アメリカ合衆国における法制度の概要


Written by Kashiroman


目次


  1. はじめに
  2. アメリカ合衆国の歴史
    1. 大陸法と英米法
    2. 植民地の誕生
    3. アメリカ植民地の概要
      1. 植民地経営の仕組み
      2. 植民地の経済の様子
    4. アメリカの独立
    5. アメリカ合衆国の誕生
  3. アメリカの政治制度
    1. 立法権と行政権
      1. 連邦の立法権
      2. 州の立法権
      3. 連邦の立法権を制限する理由
      4. 大統領
    2. 司法制度
      1. アメリカの司法制度
      2. 裁判管轄権の問題
    3. アメリカの違憲立法審査制度
      1. 違憲立法審査制度とは?
      2. Marbury v. Madison, 5 U.S. (1 Cranch) 137 (1803)
      3. 違憲立法制度を支える考え方
  4. 確認問題・発展問題
  5. スタッフクレジット

1. はじめに


ぼくが初めて日本以外の地を踏んでから今年(2004年)でちょうど10年が経った。

本稿はそれを記念して、ぼくがそれ以来10年にわたって一番勉強してきた「法律学」の観点から、日本以外の地を初めて踏んだ「アメリカ合衆国」という国を改めて勉強してみようという趣旨で編纂した。

本稿は、「法制度の歴史」「アメリカ合衆国建国の歴史」「アメリカの権力制度」及び「アメリカの法制度の根底にある法思想」の4点に絞ってアメリカの法律について述べてみた。「アメリカの現在」を語る本やインターネットの情報は数多いが、意外にアメリカの法制度の根幹に関わるような雑学的な側面でかつ法律の初学者や一般向けに書かれたものは少ないように思える。

今年はアメリカに行って10年という年であるという運命的な年でもあるため、普段は「スペイン法」についての情報を提供しているぼくには似合わない「アメリカ法」の情報をインターネット上で提供してみようということにしたのである。

本稿の特徴として、「確認問題・発展問題」というものが巻末にある。これは、本編の確認的な内容を含んでいるのはもちろんであるが、本編に記述を載せると文章の流れが悪くなってしまう事項やさらに深いレベルでの理解を促すために作成した問題である。ぜひすすんで挑戦してもらいたいと思う。

それでは内容をお楽しみください。

*本稿は、拙稿「アメリカの法律について語ろう」(絶版)を大幅に修正・加筆を行なったものである。

2. アメリカ合衆国の歴史


2-1 大陸法と英米法

現在、講学上では世界には大きく2つの法体系があると言われている。1つは「大陸法」と呼ばれる法体系で、もう1つは「英米法」と呼ばれる法体系がある。

(1)大陸法 (演繹的アプローチ)

法律は条文という形で存在しており、条文に規定されている内容にしたがって法の運用(紛争の解決)がなされる。

(2)英米法
(帰納アプローチ)

法律の条文という形は存在せず、事実から出発して、当該紛争を解決する手段として法を創造する。そして、判決によって生み出された法理は、すべての事例に一般的に通用するのではなく、それと同じ事実が生じたときにのみ適用されるに過ぎない。

「大陸法」は、あらかじめ条文という形で法が存在しているため、ルールの全体を理解するのが比較的容易である。その上、ルールは全て事前に示されているので、自分の行動がルールに違反するかどうかをあらかじめ知ることができる点でメリットがある。しかし、法的秩序を重視する傾向があるために、結論の妥当性に問題のある判決が出る傾向がある。

それに対して「英米法」は、紛争を解決するために事実から出発するため、理屈よりも具体的妥当性を尊重できる。似た事例について先例が存在する場合であっても、裁判官が、その先例に拘束されるのを避けたいと考える場合には、先例となる事件にさかのぼって事件を分析し、当該事件と先例となる事件の間にある事実の相違を指摘し、両者を区別することによって新たな法理を展開することができる傾向がある。その一方で、条文という形がないために、法律の全体像が把握しにくい。

具体例を挙げてみよう。

[説例]

欠陥自動車によって購入者Xに事故が生じた場合、メーカーYに対して責任を負わせることができるのだろうか。

大陸法的なアプローチの場合(日本法で当てはめて考えると)、まず事実に適合する条文を探し、実際に事実を条文に当てはめて法律の解釈を行なうことで結論を出す。この場合、製造物責任法の第2条に規定されている「製造物」にこの「欠陥自動車」が該当するのかや「メーカーY」が「製造業者等」に該当するかなどを検討した上で製造物責任法第3条が適用されて、メーカーYに対してXは責任を負わせることができる。

もし、この法律がないと、民法第709条を適用せざるを得ず、購入者Xは自動車に欠陥があったことをメーカーYに対して証明しなければならず、購入者はメーカーの過失を証明することが困難であり、過失の立証が不十分ということで敗訴する可能性が高い。つまり、条文がないと具体的妥当性に欠ける結論が導き出されてしまう傾向がある(もっとも、条文解釈によって妥当な結論を導き出す方法はあるものの、過度にそれを行ってしまうと条文の趣旨と乖離した結論が導き出される蓋然性が高くなる)。



[参考資料]

「製造物責任法」


  (定義)
第二条 この法律において「製造物」とは、製造又は加工された動産をいう。
2 この法律において「欠陥」とは、当該製造物の特性、その通常予見される使用形態、その製造業者等が当該製造物を引き渡した時期その他の当該製造物に係る事情を考慮して、当該製造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいう。
3 この法律において「製造業者等」とは、次のいずれかに該当する者をいう。
 当該製造物を業として製造、加工又は輸入した者(以下単に「製造業者」という。)
 自ら当該製造物の製造業者として当該製造物にその氏名、商号、商標その他の表示(以下「氏名等の表示」という。)をした者又は当該製造物にその製造業者と誤認させるような氏名等の表示をした者
 前号に掲げる者のほか、当該製造物の製造、加工、輸入又は販売に係る形態その他の事情からみて、当該製造物にその実質的な製造業者と認めることができる氏名等の表示をした者
  (製造物責任)
第三条  製造業者等は、その製造、加工、輸入又は前条第三項第二号若しくは第三号の氏名等の表示をした製造物であって、その引き渡したものの欠陥により他人の生命、身体又は財産を侵害したときは、これによって生じた損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が当該製造物についてのみ生じたときは、この限りでない。
「民法」

