主催; 日本国外務省・スペイン外務省・岐阜県・岐阜県国際交流センター
後援; 日本経済新聞社・中日新聞社
Reported by Kashiroman
日本・スペイン両国から多彩な分野で活躍されている方々が一堂に会して意見交換を行なう「日本・スペインシンポジウム」が2000年(平成12年)11月14日(火)に岐阜ルネッサンスホテルで盛大にとり行なわれた。
このシンポジウムは、1994年に天皇皇后両陛下がスペインを訪問された時に首席随員を務めた中山太郎元外相が、両陛下とのスペイン訪問の成果を生かして「日西21世紀委員会」の設立を提案した。この提案を基に、日西友好450周年を2年後に控えた1997年に「第1回日西シンポジウム」がマドリーで開催されたところから始まった。
今回の第4回のシンポジウムは、岐阜県在住のオルガン建造家の辻宏氏が、スペイン国サラマンカ市大聖堂のパイプオルガンを修復したことがきっかけになって (このことについては後に詳述) 開催場所が決まったそうである。
この日のスケジュールは次のとおりである。
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10:00-10:30
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開会式 |
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10:45-11:50
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第1セッション (IT革命・情報通信技術による産業・社会構造の変革) |
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14:00-15:05
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第2セッション (少子・高齢化社会とそれに付随する問題) |
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15:20-16:25
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第3セッション (日西の経済強化のための方策) |
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16:40-17:45
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第4セッション (日西の相互理解とグローバルな協力) |
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18:00-18:20
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質疑応答 |
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18:20-18:30
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閉会式 |
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19:30-21:30
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レセプション |
今回のシンポジウムのテーマは、「21世紀の日西関係 -日本社会の変化・スペイン社会の変化 - 」で、日本とスペインの関係を強化するために、どのような方策を取るべきかということを、以下の方達がパネラーとして参加し、議論を行なった。パネリストとして参加されていたのは日本・スペインそれぞれ次のような方々であった。
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(衆議院議員、元外相) |
(弁護士、Garriguez & Andersen社社長) |
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(日本経済新聞社編集委員) |
(元駐日スペイン大使、外務省外交政策分析対策室長) |
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(外務政務次官) ※1日目開会式のみ |
(サンタンデール・セントラル・イスパノ銀行(BSCH)取締役) |
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(駐スペイン大使) |
(スペイン外務省アジア太平洋局長) |
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(岐阜県知事) ※1日目開会式及び第一議題のみ |
(ナバーラ大学教授) |
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((株)富士通 第一営業統括部長) ※1日目午前中まで |
