わが国の持株会社の歴史と「解禁論」の推移

[初版] 2001年1月29日
[2版] 2001年7月24日

MK SPACE Dandelion Office; Kashiroman


目次

  1. はじめに
  2. 持株会社規定の成立
  3. 昭和24年から28年にかけての9条改正
  4. 10条の削除によって持株会社はどうなるか?
  5. 3回の解禁論ブーム
  6. 政治的意図による持株会社解禁
  7. 9条改正の内容と問題点
  8. おわりに

はじめに


平成9年に「私的独占の禁止および公正取引の確保に関する法律(以下、独禁法)」の9条が改正され、いわゆる「純粋持株会社」が解禁された。独禁法で改正された「純粋持株会社」の立法経緯を見ていきながら、この制度の改善点を法的に検証していく。

そもそも私がこの分野について興味を持ったのは、「なぜ一部の学者が持株会社の解禁を拒んでいたのか」を検証したいという欲求であり、事実、株式を50%超えて持っている会社が無数に存在している中で、このような「純粋持株会社を作ってはならない」という規定が依然として存在していたのかを検証したいと思ったからである。

以下、日本における持株会社の禁止規定の変遷をたどりながら、持株会社の問題点を明らかにしていきたいと思うのである。


持株会社禁止規定の成立


わが国における持株会社の歴史は、三井財閥が明治42年に作った「三井合名」が始まりであるといわれている。これは、三井財閥の創始者である三井高利とその子供との関係がたまたま子会社的な関係で、三井高利のことを大元方と呼んでいた。その構造が三井合名とその子会社との関係につながっていく。つまり、アメリカなどで定義されている「持株会社」とは少し異なるものであったのだが、「持株会社」の名前をアメリカに倣ってつけたところから、財閥のトップは持株会社のトップとして位置付けられていく。

日本は周知のとおり「アジア太平洋戦争」を経て、連合軍に敗退した。そしてGHQ (General Head Quater)による日本への占領政策が始まったのである。

GHQは、日本が戦争の道を突き進んだ理由の一つとして、「財閥は第二次世界大戦を引き起こした手先機関である」ということを挙げ、財閥を解体すべきであるという考え方が通説的な考え方であった。

そこで、GHQは独占禁止法の中で「持株会社禁止」を述べたのである。この規定は、「2つの9条」と呼ばれ、政治的な意味で民主化を図ったとする「憲法9条」と、僅かの大企業だけで市場を独占する傾向にあり、戦争に導いてしまった企業の存在を禁止するという、経済的な意味での民主化を図った規定とする「独占禁止法9条」とが、戦後の日本に大きな影響を及ぼしたのである。


昭和24年から28年にかけての9条改正


昭和22年に作られた独占禁止法9条1項は、「持株会社の設立を禁止」し、第2項で「株式(持分)を所有することにより、他の活動の事業活動を支配することを主たる事業とする会社を持株会社とする」ことを定めている。10条では「金融以外の事業会社が他社株を取得することを原則として禁止」し、第11条は「金融会社が同業他社の株式を取得することを禁止」している。このことからいえるのは、事業会社が他社株を取得すること自体が禁止されていること自体が禁止されているのであり、例えば、市場占有率3%のA株式会社がB株式会社の株式を持っただけで、この規定にひっかかってしまうのである。

ところが、昭和24年に10条が次のように改められた。

  1. 会社間の競争を実質的に減殺する場合
  2. 一定の取引分野における競争を実質的に制限する場合
  3. 不公正な競争方法による場合
を除いて原則的に自由となったのである。10条を削除した理由としては、アメリカにとって資本がもてないのは、今後の冷戦に勝つためには都合が悪いことや、財閥から取り上げた株を競売にかけたものの、法人の株式取得が認められていないため買い手が現れなかったのでその株が売れなかったといったことが挙げられている。

更に昭和28年は、

  1. 一定の取引分野における競争を実質的に制限する場合
  2. 不公正な取引方法による場合
を除いて一般会社の他社株取得を自由に認めたのである。その上で11条は、「金融会社は国内の会社の発行済み株式総数の100分の10を越えない範囲」で自由に株式取得が認められることになったのである。


10条の削除によって持株会社はどうなるか?


上のように、10条及び11条は改正されたものの、9条は相変わらずシンボル規定として残っていた。これをどのように解釈するのかで2つの学説が対立していた。すなわち、持株会社を解禁すべきであり、9条も改正すべきであるとする考え方であり、もう1つは解禁を反対する学説である。

解禁論者から言えば、そもそも9条は占領軍が意図的に作った規定であり、占領が終われば意味のない規定であるという理由から削除すべきであるということが言われる。また、持株会社を認めない国はほとんど存在せず、外国と同じ条件のもとで会社は存在すべきであるというハーモナイゼーション(調和)を理由とすることが言われている。さらに、持株会社になれば、労組の力をそぐことにつながり、リストラをしやすくなる上で便利であるという理由もある。

それに対して反対論は、持株会社は他社の支配を目的とするもので、最終的には少数派が支配することになり、独占禁止法の目的にあわないため、持株会社は解禁すべきではないというのが主な理由である。