  (不法行為による損害賠償)
第七〇九条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。


それに対して英米法的なアプローチの場合、1963年にアメリカではメーカー側に過失がなくてもメーカー側は購入者(消費者)に対して責任を負わなければならない(厳格責任法理)という先例が存在し、本件とその先例が事例として同様のものかを検討し、同じであればその先例の法理を根拠にメーカーYに対して責任を負わせることができる。また、たとえ先例と違っていたとしても、事例のレベルで微々たる違いがあれば、新しい法理を導いてメーカーYに対して責任を負わせることができるのである。

ここで2つの法体系についてまとめておきたい。

- 大陸法 英米法
出発点 法律(条文)からの出発 事実からの出発
法の適用
方法
事件に条文が適合するか判断し、法律を適用する。 過去に似た事件を探し出し、同じ内容のものであれば、過去に出た法理を適用する。異なれば、新たに法理を創造する。
裁判官の
立場
法律の適用者 法の創造者
採用されて
いる国
フランス・ドイツ・スペイン・日本 など イングランド・ウェールズ・アメリカ合衆国・オーストラリアなど

なお、なぜこのような法体系の違いが起こったのかは後述することとする。

2-2 植民地の誕生

周知の通り、アメリカは独立以前はイギリスの植民地であった。1585年に現在のノースカロライナ州に植民地が建設されたのが最初であったが、長続きはしなかった。最初に恒久的に植民地経営が成功したものとしては、1607年にVirginia Company of Londonがジェームスタウン(現在のバージニア州)に建設したもので、有名なものとしては、1620年にピューリタンたちが建設した植民地であった。

彼らがイングランドからアメリカに渡って理由としては、丸山英二「入門アメリカ法」弘文堂・1992年によると、

  1. 植民地経営によって利益を求めようとした大商人の経済的動機
  2. 「第一次囲い込み運動(第一次エンクロージャー)」の結果としての農民の都会流出による貧民の増大の解決策として行なわれた政治的動機
  3. イギリス国教会の支配する本国からの脱出という宗教的動機

などが挙げられている。

植民地の形態としては、4つのパターンがあると言われている。丸山英二「入門アメリカ法」弘文堂・1992年によると、

  1. イギリス本国の政府と直接の関係を持たない社会契約に基づく植民地
  2. 国王の特許状を与えられた社団が植民・経営した自治植民地 (マサチューセッツ・ベイや当初のバージニアなど)
  3. 国王が単数又は複数の個人に与えた領主植民地 (メリーランドやペンシルバニアなど)
  4. 国王の直轄地としての王領植民地 (のちのバージニアなど)

時代を経るに従い、1.の形態がなくなり、やがて2.3.が減り4.が増加した。

2-3 アメリカ植民地の概要

ここでは、植民地の仕組み及び経済状況について解説したい。

2-3-1 植民地経営の仕組み

植民地の経営は、総督(governor)が参議会(council)に助けられながら行なわれていたが、次第に参議会は民選の会議体とともに二院制の議会を構成した。民選議院は予算を可決するという権限を獲得することで総督に対するコントロールを強めた。 司法権は、総督と参議会が掌握していた。

議会で承認された法律は総督が裁可し、すぐに本国であるイギリスにもっていかれて審査を受けなければならなかった。そして国王が否認すれば、その法律は失効とされた。また、植民地でなされた裁判に対しては本国の枢密院に対して上訴できる制度が整っていた。

法制度は、イギリスの植民者たちによって、イギリスのコモン・ローが導入されたが、決してそれは急速に行われたものではなかった。その理由としては、

  1. イギリスとアメリカの生活環境の違いのため。
  2. イギリス法に関する資料が少なかったため。
  3. イギリス法は事実を基にしてそこから法を創造するという性質を持つ法体系であるため、コモン・ローを知らない人にとってはその運用は難しく、法律家の人数が少なかったため。また、その法律家も嫌われていたため数が増えなかったため。
  4. イギリス法やイギリスの事柄に反感をもつ植民地人が少なくなかったため。

などが挙げられる。とりわけ、植民地経営が始まった初期の頃はイギリス法は定着しなかった。

ところで、アメリカに渡った多くの人たちはプロテスタント諸派(ピューリタンもその一派の1つ)であった。しかし同じプロテスタントといっても宗派によって教義が異なるため対立も多かった。そのせいか、アメリカにあった各植民地同士の政治的なつながりというのはほとんどなかった。

2-3-2 植民地の経済の様子

北部は自営農民による農業や海運業、造船業が主な産業となっていた。一方の南部はプランテーションが発達し、年季奉公人や黒人奴隷を用いて、染料となる藍や嗜好品のタバコといった輸出向け作物が栽培されていた。

このように見ると、アメリカにあった植民地には多様性が見られていたことが分かる。

2-4 アメリカの独立

アメリカの独立までの様子を年表にまとめてみた。

できごと
1763年 7年戦争終結 パリ条約調印
1765年 印紙税法  (Stamp Act)
1766年 印紙税法廃止 (「代表なければ課税なし(No taxation without representation)」)
1767年 タウンゼント諸法 (Townshend Acts)
(イギリス商品不買運動)
1770年 タウンゼント諸法の廃止
1773年 茶法 (Tea Act)
1773年 ボストン茶会事件 (Boston Tea Party事件)
1774年 Intolerable Acts
1774年 第1回大陸会議 「宣言と決議 (Declaration and Resolves of the Continental Congress)」
1775年 開戦 (Boston郊外のLexingtonとConcordにおいて)
1776年 独立宣言 第2回大陸会議
1781年 ヨークタウンの戦いでアメリカ軍勝利
1783年 パリ条約で13邦の成立

イギリスは「七年戦争(フレンチ=インディアン戦争)」(プロシア・イギリス対フランス・オーストリア・ロシア・スウェーデンで争われ、前者が勝ち、イギリスは北米植民地政策でフランスに大勝した)に勝利したものの、財政難に陥り、13植民地(=13邦)に対して経済的規制をかけた。そのような中で1765年に「印紙税法 (Stamp Act)」が出された。これは、全植民地で発行される紙(パンフレットや卒業証書に至るまで)に課税するという法律である。しかし植民地側に取ってみれば「代表なければ課税なし (No taxation without representation)」である。つまり、「植民地側からイギリス本国の議会に議員を出していないのに税金を取られるのはおかしい」ということである。