(ビルバオ・ビスカヤ・アルヘンタリア銀行(BBVA) アジア太平洋地域部長) |
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(岐阜薬科大学学長) |
(スペイン貿易庁情報局長) |
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(上智大学教授) |
(駐日スペイン大使) |
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(東京三菱銀行相談役、日西経済委員会委員長) |
(サラマンカ大学日・スペイン・センター長) |
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(パイプ・オルガン建造家) |
(セルバンテス協会学術局長) |
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(アサヒビール名誉会長、(財)日本スペイン協会会長) 開会式のみ |
(ジャネス宝石取締役) |
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(神戸大学教授兼筑波大学教授) |
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このレポートは、ぼくが南山大学法学部の黒田清彦教授とともに参加した時の模様を日記風に振り返ったプライベートな「シンポジウム記録集」である。それではご覧いただきたい。
ぼくはJR岐阜駅で黒田清彦南山大学法学部教授(スペイン株式会社法専攻)と合流して、岐阜市営バスに乗って岐阜ルネッサンスホテルへと向かった。ラッシュ・アワーも終了していて、比較的早くホテルに到着した。
ホテルに着いたのち、南山大学外国語学部ラテンスペイン学科の木下登先生がいらっしゃった。そもそも、このシンポジウムの紹介をしていただいたのは木下先生であった。木下先生とここで合流して、受付をするために会場のホール入り口へと向かった。
3人で受付を済ませようとしたが、主催者側のちょっとした不手際があったようだ。ぼくはこのシンポジウムにE-mailを使って申し込んだのだが、どうやらそれが受け付けられていなかっようだった。そこでぼくと黒田先生は一言挨拶をして、ルネッサンスホテルボールルームAという部屋の中に入っていった。
入った後はしばらく時間があった。始めは黒田先生と木下先生とで立ち話をしていたのだが、あまりにシンポジウム開始時刻まで時間があって退屈になってきたので、岐阜ルネッサンスホテルで働いていた南山大学外国語学部イスパニア学科(現;ラテン・スペイン学科)ご出身の女性の先輩としばらく立ち話をして、開会式まで時間を潰していた。
開会式が始まった。予定時刻より若干遅れての開始だった。最初は岐阜県知事梶原拓氏による挨拶であった。梶原氏は挨拶の中で「岐阜とスペインの友好関係」についてお話された。岐阜には、1581年(天正9年)にグレゴリオ・デ・セスペデスというスペイン人がキリスト教を布教したという記録が、ルイス・フロイスの著名な「日本史」の中で書かれている。つまり、岐阜市とスペインとの関係は安土桃山時代にすでにあったということが推定される。また、最近ではスペイン・サラマンカ市の大聖堂のパイプオルガンを、岐阜県在住の辻宏氏が修復し、それ以来、岐阜市とサラマンカ市との縁ができ、岐阜県民ふれあい会館のサラマンカホールや石像レリーフの設置、岐阜県スペイン友好協会の設立に象徴される友好関係が生まれたのだという。また、聖マリア女学院という私立の学校が、スペインの「聖マリアの無原罪修道会」が母体となって設立された学校であり、岐阜県にはスペインに関係の深い学校が存在しているということをお話されていた。
次に両国座長が挨拶。日本側からは中山太郎元外相が「日本とスペインの友好関係と今回のシンポジウム」について語られておられた。このシンポジウムは1994年の天皇皇后両陛下が訪西されたのがきっかけで、日西友好450周年も近くなっているということで始まったシンポジウムであるということ、またスペイン王室と日本皇室は大変仲がよいのだということをお話された。スペイン側からは、黒田先生の師匠の甥にあたるAntonio Garrigues Walker氏が、スペインのアスナール首相による「アジア・太平洋経済総合戦略」を掲げ、その中での日本の重要な位置付けを力説された。また、日本の民法についての本を日本人の林信夫京都大学教授とともに執筆したRafael Domingo(ローマ法教授)に敬意を表しておられ、これは日西関係の大きな掛け橋となるであろうということをおっしゃった。さらに、浅野勝人外務政務次官、Rafael Conde De Saroスペイン外務省アジア・太平洋局長が挨拶されて、30分ほどの開会式は終了した。
予定よりも20分ほど遅れて第1セッションが始まった。テーマは「IT革命」。日本側からは梶原拓岐阜県知事、スペイン側からは、Francisco Marcos Marinセルバンテス協会学術局長がそれぞれ基調講演を行なった。
