1度のみ。
1947年 国王杯でも優勝し、リーグ戦でもチャンピオンに。黄金時代を迎えていた。 地獄の「3部リーグ」に落ち、チームはどん底状態。
現在 1995年からの数シーズンを2部リーグで過ごす。2000-2001シーズンに1部に昇格。現在リーグの中位層で活躍。 1990年に入り、次第に実力をつけ、2000-2001シーズンに1部に昇格。その年に上位に食い込む活躍を見せ、2002-2003シーズンではUEFAカップにも参加した。

セビーリャは、前述したとおり、スペイン国内で最も「熱い」応援をするサポーターが大勢いると言われている。セビーリャとベティスを応援することはもちろんであるが、実は、「スペイン代表」の応援もこの地域の人々が最も熱心であると言われている。このせいか、セビーリャのホームグラウンドである「サンチェス・ピスファン」で行なわれるスペイン代表の勝率は、「サンチャゴ・ベルナベウ」や「エスタディオ・オリンピコ」で行なわれる試合の勝率よりも格段に高いといわれている。


4. リンク集


筆者も本や雑誌でサッカー情報を集めることはあるが、インターネットは速報性という面においてはやはり本や雑誌にはかなわない。筆者がよく活用しているサッカーサイトを紹介したい。

ホームページ名 使用言語 内 容
FIFA 西語・英語 国際サッカー協会のホームページ。ホームページでは、国別のサッカーランキングや国際Aマッチの最新情報などを発表している。
RFEF 西語 王立スペインサッカー協会 (Real Federación Española de Fútbol) の公式ホームページ。国王杯の情報やスペイン代表のコンテンツが充実している。
LFP 西語 スペイン・プロ・フットボール・リーグ (Liga Nacional de Fútbol Profesional)の公式ホームページ。試合の最新情報が手に入る。
MARCA 西語 スペイン最大手のスポーツ紙のウェブ・サイト。レアル・マドリー贔屓としても知られている。移籍情報などはここから仕入れている。
AS 西語 スペイン大手のスポーツ紙のウェブ・サイト。移籍情報などはここから仕入れている。
El Mundo Deportivo 西語 バルセローナで発行されているスポーツ新聞のウェブサイト。
UEFA 西語・英語・日本語他 ヨーロッパサッカー協会の公式ホームページ。チャンピオンズ・リーグやUEFAカップのレポートなどは見ていて面白い。日本語にも対応している。左のリンクは日本語ページへリンクがされている。
soccer-spain.com 英語 スペインのサッカーの最新の情報が事細かに記載されている。情報は、スペイン代表はもちろん、2部Aや2部Bにまで及んでいる。簡易な英語で書かれているので、筆者でも十分に読める。
ふっとぼーる・えすぱにょーる 日本語 スペインのサッカーの情報を日本語で分かりやすく説明。しかし最新情報 (試合結果速報や順位表など)はLFPやYAHOOなどにリンクしてあるのみなので、それは使いにくい。
WSDNET.COM 日本語 日本スポーツ企画出版社が出しているサッカー専門誌「WORLD SOCCER DIGEST」のウェブサイト。最新のサッカー情報が日本語で分かりやすく載っている。
WSG NET 日本語 サッカー専門誌「ワールドサッカーグラフィック」のウェブサイト。会員制のコンテンツもあり、充実している。
SPORTSNAVI.COM 日本語 スペインサッカーのニュースをコンパクトに伝えるサイト。ここのサイトのコラムも必見である。
SponichiAnnex 日本語 サッカーの情報を詳しく分かりやすく伝えるスポーツ紙「スポニチ」のサイト。

日本語だけではなく、英語やスペイン語で書かれたサイトまで紹介してみた。しかし、特定のチームを応援する、いわゆる「ファンサイト」の紹介は敢えてしなかった。ここからは読者の皆さんにご自身の手で探してもらいたい。ウェブサイトを探すのも、インターネットの面白みだからである。スペインのサッカーが初めてだという人は、上のサイトから情報を得るといいと思う。