「印紙税法」は1766年に廃止されるが、これを機にイギリス本国に対する不満は増大していく。それが決定的になったのが有名な「茶法 (Tea Act)」の成立及びボストン茶会事件 (Boston Tea Party事件)」である。イギリス本国政府は、イギリスが経営する東インド会社に対してアメリカへの「茶の輸入独占権」を与えたため、これに反発した植民地に住んでいた住民がボストン港に入港してきた東インド会社の船に積んであったお茶を海中に投げ込んだという事件からいよいよ独立戦争が始まる。

1774年に第1回大陸会議(Continental Congress)が開かれ、ジョージアを除く12の植民地の代表がフィラデルフィアに集結した。その中で、「宣言と決議 (Declaration and Resolves of the Continental Congress)」という文書が採択され、

  1. 植民地の住民は、イギリス臣民としての全ての権利を享有できること
  2. 課税及び内政の全ての事項に関しての立法権は、植民地議会に付されるべきであること
  3. イギリス本国の常備軍を植民地内に駐屯させることは、植民地議会の同意無くしては違法であること

などの内容が盛り込まれた。

しかし独立戦争は順調には進まなかった。独立派の中でも各植民地同士の仲は悪く、アメリカ内にも国王派と呼ばれる独立反対派がいたためである。

1775年5月に第2回大陸会議が開かれ(6年間常設)、大陸連合軍の総司令官にジョージ・ワシントン(George Washington)が指名された。

1776年7月4日にトーマス・ジェファーソンにより「独立宣言」(The Declaration of Independence of the 13 United States of America)が採択された。

しかし、イギリス本国は独立を認めず、武力抗争は続いた。1777年のサラトガの戦いで独立派が勝利を治めた後、フランス・スペインも独立派側に参戦し、イギリスと戦った。

独立戦争が終結したのが1781年。講和条約はパリ条約である。内容は、アメリカに関わるものとしては、

  1. アメリカ東部13州の独立
  2. ミシシッピ川以東のルイジアナ州がイギリスから割譲

である。

2-5 アメリカ合衆国の誕生

1776年から1780年にかけて、各植民地(邦)はそれぞれ自分たちの憲法を作成していく。イギリスから独立した13の植民地は13のState(「邦」と訳す)となった。そして、アメリカ合衆国が誕生するまでは、独立の主権国家であった。

各邦の憲法に共通しているのは、

などが挙げられる。

1777年11月に開かれた第2回大陸会議で、各邦の連合を組織するための規約 (Articles of Confederation)が取り決められた。全ての邦が批准するまでに4年間かかっているが、連合規約を作った目的は、邦が団結することで外圧に力を合わせて抵抗していくためである。 

<連合規約の内容>
(a) 名称
The United States of America (アメリカ連合)
(b) 性格
各邦が、その主権・自由及び独立を保持し、規約の明文によって連合に委譲されていない全ての権限を保持した
(c) 議決機関
Congress(連合会議)で、各邦から2から7名出される代表者で構成される
(d) Congressの権限
  1. 宣戦及び講和
  2. 外交使節の派遣及び接受
  3. 条約の締結
  4. 捕獲に関する規則の制定
  5. 平時における捕獲免許状の付与
  6. 海賊行為・公海上の犯罪を審理する裁判所及び捕獲に関する裁判所の設置
  7. 境界等をめぐる邦間の争いの解決
  8. 貨幣の純度・価値の規制
  9. 度量衡の標準の決定
  10. インディアンとの通商の規定
  11. 邦相互間の郵便事業
  12. 連合の軍隊の組織
  13. 歳入・歳出の決定
  14. 金銭の借入
  15. (各邦に割り当てられる)募兵数の決定
など
(e) 行政機関
  • Congressは連合の事務を処理するに必要な委員会及び公務員を適宜任命できる
  • Congressの休会時は、A Committee of the Statesを設置できる。
    • 各邦1名の代表者から成る。
    • 9邦の賛成によってCongressを開く権限を行使できる。
(f) 司法機関
  • 海賊行為・公海上の犯罪及び捕獲に関する事件を扱う裁判所の設置
  • 境界等をめぐる邦間の争いなどを解決する裁判所
上記のものは特設。したがって通常裁判所はない。
(g) 改正
Congressにおいて賛成されたのち、すべての邦議会で承認されなければならない
(丸山英二著;「英米法」・弘文堂・1999年より)

しかし「アメリカ連合」の権限は弱かった。課税権もなければ徴兵権もない。したがって、アメリカ内で武力衝突があってもそれを収めるものがいなかったのである。また、独立当初のアメリカは、独立戦争時のような軍需がなくなり、イギリス本国からの保護も受けられず、また独立戦争の戦費調達のための公債を発行しており、歳入を上げるために自邦の関税を上げて産業を保護した(邦をまたぐ貿易にすら高い関税をかけた)ため、財政難に陥ってしまった。

そういった状況を打開するために、保守派と呼ばれる人や社会の上層部を中心として、アメリカ連合よりも強力な中央政府を作るべきだという機運が出てきた。連合会議 (Congress)は、このような主張に応える形で、1787年に憲法制定会議 (Constitutional Convention)を開いた。しかし、強力な中央政府を作るべきとするフェデラリスト (Federalist)と各邦の権限を強くしておくべきだとするアンチ=フェデラリスト(Anti-Federalist)との間で対立があった。傾向として、小さな邦は中央政府でも大きな邦に負けないように自分のところの邦の権利主張がきちんと行なえるようにするためにできるだけ中央政府の権限を小さくしておきたかった(多数決でどうしても大きな邦の方が発言力は大きくなる)のに対して、大きな邦は中央政府で大きな権力を握りたいために中央政府の権限をできるだけ大きくしておきたかったのである。 

例えば、中央政府の議員数・議決権の問題がある。大きな邦(例えばバージニア邦)は、議員数(票数)を人口または連邦の拠出額に比例して配分すべきだと主張した。つまり、大きな邦の方が得をすることになる。それに対して小さな邦(例えばニュージャージ邦)は、連合規約と同様に各邦1票ずつとすべきだと主張した。

この争いは、結局両者が妥協して下院は「人口に比例した数」、上院は「各州2名ずつ」ということで決着がついた。現在のアメリカの連邦議会の制度と同様の内容となったのである。