梶原氏は、「IT革命」は、「第2の頭脳の発達とその利用」として位置付けている。コンピューターというツールを市民が使えるように、例えばインフラ整備を進めたり、コンテンツやソフトを開発していかなければならないと考え、あくまでコンピューターに振り回されることなく、「人間本位のIT革命」を推進していかなければならない。おそらく人間が中心となるIT革命のさきがけとなるのが芸術なのではないかと思われる。周知のとおり、スペインは芸術文化が大変発展した国であり、最近は「パリ、ミラノからバルセローナへ」とファッション業界のトレンドが移り変わっていて、古いスペイン文化だけではなく、新しいスペイン文化も注目され始めている。一方日本もスペインと同様、芸術文化が花開いた国であり、お互いの「芸術文化」に少しでも触れることができるような手段としてITを使ったらどうかという提案もなされた。岐阜県は三重県に引かれた光ファイバー網を活用し、さらに県内に「財団法人ソフトピアジャパン」や「株式会社VRテクノセンター」をつくり、さらに学校にコンピューターを100%入れていることなど、岐阜県のIT関連のインフラ整備を整えていることをアピールした。岐阜県のIT戦略については「岐阜県IT戦略会議」のページがあるので、具体的なことはそちらを参照されたい。
次に、Marcos氏はITを使ってスペイン語及びスペインの文化をスペイン語で伝達することを提案した。Marcos氏がいらっしゃるセルバンテス協会学術局(1991年設立)は、世界で話されている言語を分析した結果、次のようなデータが出た。一般的に世界で一番話されている言語は中国語であり、2番目はヒンディー語であると言われている。しかし、この俗説は間違っている。なぜなら中国で話されている言語は中国語(北京語)だけではなく、広東語もあればその他にもいろいろある。これを中国語の方言だと位置付ける間違った見方もあるのだが、実際は北京語とは違う文法が使われていたり、あるいは50km離れた場所に行くと、もう北京語が通じない。このようなことが現実に起こっていて、果たして中国語は世界で一番話されている言語なのかという疑問がある。それはヒンディー語にしても同じである。
スペイン語は一般的には世界で4番目に多く話されている言語であり、4億人が話す。スペイン語と中国語の大きな違いは、場所が変わっても(例えばスペインとメキシコというような)、スペイン語が「全く」通じないということはない。この点中国語とは異なっている。さらに、世界で数多く話されて現在の国際語と称される英語とスペイン語の大きな違いは、母語占有率の違いである。スペイン語を話す人でかつスペイン語を母語としているパーセンテージは94.6%にも上り、これはラテン語族の中ではダントツのトップである。それに対して、英語は25%強、同じロマンス系の言語で世界的にも使われているフランス語は34.6%であり、スペイン語が本当の意味で「多くの人たち」に話されているということが明らかに分かる。
これは、グローバル化を促進させるITの技術と相容れる部分がある。というのは、スペイン語を話す人口が多いため、スペイン語教育、またはスペイン語によるスペイン文化の世界的規模での発信をすることが容易であるということが言える。なぜスペイン語教育の需要が高まっているのかといえば、特に南米に対するスペインの影響力が原因となっているためである。スペインは周知のとおり「スペイン大帝国時代」にブラジルを除く南米の国々を支配してきた。そして、その時にスペイン語が南米に伝わり、ブラジル以外の国々ではスペイン語が使われている。現在において、スペインの「強力企業」はほとんど南米に進出しており、特に金融取引において、インターネットによるスペイン語の影響というのが出てきた。そこで、現在ブラジルではスペイン語をポルトガル語と並んで公用語とすべきだという議論も真剣になされているのだという。スペイン語教育を行なうことによって、人々は職業選択の範囲が広がることにより、両国の憲法上に定められた「職業選択の自由」がより具現化できるので、こういった試みはいずれ実を結ぶであろうと話して基調講演は終了した。
基調講演が終わった後、パネリストたちによる討論に入った。梶原氏は、インフラ整備を強調するだけではなく、日本政府は人材養成をすることを行なっていることスペイン側に説明し、「政府支援によるIT講習会の実施」等についての説明を行なった。次に富士通の島田氏が、富士通で盛んに行なわれている「情報技術者検定」をアジアに広めていきたいという意気込みを表した。
中山日本側座長は、電子政府の設立などの話を盛り込みながら、行政機能がIT革命によって迅速になるため、道州制や市町村の合併も促進されるのではないかということも述べた。
続いて細野氏が日本のIT革命の特徴点として、Non PC、つまりPCを基幹とするだけではなく、モバイル(i-modeなど)を始め、デジタルTV、プレーステーション2を媒介としてインターネットが国民に普及していることを述べた上で、今年の九州沖縄サミットにおいて中心議題となった「デジタル・デバイド」の問題点を挙げ、ネットカフェや学校にPCを導入してITを普及させるよりも、Non PCでそれを行なっていけば、コストもかからないのではないのか、あるいはスペイン側に対してコンテンツをもっと拡大することについて、Marcos氏の発言を受けて賛意を表していた。