今後日本では3回にわたって解禁論が特に盛んに主張されることになる。それを簡単に紹介していきながら、平成9年の持株会社解禁のことについて説明を行なっていきたい。


3回の解禁論ブーム


第1回解禁ブーム (昭和40年代)
この時代は、資本の自由化・国際化の時代と言われた時代で、石油ショックの影響で産業保護が必要となっていた。つまり、外資からの乗っ取りを防止するためには、持株会社があればその会社の株をずっともっているわけであり、安定的な株主の確保もできるため、解禁論を主張している。また、企業の体力の強化を行なうため合併などの方法によって規模を拡大するのであるが、合併よりも持株会社ならば、会社自身を独立した法人として扱うことができるため、会社には有利になるため、解禁論を主張している。

しかし反対論者は、実際「乗っ取り」は特に旧財閥系の会社ではマトリックス型の持ち合いが行なわれていることがほとんどであるため、実際には起こり得ないという点、また「独立して存在する会社」と「持株会社」との状況が異なっている場合や、持株会社が現場である子会社の状況が分かっていないような場合に、持株会社が何かの支持を行なった場合、労働者がはたして本当にそれを聞くのか、少なくとも労働効率が逆に落ちるのではないかという批判が行なわれ、第1回解禁ブームは終わった。

第2回解禁ブーム (昭和60年代)
この時期は日本経済が良好で、先に述べた国際的ハーモナイゼーションをおこなうためには持株会社を解禁すべきであるという意見である。さらに、もし日本で持株会社を解禁しなければ、本社を海外に持っていってそこに持株会社を作るという強硬な意見も出た。そうなれば、産業の空洞化が起こり、法人税が取れなくなるという日本にとっては大きな痛手になるということを述べた。

しかし、国際的ハーモナイゼーションとはいっても、日本には集団性があり、これ以上持株会社を認めてしまうと、より日本企業の集団性が高まり、独占禁止法の趣旨に反するものとなるのではないかということで批判された。

第3回解禁ブーム (平成3年以降)
この頃はバブル経済が崩壊し、これを乗り切るためにリストラや規制緩和(disregulation)や行革といったことが叫ばれ、無駄な法律を改正すべきで、それが独禁法9条であるという議論が沸き起こった。

はたしてこれが本当かということを研究するため、公取委は平成3年に研究会を開いたものの、平成7年には時期尚早と判断し、結局は見送られることとなった。理由は、先程から述べているとおり、持株会社は独禁法の精神に一致しないものであり、よりグループ化を促進させるものであるということである。

このように3回にわたる解禁ブームは終焉を迎えたかのように見えた。


政治的意図による持株会社解禁


経済界に主として支持基盤を置く自民党は、このような結果に対して次のようなことを述べた。
  1. 公取委の権限強化を図る
  2. 公取委の予算の増額
  3. 公取委のスタッフの増員
  4. 委員長の定年の引き上げ
を行なうと公取委に対して述べた。

公取委はこれに便乗してしまい、今までの発言を撤回し、9条改正、つまり持株会社解禁へと加速することとなったのである。

しかし、労働組合の力が削ぎ落とされるということを理由に連合は反対した。
 

労組と持株会社
例えば、あなたがB会社の従業員だったとしよう。B会社の従業員であるあなたが労働者として会社の「トップ」に対して賃金の値上げを要求したとしよう。その時の「トップ」というのは具体的に言えばB会社の「トップ」である。

しかし、実際B会社の労働者の賃金を決定するのは持株会社であるA社であるとしよう。そうなれば、B会社の従業員であるあなたが仮にB会社のトップに労働賃金のアップを請求したとしても、その願いが叶いにくくなることが分かるはずである。

こういったことが起こりうるため、NTTの労組である全電通が独禁法9条の改正には反対した。

ところが自民党は、全電通に次のようにけしかけた。それは、NTTの労組が労働契約の交渉を行なう場合は、本社(左図で言えばA会社)と直接交渉することができるということを述べた結果、全電通は認めてしまった。

現在あるNTT西日本や東日本といったものはこうした構図の上に成り立つものであり、一般に言われているような、競争原理に基づいて他社(日本テレコムなどだけではなく、NTT東日本と西日本という取り合わせも含めて)と争って、サービスを向上させるというようなことなどではなく、こういった政治的な思惑もあったということはとても興味深い。

こうして「連合(労働組合でまとまる経済団体の一つ)」の中で最強の勢力を持つ全電通もこうして折れたため、「連合」も折れ、9条改正に踏み切ったのである。

<<労組と持株会社>>


9条改正の内容と問題点


事業支配力が過度に集中することとなる持株会社が禁止されることになり、原則作ってもよいこととなった。

この改正の問題点は労働法の問題で、労組の力をそぐことになるため、そこの措置は考える必要がある。なお、単独で決算を出して単独で税金を納めてしまえば、逆に持株会社になったことによって、税金を支払うことによって全体で損をする場合も起こりうるため、税法的な問題もあった。しかし、近年において「連結決算制度」を導入することでその問題は解決された。


おわりに


確かに政治的なファッショはあるものの、独禁法9条は制度的には昭和24・28年の改正により無意味なものとなっていたため、独禁法9条は当然に改正されるべきものであると思われる。しかし、労組の力をどのように保証するかなど、問題はまだある。平成9年の独禁法改正を受けて、商法も平成11年に「株式交換・移転制度」を設け、翌年には「会社分割制度」を設けるなど(拙稿「企業再編のための法整備に関する法律」)、会社合併法制が急激に変化している。この改正によってどのように商法などの法律が変わっていくのかは今後注目していかなければならないであろう。

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