1787年の9月に合衆国憲法の最終案が確定し、12邦の代表がそれに署名した。

<合衆国憲法の内容>
名称
The United States of America (アメリカ合衆国)
性格
国家連合ではなく、「連邦国家」である。
立法部
(連邦議会)
二院制である
  • 上院=各州2名の議員 (任期は6年・2年ごとに3分の1ずつ交替する)
  • 下院=人口に比例した数 (任期は2年)
合衆国の
権限
(連邦議会
の立法権限)
  1. 租税・関税の賦課徴収及び歳出
  2. 金銭の借入
  3. 外国との通商及びインディアン部族との通商を規制すること (Commerce Clause)
  4. 帰化に関する統一的規則及び破産に関する統一的法律を制定すること
  5. 貨幣の鋳造及びその価値の規制及び度量衡の標準の設定
  6. 合衆国の証券及び通貨の偽造に対する罰則の規定
  7. 郵便局及び郵便道路の建設
  8. 著作権及び特許権の設定
  9. 最高裁判所の下に下級裁判所を組織すること
  10. 公海上の犯罪及び国際法に対する犯罪を定義し、処罰をすること
  11. 戦争の宣言、捕獲免許状の交付、捕獲に関する規則の設定
  12. 軍隊の徴募・維持
  13. 海軍の徴募・維持
  14. 陸海軍の統制・規律に関する規則の制定
  15. 民兵の召集に関する規定
  16. 民兵の組織・武装・訓練等に関する規定
  17. 合衆国の首都が所在するコロンビア地区に対する事項に関する専属的立法権
  18. 上記の権限及びこの憲法により合衆国政府又はその省庁もしくは官吏に対して付与された他の全ての権限を行使するために、必要かつ適切なすべての法律を制定すること (Necessary and Proper Clause)
行政部
(大統領)
  • 大統領は各州から選出された選挙人による間接選挙による
  • 独立性強い (立法部からの指名ではないので)
  • 4年の任期
  • 再選不可 (1951年に三選禁止に改正)
  • 連邦議会の立法に対する拒否権
司法機関
  • 常設裁判所として、最高裁を置くほか、下級裁判所も設置し得る
  • 裁判官は非行がないかぎり (during good behavior)その職にとどまる (終身)
連邦法と州法の関係
合衆国憲法・合衆国憲法に準拠して制定される合衆国の法律・合衆国の権限に基づいて締結される条約は、州の憲法または法律の中に抵触する規定がある場合でも、これに拘束される。
 改正
各院の3分の2以上による発議又は3分の2以上の州の議会の申請に基づいて召集された憲法会議による発議と4分の3以上の州による承認
(丸山英二著;「英米法」・弘文堂・1999年より)

前述した「アメリカ連合」の規約よりも連邦政府の権限が強いことが分かる。いくつかのポイントに絞って簡単に解説したい。

まず、連合会議(連邦議会)の権限の相違である。基本的に、連合会議も連邦議会も、規約(憲法)に掲げられている内容以外の権限は持てない(いわゆる「委任された権限 (Delegated Powers)」のみ認められた)。しかし両者が大きく異なるのが、アメリカ合衆国憲法の中にある「上記の権限及びこの憲法により合衆国政府又はその省庁もしくは官吏に対して付与された他の全ての権限を行使するために、必要かつ適切なすべての法律を制定すること (Necessary and Proper Clause)」という条項が入っている点である。この条項が入ったため、連邦議会は連合会議よりもより大きなかつ多くの権限を持てることとなった。

第2に「規約(憲法)」の改正の難易である。連合規約は、「連合会議において賛成されたのち、すべての邦議会で承認されなければならない」のに対して、憲法の改正の場合は、「各院の3分の2以上による発議又は3分の2以上の州の議会の申請に基づいて召集された憲法会議による発議と4分の3以上の州による承認」であるため、合衆国憲法の改正の方がやや容易に改正作業を行なうことができる。

こうして憲法制定会議 (Constitutional Convention)で署名された憲法草案は、連合会議に上程された。しかしここでも憲法賛成派のフェデラリスト (Federalist)と憲法反対派のアンチ=フェデラリスト (Anti-Federalist)との間で対立があった。最初は反対派の方が不利であったが、賛成派が団結して次第に優勢になっていった。そして、1788年6月に9邦が承認して合衆国憲法が制定されるに至ったのである (世界初の「近代憲法」である)。後に第1回連邦議会にて、いわゆる「修正条項(第1修正から第10修正)」が追加されて、いわゆる「人権規定」(一般的には「権利章典条項(Bill of Rights)」と呼ばれる)が置かれることとなった(1791年12月)。これ以降、判例によって漸化的にアメリカ合衆国憲法の成立によってより連邦の力が強化されていったが、「委託権限の原則」は今でも遵守されている。

合衆国憲法制定以降のアメリカの歴史を少し見ていくことにしよう。フェデラリスト (Federalist)とアンチ=フェデラリスト (Anti-Federalist)との対立は、後にアメリカ合衆国内を大きく巻き込んだ「南北戦争 (Civil War)」へと発展していくこととなる。また、この対立は、現在のアメリカの「二大政党制」を構成する共和党と民主党へとつながっていく。


3. アメリカの政治制度


前述したとおり、アメリカ合衆国はもともとは別々の邦(州)が集まって成立している一種の「国家の集合体」である。そのため、現在においても各州で立法府を持ち行政府を持ちそして司法機関も存在する。

ここでは、連邦政府の政治制度を中心に見ていきながら、連邦政府と州政府の関係が憲法上どのように規定されているのかを見ていくこととする。

3-1 立法権と行政権

アメリカの政治制度の中で特筆すべき大きな特徴として「厳格な三権分立制度」がある。ここでは、アメリカの政治制度を概説しながら、「厳格な三権分立制度」を採った理由についても探ってみたいと思う。

下図を見ながら、アメリカの政治機構の特徴を述べたい。

アメリカの政治機構略図

3-1-1 連邦の立法権

まず立法権から見ていきたい。

立法府は連邦議会と呼ばれ、上院と下院から成る。

- 上院 下院
定員 100名 435名
各州2名ずつ 各州より人口比例
選挙権 18歳 18歳
被選挙権 30歳 25歳
任期 6年
(2年毎に3分の1)
2年
(一斉改選)
その他 下院に優越する
(高官任命や条約締結に関して、大統領に対する同意権(承認権)を持つため)
予算先議権、連邦管理弾劾発議権