次にスペイン側からJuan氏から、このシンポジウムの内容をホームページで発表したらよいのではないかという提案が出た。このセッションのコーディネーターを務めていたガリーゲススペイン側座長は賛意を表し、ぼくもこれは楽しみにしたいと思う。次に、スペイン側のゴメス氏が「技術とコンテンツ開発を平行して行なっていかなければならない」ということを主張し、梶原氏の基調講演の内容を結果的に賛成する形となった。また、ハビエル氏が「デジタルデバイド」のことについて言及し、日欧とラテンアメリカの人々のインターネット技術へのアクセス方法が違うという状況を説明した。つまり、ラテンアメリカの人々の多くの人はネットカフェや学校でしかインターネットに触れる機会がなく、学校においても日本の大学のように、自由にPCが使えるような環境は整っておらず、逆に制限されており、まだ一般市民へのインフラ整備が進んでいないことを明らかにし、インフラ整備がデジタルデバイドを解決する糸口になることを発言した。これに付け加えて、Javier氏が人的資源の開発も行なっていく必要があることを強調した。
ぼく自身、このセッションで一番印象に残っているのが清水氏の発言であった。「IT革命」というと、「〜ができるようになる」とか「〜が簡単になる」などのポジティブなことばかりが強調されがちだが、質の悪いコンテンツが多く作られてしまったら人間に悪い影響を与えてしまうことを述べられた。ぼくは、情報が多くなってもそれを受け取るのは人間で、なれば人間が情報収集能力がコンピューターの情報収集能力に比例して伸びているのかといえばNOと言わざるを得ない。さらに人間の性として知っておかなければならないのは、「多くの情報を手に入れただけでそれに満足してしまう」傾向の強い動物であるということだ。情報を収集する人間の存在、あるいはIT革命の負の部分というのをなおざりにしてはならないのである。やはり、インフラ整備をしてコンテンツを拡大する一方で、それを扱う人的資源の開発も怠ると、単にインターネットが活用できない人とできる人との能力に差が出るという意味の「デジタルデバイド」だけでなく、善悪がはっきりした精神的な意味での「デジタルデバイド」の対策というのを考えなければならないのであろう。それをどのようにやっていくのか、それは今後注目したいところであり、ITを考えるぼくの課題でもある。
昼休みを黒田先生と過ごした後、予定通り午後2時からシンポジウムは再開された。午後最初のテーマは、「少子高齢化社会とそれに付随する問題」のシンポジウムが始まった。最初に中山太郎氏が基調講演を行なった。内容は次のようなものである。
高齢化及び少子化問題については、彼我国ともに同様の問題を抱えているようである。まずは、両国の平均寿命の推移(推測)を見ていただきたい。
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(UN World Population Prospects, 1998)
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(UN World Population Prospects, 1998)
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上のデータを見て言えるのは、両国とも男女平均寿命が80代の半ば手前まで延びている、特に女性の平均寿命は80代半ばを超えている。2005年以降のものはあくまで推測であるため、実際の平均寿命の動きとは異なる部分も出てくるのかもしれないが、医療の進歩等でこれだけ生きることができる可能性が増えてきたということを示してくれるデータであるといえよう。
長生きをすると老人の人口は必然的に増える。老人の人口が増えてこれば、老人を支える人の人口もまた増えなければ、社会保障や福祉などの財政面で不都合が生じる。つまり、老人の年金は、働いている若い人たちが稼いだお金の一部を支給しているため、労働力としての「若者」もそれに比例して増加しないと、国の社会福祉保障などの問題は立ち行かなくなる。
では、「若者」は増えるのか。老人の人口比が増えれば、当然若者の人口に占める割合は減る。次のグラフは、両国の人口構造の割合を示したものである。
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(UN World Population Prospects, 1998)
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(UN World Population Prospects, 1998)
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上のデータから分かるのは、数字に若干の違いはあるものの、日西ともに「高齢社会」が到来しているということが言えよう。老人の人口が増え、働いて税金を納める人たちが減ってくる。実際、税金を納める世代は上のグラフでいえば水色のジェネレーション(15-64歳)である。つまり、労働力も減るのである。なぜ子供の数が減っているのか、労働力を確保するためにはどのような手段を講ずればよいのか、高齢社会における「年金制度」のあり方など、上の2種類のグラフを少し見るだけで、多くの課題が見つかる。