5. 演習問題


下記の問いに答えなさい。講義ノートや書籍やインターネットなどを見ても構わないが、自分の言葉で答えるようにしなさい。

  1. 「産業革命」について、下記の問いに答えなさい。
    1. 「産業革命」とは何かを、「機械の大規模な導入」「機械制工業」という言葉を入れ、さらに、産業革命によって主軸となった商品名及び商品生産様式の変化に触れながら説明してみなさい。
    2. 「産業革命」が勃興した後は、「機械制工業」が生産様式の中心となっていきましたが、「機械」を買うための「元手(資本)」が必要となります。「元手」が確保できた要因として、いくつかのことが考えられますが、各国との「植民地抗争」にイングランドが勝利したという要因もその中の1つとして考えられますが、それを踏まえて下記の問いに答えなさい。
      1. イングランドとフランスがスペインの王位継承をめぐって争った戦いを何と言うか、また何年に起こったのかを正確に答えなさい。
      2. イングランドとフランスがスペインの王位継承をめぐって争った戦いの後、1713年に結ばれた講和条約名を答えなさい。
      3. 前の問いの講和条約によって、イングランドはフランスに対して何を認めたか、またフランスはイングランドに対して何を認めたかを答えなさい。
      4. イングランドがフランスから手に入れたモノによって、イングランドはどのような点について「トク」をしたのかを簡潔に答えなさい。
  2. イングランドのサッカーについて答えなさい。
    1. イングランドで初めてFAカップが始まったのは何年か?
    2. 現在の「プレミア・リーグ」のように、イングランド国内にあるクラブチームの総当たり戦が実施されるようになったのは何年のことか?また、リーグ戦は何を参考にして始められたものかも併せて答えなさい。
    3. イングランドやスコットランドなどを除いて、多くの国では、カップ戦の権威が低下の一途をたどっているといわれている。その原因について、多角的な視点で考察してみなさい。
  3. 2005-2006シーズンにおいて、UEFAチャンピオンズ・リーグの本戦から出場できるスペインのチームに所属し、かつ2006年ワールドカップドイツ大会にプレイオフの末に出場することのできた国のヨーロッパの代表チームに所属する選手がいるとします。そこで、リーガ・エスパニョーラで「優勝」し、国王杯でも「優勝」し、UEFAチャンピオンズ・リーグにも「優勝」しかつワールドカップでも「優勝」したとすると、2005-2006シーズン中に全部で何試合出場しなければならないかを求めなさい。また、2003-2004シーズンから、UEFAチャンピオンズ・リーグで、「第2次リーグ戦」(リーグ戦の後にまた16チームで4つのグループに分けて上位2チームが準々決勝に進むという「リーグ戦」が行われていた)が存在したが、もしUEFAチャンピオンズ・リーグがそのような形式で実施されていたとすると、現行制度と比べて何試合分多く試合を行わなければならないのかも求めなさい。
  4. 2005年10月24日付のspainnews.comで、「バレンシア自治州政府、FCバルセローナの試合中のカタルーニャ諸国圏旗に憤慨」というニュースが取り上げられていました。この事件は、「FCバルセローナ対オサスナ戦の前半終了後の15分間の休憩中に、FCバルセローナのホームであるカンプ・ノウで起こったもので、CAL (カタルーニャ語協会)のコーディネータがピッチ上にカタルーニャ語推進に賛成する横断幕とカタルーニャ諸国圏の地図の旗を掲げたが、その地図中にバレンシア州が含まれていたことに対して、バレンシア自治州政府が憤慨した。」というものですが、カタルーニャ語諸国圏にバレンシア自治州が含まれていることがなぜ望ましくないとバレンシア自治州政府が感じたのかを、スペイン国内の言語事情を踏まえて考察してみなさい。
  5. 昨シーズンと今シーズンのリーガ・エスパニョーラの順位を、1部リーグから3部リーグまで調べ、リーグ間の昇格と降格の規定がどのように運用されているかを確かめなさい。また、今シーズンにリーガエスパニョーラ(1部リーグ)に所属しているチームについて、チーム名・チーム設立年・ホームグランド名・ホームグランド収容人数・チームのある都市名・チームのある自治州名を調べてみなさい。
  6. 「国王杯」について次の手順にしたがって答えなさい。
    1. 2000-2001から2004-2005シーズンまで採用されていた「方式」について調べてみなさい。
    2. 2005-2006シーズンより採用されている「方式」とこれまで採用されていた「方式」と、制度比較をしてみなさい。
    3. 制度を比較した後、このような制度改正が行われた理由を、王立スペインサッカー協会(RFEF)のサイトなどを参考にしながら考察しなさい。
  7. 世界のクラブチームについて答えなさい。
    1. 現在、世界各地に様々なクラブ・チームが存在するが、次にあげるクラブ・チームの歴史を、設立年・場所(国名と都市名)・イングランド人との関わり及びその他の事由について調べてみなさい。
      1. ACミラン
      2. インテル
      3. ラツィオ
      4. ASローマ
      5. グラスゴー・レンジャーズ
      6. セルティックス
    2. 前問の1.から6.のチームの中で、いわゆる「ダービー戦」として有名なチームの組合せを述べなさい。
    3. 前問で答えた組合せで「ダービー戦」が盛り上がるのはなぜか?クラブ・チームが設立されたきっかけとサポーターの構成という観点から簡潔に述べなさい。

6. スタッフ・クレジット


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