連邦議会は「立法機関」である。議会で成立した法律は、大統領の署名によってその効力を生じる。大統領が署名を拒否した(Veto Power)場合、再び両院の3分の2以上の議決を経なければ法律の効力は生じない。もっとも、ここで再議決がなされると、大統領は拒否権を行使できない。

上院と下院は対等な立場で立法権を有しているが、上院には合衆国最高裁判所長官や大統領も含めて、すべての弾劾につき裁判を行なう権利を有し、また大統領が行なう条約の締結や最高裁判所裁判官等の任命に対して「助言と承認」を与えるという形で関与することができるため、「上院は下院に優越する」と言われている。

連邦議会の権限は、憲法で与えられている事項に限られている(合衆国憲法第1編第8節)。ここでもう1度挙げてみると、

  1. 租税・関税の賦課徴収及び歳出
  2. 金銭の借入
  3. 外国との通商及びインディアン部族との通商を規制すること (Commerce Clause)
  4. 帰化に関する統一的規則及び破産に関する統一的法律を制定すること
  5. 貨幣の鋳造及びその価値の規制及び度量衡の標準の設定
  6. 合衆国の証券及び通貨の偽造に対する罰則の規定
  7. 郵便局及び郵便道路の建設
  8. 著作権及び特許権の設定
  9. 最高裁判所の下に下級裁判所を組織すること
  10. 公海上の犯罪及び国際法に対する犯罪を定義し、処罰をすること
  11. 戦争の宣言、捕獲免許状の交付、捕獲に関する規則の設定
  12. 軍隊の徴募・維持
  13. 海軍の徴募・維持
  14. 陸海軍の統制・規律に関する規則の制定
  15. 民兵の召集に関する規定
  16. 民兵の組織・武装・訓練等に関する規定
  17. 合衆国の首都が所在するコロンビア地区に対する事項に関する専属的立法権
  18. 上記の権限及びこの憲法により合衆国政府又はその省庁もしくは官吏に対して付与された他の全ての権限を行使するために、必要かつ適切なすべての法律を制定すること (Necessary and Proper Clause)

である。

重要なポイントは2つある。

1つは前述した「必要かつ適切条項 (Necessary and Proper Clause)」である。「必要か適切」という文言を緩やかに解釈して、議会は憲法に列挙された権限に含まれる目的に合理的な関係を持つあらゆる手段を法律によって定めることができるようにしてきた。例えば、McCulloch v. Maryland, 17 U.S.(4 Wheat.) 319 (1819)で争われた「銀行を設立する際の法律を制定する権限」などがある。「銀行を設立する際の法律を制定する権限」については上記を見ても分かるように、そういった権限については憲法上に規定は存在しないが、「租税・関税の賦課徴収及び歳出、金銭の借入、外国との通商及びインディアン部族との通商を規制すること、戦争の宣言、軍隊の徴募・維持、海軍の徴募・維持」などによって「必要かつ適切」であるとされて認められたのである。

2つ目は、「外国との通商及びインディアン部族との通商を規制すること」、いわゆる「州際通商条項 (Commerce Clause)」である。州際通商条項は、連合規約の時代に見られたような、邦をまたぐ貿易に高い関税をかけていたような状況を解消するために、換言すればアメリカ合衆国全体が経済的に一体となって発展することを確保するために設けられた条項である。この条項は、前段の「必要かつ適切条項 (Necessary and Proper Clause)」と並んで、連邦議会の権限を拡大するのに大きな役割を果たした。しかしながら、「通商」という文言を「広く」解釈してより「広範」に規制をかけるか、あるいはその逆で「通商」という文言を「狭く」解釈してより規制範囲を縮小させるかは、時代によって異なった。現在は、「州際通商に影響を及ぼすとする議会の認定に合理的な根拠があり、規制の目的と規制手段との間に合理的な関係がある限り、本条項に基づく規制は認められる(Hodel v. Indiana, 452 U.S. 314 (1981))」として、「通商」という文言をできるだけ「広範」に捉えている。

このように見ると、判例を通して連邦議会の権限の範囲は拡大する傾向にある。

3-1-2 州の立法権

アメリカ合衆国は州の集合体であるということは繰り返し述べてきたが、各州はどのような法律を作ることができるのであろうか。

  1. 合衆国憲法、当該州憲法によって禁止されていない事項
  2. 連邦議会の専属的立法権に服していないもの。但し合衆国憲法や合衆国制定の法律及び条約の内容に反しないことが条件。

上記に掲げてあるものについては州は独自の立法権を持つ。

3-1-3 連邦の立法権を制限する理由

そもそもどうして上のようにアメリカ連邦議会の権限が憲法で決められているのであろうか。

アメリカは前述したとおり、州が集まってできた国家である。また、州は独自の法と司法システムを備えていることも述べた。そして連邦全体で統括したほうがより望ましい事柄があり、それが軍事とか外交とか通商などといったものであるということも前述した。合衆国を構成 (constitute)するとき、連邦政府がどのような構造をとって、どのような仕事をするのかを決めたのが連邦憲法 (Constitution)であった。

一方、アメリカはイギリスの法制度を受け継いだことは前述したが、イギリスの法制度の中心にあるコモン・ローという考え方は、共同体の常識を基礎としている。そのため、コモン・ローに関する事項は、州が権限を持つことになっている。

もし、連邦政府に無制限に権限を与えることになったとすれば、州の権限がなくなるのは当然のこととして、英米法体系で大切にされるコモン・ローの原則が潰されかねない。アメリカ合衆国は異なる人種・異なる宗教・異なる文化を持った人たちが集まってできた国であるため、一方的に中央の連邦政府が強大な権限でコモン・ローの原則を適用してしまうと、「共同体の常識」というものが無視される傾向がどうしても出てきてしまうのである。そこで、連邦の権限をできるだけ小さくし、それを憲法に明記したのである。さらに、連邦政府が侵害してはならない、合衆国の国民としての基本的権利が権利章典 (Bill of Rights)として追加された。

3-1-4 大統領

次に大統領である。大統領の権限は強大なものである。憲法上定められた代表的なものとしても、

  1. 軍の統帥権
  2. 議会に教書(Message)を送って立法措置を勧告・要請する権限
  3. 臨時議会の召集権
  4. 議会の停会権
  5. 法律の実施権
  6. 法案の拒否権 (前述)
  7. 外交使節・最高裁判事・各省長官の任命権
  8. 条約の締結権