中山氏は人口問題について、「税金問題」「ベビー用品市場が落ち込む」「私立幼稚園への需要が落ち込む」ことを挙げている。「税金問題」については前述した通り、税金を消費するジェネレーションの割合が飛躍的に増加するため、社会保障費をはじめ、税金の使い方の見直しが求められている。「ベビー用品市場が落ち込む」や「私立幼稚園への需要が落ち込む」といったは、少子化が引き起こす問題である。子供が少なくなれば、このような問題は当然に予想される。
では、「少子化問題」とはなぜ起こるのか?中山氏は「女性の高学歴化によって、婚期が遅くなること」「結婚平均年齢の増加に伴って、初産年齢も上がり子供が少なくなること」「高齢社会によって働き手が少なくなるため、女性の労働力も今まで以上に必要になっているため」であると挙げて基調講演を終えた。
続いて、スペイン側のGarcia氏が基調講演を行なった。Garcia氏はこの人口問題を労働力を持った人たちが少なくなる問題と捉え、中山氏が言われていた「出生率の低下(特にスペイン・イタリアといったカトリック系の国に多い問題)」をあげ、さらに「ラテンアメリカへの出稼ぎによる国内の労働者の低下」「失業率が高い(多国籍の人が多く入ってきたために問題に)」「スペインが住みやすいという理由で、毎年80万人ぐらいの人(内訳;欧州=50%・アフリカ=50%)がスペインに入ってくる」「不法入国者の問題」などを挙げ、税金がどんどん使われていってしまうことと、公共団体の税収が減っていることを説明して基調講演を終了した。
基調講演が終わった後、パネリストたちによる討論に入った。浅川氏は「少子化問題は女性問題である」ということを述べられた。「女性は結婚をしたら会社を辞めなければならないため、キャリアを積んだ女性は結婚したがらない、そうすると子供の数は減り日本の出生率は落ち、少子化が起こるという論調だ。これは、「男女が平等でないために引き起こされる問題である」ことを示しているのではないか。したがって、男女の役割を見直さなければならない。」と述べられた。つまり男女が違うということを認識した上での「男女平等論」が必要であろうということなのであろう。
スペイン側からGarciaga氏が、「母であるということと仕事をするということは難しい問題である」と述べ、女性にとって働きやすい職場作り、労働環境作りが官民挙げて必要になるということをこの言葉からぼくは感じ取った。続いて、「高齢少子化問題」による労働力の喪失を挙げて、その足りない分を外国人労働者を雇うという選択肢があるとは述べたものの、それによって不法労働者が国内に入ってくる可能性もその分だけ高くなるため、彼らの受け入れについては考えていかなければならないことを述べた。ぼくの知る限り、ドイツでは外国人労働者をあまりにも受け入れてしまったため、外国人による都市犯罪(例えば駅のロッカー荒らしなど)が頻発してドイツ政府は受け入れを制限したという話を聞く。ぼくはあまりこの手の話には詳しくはないが、ドイツの例を参考にしながら、女性や高齢者をうまく使いながら、労働力を確保していったらいいと思う。女性や高齢者にとって働きやすい環境をどのように作っていったらよいのかが今後の課題であろう。
さらに、「少子高齢化社会問題」は家族のあり方や結婚制度までその話が発展し、長生きする一方で核家族化が進んでいる状況があることをGarcia氏が指摘し、それを受けて日本側から中山氏が介護保険制度の充実は重要であるということを述べた。さらに浅川氏が現在日本政府で税金等の基準となっている「標準家族」の構成が、「父・母・子供2人」というスタイルなのだが、まもなく「父・母・子供1人」になるかもしれないことを示唆し、少子化による「標準家族」の変化も起きていることを述べた。
最後に、中山氏が「親の家を継ぐ」という従来の価値観の崩壊は火を見るより明らかであり、国はこうした価値観の変化、多様化にどのように対応していったらよいのかを考えていかなければならない点、「食糧事情」と「人口増加」が反比例の関係にあり、人口問題と関わって「食糧問題」をどうすべきかは先進国である両国にとっては大きな課題が残るところであるとまとめた。
個人的には「高齢化社会少子化問題」がこれほどまでに発展する議論であるということを知ることができたので利益はあった。しかし、もう少しパネリストに現状分析だけでなく、具体的な政策を発表・主張してもらえるともう少し満足のいくセッションになったのかもしれない。
第3セッションは日本側からは高垣氏が出てきて基調講演を行なった。
まず日西貿易の関係を見ていくと、日本は貿易黒字、スペインは貿易赤字である。日本は自動車・部品・機械電子機器など重工業と呼ばれる分野の取引で貿易額のシェアの4分の3を占めているのに対して、スペインは自動車や宝石といったお金になるものはシェアの半分ぐらいしか占めておらず、あとは近年のスペインの規制緩和によってワイン・オリーブオイル・オレンジ・アパレル関係、今年からスペインの特産物ともいえる生ハムなどの輸出を進めているようだが、貿易黒字・赤字関係を是正するところまではいっていないため、貿易赤字問題は解決されていない。次に日本からスペインの投資に注目していくと、70年代から80年代にかけて、いわゆる「スペイン投資ブーム」が起こり、巨額の投資がスペインに行なわれた。しかし、1990年にバブルが崩壊してから、セビリア万博やバルセローナオリンピックが行なわれても、投資は以前よりは下火になっている。一方のスペインから日本に対する投資は、日本がスペインに対して行なった投資と比べるとはるかに少ない。つまり、スペインは日本に対しての関心度が日本がスペインに対して持つ関心度よりも低いことを示している。日本に投資をしてはならないという政治的な規制があったわけではないし、旅行者の数を見ても、日本がスペインに行くのと逆のパターンとでは人数の開きがあるし、日本語(のこと)を教えるようなスペインの教育機関は、日本がスペインのことを教える機関と比べても圧倒的に少なかった。しかし、2000年にスペインのアスナール首相が「アジア太平洋総合計画200-2002」を発表し、アジア・太平洋戦略をする際に、日本は絶対に欠くことのできないポジションにあると位置付けるなど、スペインが日本に対しての関心が高まっていることもまた事実である。下の図を見ていただきたい。

(日本とスペインの市場影響力)
上の表は、日本スペインそれぞれがどのような国に多くの影響力をもっているのかを図示したものである。これを見て明らかなように、日本はアジアに、スペインは南米と北アフリカに大きな影響がある。
スペインがアジアに進出しようとした時、スペイン単独でアジアに進出しようとすると、日本はもちろん他の国にその進出を阻まれる確率が高くなる。しかし、アジア市場に影響力を持つ日本と協力すれば、アジア市場にすんなりと入ることができる。逆に日本は、南米や北アフリカといったスペインの強いところに進出するために、スペインを使えば効率的にこれらの地域に進出することができるというわけである。
このような協力関係を結ぶ可能性もあるというのは大きな問題である。相互の文化を知ることはもちろん、誘致をするだけの環境も整えなければならない。日本企業誘致に特に最近熱心なのが中東諸国なのだが、スペインもこれに負けずに企業誘致を進めていかなければならない。スペインでは特に都市部での治安の悪化が言われている。日本人観光客をねらった悪質なひったくりなどが多発しており、ぼくがスペインに行ったときにはパスポートのコピーだけがパスポートを取られてしまった場合有効になるということで、パスポートをコピーしてスペインに行ったことを覚えているが、スペインで開かれた「日西合同委員会(マドリード商工会議所)」で議題として取り上げているぐらいで、日本人が注意しなければならない点も含めて会議が開かれているのだという。ただ、この基調講演には、スペインが日本にすべきことばかりが挙げられたため、日本が逆にスペインに対してなすべきことが挙げられていなかったという印象がある。
次にスペイン側からMaria氏が出てきて日西関係のことについてのコメントがあった。Maria氏は、スペインが世界三大通貨ブロックの「ドル・ユーロ・円」のうちの「ユーロ」の一躍をスペインも握っている。ユーロ(ヨーロッパ)というと、やはりロンドン(イギリス)やベルリン(ドイツ)を見てしまう傾向があるが、今後の世界への市場拡大を考えるのであれば、ラテンアメリカへの拡大は避けて通れない。スペインはこの10年、比較的良好であり外国投資家にとっても恵まれた存在である。ラテンアメリカへの影響力は、ユーロ(ヨーロッパ)内では一番であるし、アメリカ合衆国と並ぶ、それより大きな影響を与えている。さらにMaria氏は、「アジア太平洋総合計画200-2002」にも触れ、「ラテンアメリカに日本の企業が進出するときはどうぞスペインを使ってください。スペインのアジア進出で日本は重要なパートナーである」ことを強調して基調講演を終えた。
もちろんこの話は、両国の経済戦略上だけのものではない。例えば、中南米でも問題になっている「貧困問題」撲滅のための運動などにも効率的に使える。つまり、両国が手を取り合うことは、こうした「貧しい者」を救う足がかりにもなるといえるのである。
基調講演が終わった後、パネリストたちによる討論に入った。日本側の細野氏からは、中南米においてスペインの企業が大きなシェアを誇っている(例えば電話のテレフォニカなど)ことをデータとともに紹介したあと、「日本は資源のない国だが、中南米には多くの資源があるので日西でセクター別の検討の余地がある」ということや、「日本からのスペイン直行便がないのは国交がまだうすい証拠である」といったことを述べられた。次にスペイン側からは、日西関係をよりよくしていくために解決していかなければならないバリアとして、「日本はスペインの製品の質のイメージと現実をよく理解してない」「スペインブランドの認知度」「情報が少ない」ことを挙げ、スペイン側からも少しでも情報を提供していかなければならないことを述べて、第3セッションは終了した。
このセッションは、新しい発見ばかりであった。南米におけるスペインの影響力というのは自分が想像していた以上に大きなものであるということを発見できたのは目から鱗が落ちる気分だった。