などがある。

ここで注意すべき点を挙げておきたい。

第1に、大統領は憲法上は議会の制定した法律を執行するのみで、議会に対して法案提出権も解散権もない。したがって、失政を理由に議会から政治的責任を問われることはない。大統領が議会に対して行なえるのは、議会に教書(Message)を送って立法措置を勧告・要請することと法案の拒否権があるのみである。

第2に、行政権を有しているのは「大統領」であるという点である。日本の場合は、日本国憲法第65条によって「行政権は内閣に属する」とあり、行政権は合議制で成り立っているのに対して、アメリカ合衆国の場合は行政権は大統領のみが有しており「独任制」である。アメリカ合衆国にも「内閣」というのは存在するが、それは上院の助言のもとで大統領が任命した各省長官によって構成されるものであり、大統領の諮問機関でしかない。したがって、「内閣」は議会に対して責任を負わず、大統領のみに責任を負うので、議会への法案提出権も議会の解散権もない。

- 議院内閣制
(日本)
大統領制
(アメリカ)
行政権の保持者 内閣
(合議制)
大統領
(独任制)
権力分立との
関係
緩やかな分離 厳格な分離
議会との関係 大臣の過半数は国会議員から選出。
議会での出席発言の権利義務あり。
議員との兼職禁止。
議会での出席発言権はなし。
議会との関係が
崩れた場合
不信任制度と解散制度あり 不信任・解散権なし
民主主義との関係 首相は国会議員の中から選出 国民から大統領選挙人を通じて選出
民意の反映と統合 民意の統合反映 民意の反映重視

つまり、立法権と行政権はほぼ完全に切り離された関係にあるということである(上院の議長は副大統領が就任することが憲法上で明記されているのでそれは除く)。連邦議会議員と合衆国の公務員との兼職も憲法上で明確に謳ってあるぐらいだ。

大統領の任期は4年間で、国会議員とは別の間接選挙によって国民から選ばれる。つまり、国民はまず大統領選挙人(Electoral College)と呼ばれる選挙人を選出し、次に大統領選挙人が大統領を選挙によって選出するという仕組みである。選出される選挙人の人数は、各州選出の上下両院議員の総計と同数の535名(下院が435名・上院が100名)とコロンビア特別区の3名の合計538名で、各州単位で投票を行ない、その州で一般有権者の票を1票でも多く獲得した政党がその州の選挙人全部を獲得できる仕組みになっている(All or Nothing形式)。そしてその選挙人が今度は自分の政党の大統領候補に投票するので、結局この一般選挙に勝った政党から大統領の当選が出るわけである。

3-2 司法制度

3-2-1 アメリカの司法制度

アメリカには、連邦の裁判所と州の裁判所の2つの裁判制度が並存している。ここでは2つの裁判所が裁判においてどのように使い分けがなされているかを概観したい。

最初に連邦の裁判所である。連邦の裁判制度は「三審制」が採られている。主として1審を受け持つのが合衆国地方裁判所 (United States District Court)で、全米に91個ある。通常は1人の裁判官によって裁判がされるが、法律上の要求がある場合、または選挙区割りの合憲性を争う訴訟の場合は3人の合議制が敷かれる。

控訴審に該当するのが「合衆国控訴裁判所 (United States Court of Appeals,また歴史上の理由からCircuit Courtと呼ばれることもある)」である。連邦控訴裁判所は、全米を12の巡回区に分け、加えて特許事件や一定の行政裁判を取り扱う「連邦巡回区控訴裁判所 (Court of Appeals for the federal Circuit)」が存在する。通常3名の裁判官によって裁判が行なわれる。但し、重要な事件については、当該控訴裁判所に所属する裁判官の過半数が賛成すれば、全裁判官による法廷 (court in banc)を開くことができる。

そして最後に「合衆国最高裁判所 (Supreme Court of the United States)」がある。最高裁判所長官 (Chief Justice)と定員8名の陪席裁判官 (associate justice)の9名によって構成されている。

次に、州の裁判所である。おおよその州で三審制が採られているが、細部は州によって異なる。大まかに言うと、「第一審裁判所 (Circuit Court, District Courtなどと呼ばれる。州によって呼称は異なる)」があり、「中間上訴裁判所 (Court of Appeals, Appellate Division of the Supreme Court)」があり、「州最高裁判所 (Supreme Court)」がある。

3-2-2 裁判管轄権の問題

アメリカ合衆国内には、上で見たとおり、2つの裁判制度が同時に存在していることになる。では、これらの2つの制度をどのように使い分けているのであろうか。それは、「裁判管轄権」の問題と言われ、市民が司法制度を運用する際に大きな問題となるところでもある。

「裁判管轄権」の問題は大きく2つあると言われている。1つは、裁判所がどのような内容(性質)の訴訟を扱えるかという権限である「事物管轄権 (subject matter jurisdiction)」である。もう1つは、裁判所が具体的にその当事者または訴訟の目的物に対して裁判を行う権限で、原告の立場からすれば被告をどの土地の裁判所に訴えられるかという「領土管轄権 (territorial jurisdiction)」の問題の2つがある。

特に、「事物管轄権 (subject matter jurisdiction)」について触れてみたい。連邦裁判所の事物管轄権は厳しく制限が加えられているので、多くの事件は州裁判所が扱うことになる。憲法の定める連邦裁判所が独占的に扱うことができる裁判は、

  1. 特許権、商標権、著作権に関する事件
  2. 海事事件
  3. 破産事件
  4. 連邦独禁法事件
  5. 大使等の外交使節に関する事件
  6. 合衆国が訴訟の当事者である事件

などである。

また、合衆国は、複数の異なる州の市民の間に争われる民事訴訟「州籍相違事件 (diversity of citizenship case; diversity case)」のうち、請求金額が75,000ドル以上の場合に州と競合して管轄権を持ち、それ以外の事件は州裁判所の管轄となる。

連邦地方裁判所の裁判管轄権と州の第一審裁判所が競合する場合は、原告はどちらの裁判所に訴えを提起するかを選択することができる。原告が連邦地方裁判所に訴訟を提起すれば、その訴訟は当該連邦裁判所に係属することが確定される。一方、州の裁判所に訴訟を提起した場合、被告が訴状または呼出状の送達後30日以内に、訴えが提起された州裁判所が所在する地区を担当する連邦地方裁判所に申し立てることによって、原則として、その連邦地方裁判所への訴訟の移送を要求することができる。

原告にとっては、連邦法の適用を受けるか州法の適用を受けるかで有利不利が異なる場合があるので、裁判管轄権の問題は訴訟当事者にとって重要な問題であるといえよう。

3-3 アメリカの違憲立法審査制度

3-3-1 違憲立法審査とは?