第4セッションはスペインの経済成長の歴史についての話から始まった。基調講演者は日本側からは荒船氏が行なった。スペインは30年程前のGDPは発展途上国並みの水準でしかなかった。しかし1978年憲法が採択され、施行されるとPSOE(スペイン社会主義労働者党)政権下で着実に経済成長を果たし、1990年にはOECD、DAC入りを果たした。そして2000年3月に「アジア太平洋総合計画200-2002」を発表し、中南米ではアメリカ合衆国に並ぶぐらいにまで成長してきた。ここまでは前のセッションでも述べられていたが、このようなことを知っている日本人がいったいどれぐらいいるのか?スペインはサラマンカ大学に日本のことを研究できる学科や研究所を設立して、以前よりも日本のことを知ろうと努力を始めた。ところが、日本にはスペインの会社があまり投資していないので、日本人がそれを肌で感じない、そのため現代的意義でのスペインのイメージがわかず、文化的な、伝統的な側面でのスペインのイメージしかわかないのであると述べられた。
次にスペイン側からJuan氏が基調講演を行なった。荒船氏の日本におけるスペインのイメージの話を受けて次のようなことを言った。日本におけるスペインのイメージは大幅な改善の余地があるということを述べた。まず、文化面ではいたって良好で、プラド美術館の観客の半数を日本人が占めるというぐらいで、今後も日本人はスペインの芸術に関心を持ちつづけてほしいと述べた。しかし、スペインは先進工業国であるというイメージは定着していない。日本でなぜそのようなイメージが持たれないかといえば、おそらく日本の近代化に関与していないからなのではないだろうか。日本が近代化を行なっていた頃、スペインの国内は危機的な状況下にあり、とてもフランスやドイツなどのようなことはできなかったのである。しかし、スペインはEC(現EU)に加盟した後、グローバル的戦略を練り始め、中南米・北アフリカを中心にもはやグローバリゼーションの波に乗り遅れていない状況を作り出している。つまり、スペインのイメージを払拭できるだけの条件はもはや整っていると言える。日本の企業はスペインへの財政投資を積極的に行なっているようで、マドリードやバルセローナといった大都市を中心に支社を置く動きが高まっている。しかし、一般庶民のイメージはまだ解消できていない。そこで、質的なアドバタイズをする必要がある。近年、バルセローナを中心にアパレル関連の産業が盛んになっているが、こうしたものを日本に対してプロモーションを行なっていくのは一つの手である。次に、スペインにおける日本のイメージであるが、「日本文化」への関心は高くなっているそうである。しかし、先程から何度も述べているように、スペインは日本に対しての投資が少ない。その証拠に、スペインのマスコミは新聞社が1社日本に存在するだけで、テレビ局に至っては、一番近いところに香港があるだけで日本には一つも存在しない。「アジア戦略に日本は重要なパートナー」と政府は言っているのに、これはおかしなことであると述べて基調講演を終えた。
ここで基調講演があるはずだったのだが、Juan氏が「日西の掛け橋になってくれた」といって、Domingo氏を演壇に呼んだ。Domingo氏は、日本の民法をスペイン語に訳した方である。日本の現行の民法は1898年に施行された。しかし、ドイツやフランス(主として財産法の部分)、アメリカ(戦後の家族法の分野)のまねをして日本の民法は作られたという見解が一般的であるが、決してそうではないと述べる。Domingo氏は、日本の法学者が欧州を超える法律(民法)を作ったと高く評価している。スペインの民法よりも日本の民法はあとに作られているのだが、日本民法の起草者として名高い穂積陳重が、「スペイン民法」を持っていたという事実もあったのだという。
そんな特別基調講演を終えて、日本側から中山氏が登場した。中山氏はスペイン駐日大使に対して、ナバーラ付近(国境付近)で整備の行き届いた高速道路の建設があったが、それはなぜかという質問があった。これに対してスペイン側からは、スペインのEU加盟によって物流が促進されるため、国境付近の高速道路などの交通環境を整備する必要性があるということを説いた。他に、EUとASEANの定期的な首脳会談をスペインが日本に提案してほしいということや、通貨統合(ユーロ)とスペイン戦略に関して言えば、日本はEUを踏まえたスペイン戦略が必要であり、スペインを利用してラテンアメリカ諸国の戦略を練る必要があることを述べた。また、天皇・皇后陛下の一番興味がある国はスペインであるということに触れ、両国皇室王室関係はいたって良好であるものの、議会間では事実上の国交はないので日西議会の交流も図るべきだということを主張された。さらに、日本側から清水氏がスペインのイメージについて新たに3つのことについて触れた。1つ目は、スペインは周知のとおり、1992年にバルセローナオリンピックやセルビア博覧会があって、世界中がスペインに注目したが、あまり注目されすぎると実体よりもイメージが先行され、さらにそれだけ注目されると、虚偽のイメージがリピートされてしまう危険性があるということ。2つ目はスペインに関心が高まっている企業と全く関心を持たない日本人との差が歴然としているということ。3つ目は異国を理解するというのは謙虚に客観的に国家間の文化等の差を認識しない。そのためには、globalな視点でスペインを捉えていかないといけないということや、長いスパンでスペインという国を見つめていかないとスペインという国を理解することはできないと述べ、具体的には中世ヨーロッパとEUというようなテーマ付けで、大きなテーマ付けをしていくことが必要であるということを強調した。