「違憲立法審査 (judicial review)」とは、裁判所が裁判を行うにあたり適用する法令が憲法に適合するかどうかを審査することである。「違憲立法制度」を保障する一般的な理由としては、

  1. 憲法の最高法規性を確保するため
  2. 基本的人権を保障するため

がある。多くの憲法には基本的人権の保障を盛り込んだ条文が存在している。憲法の最高法規性を確保することで、立法権や行政権による人権侵害を防止する(基本的人権が保障される)制度として「違憲立法制度」が存在するのである。

しかしながら、このような制度が整ったのは歴史的に見ても比較的新しい。世界で最初に違憲立法審査制度が整った国はアメリカ合衆国である。

以下、その経緯を述べていきたい。

3-3-2 Marbury v. Madison, 5 U.S. (1 Cranch) 137 (1803)

アメリカ合衆国憲法の中で、「違憲立法審査制度」についての記述は存在しない。それではどこで「違憲立法審査制度」を保障しているかというと、判例法の中である。アメリカ合衆国では、前述したとおり、「判例法」もまた「法源(裁判官が裁判のよりどころとすることのできるもののこと)」であり、判例が重要な力を持っているのである。

話を元に戻すと、「違憲立法審査制度」を初めて認めた判例は、1803年に行なわれた「マーベリー対マディソン事件」である。



[判例] Marbury v. Madison, 5 U.S. (1 Cranch) 137 (1803)

1800年の大統領選挙で、アンチ=フェデラリストのトーマス・ジェファーソン (Thomas Jefferson)がフェデラリストで現大統領のジョン・アダムス (John Adams)を破った。ジェファーソンが大統領に就任するのは1801年3月4日のことであった。また、連邦議会選挙も行なわれ、アンチ=フェデラリストがフェデラリストを破った。

1801年1月20日にアダムスは現在国務長官であったジョン・マーシャル (John Marshall)を連邦最高裁判所長官に指名した。マーシャルは、1801年2月4日に最高裁判所長官に就任し、3月3日までは国務長官の職と兼務した。

1801年2月に、連邦議会は新しい議会の始まる前に司法部(裁判所)をこれまで通りフェデラリストたちの支配下に置くために、巡回裁判所裁判官の職とワシントンD.C.に治安判事職を新設する法律を成立させた。そして、フェデラリストが多数派の連邦上院議会にて、これらの職に指名されたフェデラリストの裁判官の任命を承認し、大統領はその辞令に署名し、国務長官(ジョン・マーシャル)はそれらに国璽を押印したが、指名された者の中に3月3日の辞令の交付を受けなかったものが現れた。翌日の3月4日になってジェファーソンが大統領に就任すると、ジェファーソンは新国務長官であったジェームズ・マディソン (James Madison)にそれらの辞令を交付しないように命じた。治安判事職に指名されたが辞令の交付を受けなかったウィリアム・マーベリー (William Marbury)は、マディソン国務長官に対して辞令の交付を要求する職務執行令状の発給を求めて最高裁判所に提訴した事件である。

これに対して、最高裁判所長官であるマーシャルは、自らの権限である職務執行令状を発給する権限を否定した。その理由は、「原告は一般論としては辞令交付を要求する権利を有するが、事件の訴えは1789 年に制定された「裁判所法 (Judiciary Act)」の規定に基づいて提起されたものであり、その裁判所法の規定が合衆国憲法に違反し、かつ無効であるので裁判所は職執行令状を発行する権利を有しない」ためである。もう少し具体的に説明すると、1789年に制定された「裁判所法 (Judiciary Act)」には最高裁判所に職務執行令状を発給する権限を与えているが、合衆国憲法第3編第2節第2項には「大使その他の外交使節及び領事に関係する事件並びに州が当事者である事件のすべてについて、最高裁判所は第一審管轄権を有する...」とあるが、第一審裁判所として職務執行令状を発給することはここに含まれていないため、裁判所法は合衆国憲法に違反するものであるという論理である。

さらに、マーシャルは、「成文憲法を作ったすべての人々が基本的で至上の国家法を作っていると考えていたことは確かであり、したがって、そのような統治の理論は、憲法に反する立法部の法律は無効であるということでなければならない」と判示しており、「何が法であるかを述べるのは、断固として司法部門の権限であり義務である」とし、裁判所が、法律が憲法に反すると考えた場合には、それを無効にしうるという司法審査権の教義を打ち出し、裁判所法(連邦法)を無効とした判決である。


この事件の内容や判決の内容については政治的な側面や思惑から様々な批判があるが、連邦最高裁判所の違憲立法審査権が確立された極めて重要な判例である。

3-3-3 違憲立法制度を支える考え方

アメリカ合衆国で、「司法部門が憲法に違反する法律を無効とする」という考え方がどうして生まれたのであろうか。ここではもう少し違う観点で違憲立法制度について概観してみたいと思う。

下の表を見ていただきたい。それと合わせて説明をしていきたいと思う。

-
イギリス
アメリカ
WWU前の
大陸法諸国
裁判所の地位
法の発見者
法律適合性の判断権者
法律適合性
憲法適合性の判断権者
法律適合性の判断権者
裁判所が
判断する対象
行政が法に従っているか
行政が法に従っているか
国会が憲法に従っているか
行政が憲法に従っているか
行政権については
「行政裁判所」で判断
(「行政裁判所」=行政機関)
議会と
裁判所
への
信頼度
議会
高い 
低い
高い
裁判所 高い
高い
低い
理由 マグナカルタ以来、人権制度を保障してきたのは、法律を作ってきた議会と裁判所であったため。 イギリス議会の圧制のために立ち上がって独立したという歴史があるから+判例という形で法規範を作るため。 市民革命以前の裁判所は国王と結託して人権侵害の急先鋒を担っていたため。
立憲主義の
確立過程
との関係
議会中心主義
徹底した権力分立主義
議会中心主義
法に対する
考え方
法の支配
法の支配
形式的法治主義

まずイギリスと大陸法諸国との比較をしてみたい。イギリスにおいてもドイツやフランスやスペインなどの大陸法国においても、いわゆる「国王」は存在していた。しかし、「国王」と「司法部」の関係が両国では大きな違いがあった。

イギリスの法律家は過去の似たような事例を探し出して法を創造していたため、過去の事例をきちんと分かっていない法律家以外の者たちにとっては難しく思えてしまうため、イギリスの司法部は王権の下にはあったものの、歴代の国王が法律家に従ってしまったという経緯から、司法部は相当な独立性を持っていた。

それに対して大陸法諸国の「国王」は、特に17世紀から18世紀の「絶対王政」の時代には司法部は完全に王権の下に組み込まれてしまい、かなり国王の意向に左右されるようになっていた。したがって、歴史的にも有名な「フランス革命」などで王政が倒れて人民による新しい政治が始まろうとした時に、司法部は「王やら貴族やらの仲間で胡散臭い」と見られ、法律家による創造性を認めてしまったら、革命に成功した側の利益を「屁理屈」によって奪われかねないと考えたため、できるだけ司法部の力を押さえつけ、国民(人民)から選出された議員から構成される「議会」で作る法律に司法部が拘束されることを望んだという経緯があった。

次にイギリスとアメリカの比較を行なってみたい。アメリカは、法はイギリスのコモン・ローをほとんどそのまま受け継いだ(ルイジアナ州はフランスから獲得したので大陸法系)。当然、「法の支配 (rule of law)」という考え方も受け継いでいる。つまり、何人も(国王といえども)通常裁判所の運用する法以外のものには支配されないという考え方であり、行政や司法は議会によって制定された法律によってなされなければならないとする「法治主義 (rule by law)」とは異なるものである。ところが、イギリスとアメリカとでは大きく異なる点がある。それは「議会」への信頼度である。

イギリスでは、1688年の「名誉革命 (Glorious Revolution)」及び翌年の「権利章典 (Bill of Rights)」で、国王よりも議会が偉いという「国会中心主義」が唱えられ、現在においても、イギリス議会は、法律でどんなことでも決めてしまえる。どんな法律であっても、行政府も司法府もそれを破ることができないということになってる。法の妥当性は、妥協 (compromise)と穏健さ (moderation)と常識 (common sense)を重視することで解決されていると言われる。つまり、イギリスにおいてまとまった立法をするときには、たいていの場合は判例法を基礎にして、これを整理する形で立法作業を行なう。一度裁判所によって創造された判例法を修正する際に法律(制定法)を制定するので、常識的な範囲内で法律は作られる、というわけである。なお、判例法を修正して制定法を制定するパターンとしては、過去の判例や現代の時代の要請との整合性を図る場合と判例法では想定されていない事項を法典化するという2つのパターンがおおよそ考えられる。要するに、議会に対する信頼度が高いのである。

それに対して、アメリカでは上の表を見ても分かるとおり、「議会への信頼度」が低い。それは、前述したアメリカ合衆国の建国の歴史を見ても分かるように、イギリスの「議会」で作った法律によって多くの不利益を被っており、それがもとでイギリスから苦労して独立したという歴史がある。このことが、「議会が悪法を作る可能性がある」という意識を芽生えさせた。そこで司法機関が立法府を監視するという考え方を生み、行政府も司法部が監視するといった「厳格な三権分立制度」ができあがったのである。こうした思想的な背景があれば、先に説明した「マーベリー対マディソン事件」で出た判決が出てくることも決して分からなくはないはずである。「マーベリー対マディソン事件」後に、最高裁判所は、「憲法の番人」としての地位も得るのである。

このように見ると、アメリカで「違憲立法審査」の制度が、憲法裁判所などの特別裁判所ではなく、通常裁判所で発展してきたのは、「法の支配」という考え方と、歴史によって生み出された「立法府」への不信感が主な原因であるということがここで分かるはずである。なお、第2次世界大戦後には、大陸法諸国にも「違憲審査制度」が導入された。詳細については、拙稿「スペインにおける違憲審査制度」を参考にしてもらいたいが、通常裁判所でそれは行なわれていない。なるほど、裁判所に対する不信感が現在に渡っても残っているということが言えるのではないだろうか。


4. 確認問題・発展問題


次の問いに答えなさい。但し、その際にはインターネットや書籍・雑誌などを利用・使用しても構わないが、抜粋は極力避け、自分の言葉でまとめて回答してください。

  1. 英米法体系が大陸法体系に比べて、「製造物責任」に対しての対応が早かったのはどうしてかをアメリカの判例と日本の判例を踏まえて説明してみなさい。
  2. ヨーロッパの国の中で、「大陸法体系」と「英米法体系」が誕生した理由を、「ローマ法」の影響の大小を踏まえて説明しなさい。
  3. アメリカ合衆国においても立法府は存在するが、アメリカにおいて、国会で制定される制定法と裁判所が創造する判例法とはどのような関係にあるかを簡単に説明しなさい。また、日本における制定法と判例法の関係についても説明しなさい。
  4. アメリカ合衆国憲法が制定された時に、いわゆる「人権規定」が置かれなかったのはどうしてなのかを説明しなさい。
  5. 「憲法は最高法規である」とよく言われるが、最高法規と言われる所以は何か。「立憲主義」「国家権力」「国民」という言葉を使って説明してみなさい。
  6. アメリカにおける行政府のトップと日本における行政府のトップとではどのような違いが見られるか。両国の行政府の存在意義を比較しながら、多角的な視点から説明してみなさい。
  7. 「マーベリー対マディソン事件」において、連邦最高裁判所は、連邦法が合衆国憲法に違反する場合は違憲の判断を下すことができると判示したが、州法が合衆国憲法に違反する場合に、連邦最高裁判所は違憲立法審査権を行使することができるのだろうか。判例法や制定法を根拠に論理的に答えてみなさい。
  8. 「法の支配」の考え方が根底にあるイギリスとアメリカでは、裁判所に対する信頼度や責任といったものが高い。しかしイギリスとアメリカではその裁判所に対する信頼度や責任の内容が異なっている。それについて違いがきちんと分かるように説明してみなさい。

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