さらに、日本側から辻氏が、産業革命とIT革命の問題に触れ、IT革命の作り出すものは次第に寿命が縮まっているということを述べた。例えば、プログラムが新しくなると古いコンピューターでは読めなくなってしまい、どんどんソフトをアップしていかないと今までの情報が読み込めなくなる。その点、書物で残せば文語が分かれば内容を簡単に知ることができる。ITは記録媒体を直接人が読むことはできない。それがITの欠点なのである。要するに作り出されるスパンも短く早くなる一方で、システムの崩壊も早まっているということを主張し、「IT万能」を批判した(関連;シンポジウムの"IT革命"の項)。次にスペイン側からGarcia氏が登場して、スペインの「アジア太平洋総合計画200-2002」に触れ、改めてスペインがアジア進出をするときに日本が重要なパートナーになるということを述べたあと、日本の現状をスペインで知ることができるようにしなければならないことを重ねて強調した。日西でglobalizationを念頭において提携をしていくことが両国の将来にとってよいものになると述べた。また、南米の貧困問題にも触れ、両国で南米の支援をしていけたらという提案もされた。さらに、スペイン側がLopez氏は、サラマンカ大学で日本を知るために東洋学の学科を作ったということにも触れ、文化や教育をアカデミックな視点で知ることは両国を発展させるものであるということを述べて、第4セッションは終了した。
その後の「質疑応答」では、黒田先生が質問に立たれ、日本のアニメがスペインにも進出しているということに触れ、漫画同好会などの民間の文化団体同士の交流も盛んに行なわれているそうであり、政府はそういう場を設けるための資金援助をすることはできないかという要望を出した。その要望に対して、スペイン側は財団法人日西会議 (Fundacion Consejo Espana - Japon)を設けて、これらの活動を支援するということをおっしゃっていた。日本側は、現在そのような計画は立っていないという答えを出された。黒田先生はそのご褒美に日本の民法をスペイン語に訳した本を贈呈され、嬉しそうな表情をされていたのは印象深かった。
こうして、両国の座長が一言話され、握手をして「第4回日本スペインシンポジウム」の1日目は終了した。
ぼくにとってはこのシンポジウムがとてもセンセーショナルなシンポジウムになった。スペインの政治や法律を学び始めてこのシンポジウム現在で1年半が経つが、スペインという国がより身近に感じられたそんな機会だった。
ぼくと黒田先生はシンポジウムが終わった後、レセプションに出席した。午後7時30分からシンポジウムが行なわれた隣のルネッサンスホテルボールルームBという部屋で行なわれた。最初は両国の座長、梶原岐阜県知事、聖マリア女学院の女子高生のスペイン語のスピーチ、聖マリア女学院の生徒によるハンドベルの演奏や和太鼓の演奏があったのだが、とてもお腹がすいてじっと聞いていられない。先生は、「こういったレセプションは(特にスペインのは)長いから普通は何か少し食べてから参加するものだ。」ということを教えていただいたが後の祭り。しかしいい経験になった。ぼくがスペインに行った時も確かに「もてなし」というやつが並みではなかった。ちなみにぼくと先生は我慢ができなくなり、乾杯の前にビールを開けて飲んでしまった。
これが1時間続いた。ようやく夕食にありついた。料理も素晴らしかった。レセプションということで立食パーティー形式だったのだが、スペイン料理の周りには日本人が、日本料理の周りにはスペイン人が固まっていたのが滑稽だったが、パエーリャは本当に美味しかった。ぼくにはスペイン料理が口に合うらしい。ぼくはパエーリャを3杯おかわりした。立食パーティーでこんなに迷惑のかかる人はいないだろうと自分で感心してしまった。
恵まれたのは料理だけではなかった。ここにはシンポジウムでパネラーとして参加していた方とはもちろん、1日ぼくと同じような立場で聞かれたいた方やシンポジウムの役員の方などを始め、多くの方と接するいいチャンスだった。中山氏とは国会議員というお立場にある方とではあったが、なんと5分間ぐらいも引き止めてグローバリゼーションとそれにどのように日本は対応していったらよいのかという議論をさせていただいた。中山氏に向かって堂々と意見も述べた。中山氏の意見も反駁した。とてもいい機会だった。他にも黒田先生のご紹介で近鉄の名誉顧問の方でスペイン大使を以前なされていらっしゃった方や岐阜市のお隣の市町村の助役、東海テレビで「名古屋スペイン協会」の幹事をなされている吉田さん、岐阜県の梶原知事などと歓談をした。スペイン人の方とも何人かと英語で歓談した。1日でこれだけ多くの方と、しかも社会の一線で活躍されている方とお会いできて本当に素晴らしい機会に恵まれたとぼくは思った。
午後9時30分頃に宴が終わった。ぼくと先生はタクシーで岐阜駅に戻り、帰宅の途についたのであった。
翌日、岐阜県民ふれあい会館で非公開のシンポジウムが続けて行なわれた。1日目を含めたこのシンポジウムの内容のレジュメは、外務省のホームページに掲載されているのでそちらをご覧いただきたい。