KASHIROMANES
- 躍 動 -




Written by Kashiroman


はじめに


久しぶりに自分のことを題材に書きたくなった。「Kashiromanの新スペイン法入門講義」のような客観的な文章を書いていると、ふと「この文章を書いている自分って何なんだろう?」と思うことがある。ぼくは、これまでも「客観的な学術文章」と「主観的なエッセイ」とを交互に書いている傾向があるが、正反対の性格の文章を書くことで、自分の「モノ書き」のバランスを図っているように思う。

他にも正反対の自分の存在があることで、ぼく"Kashiroman"という存在があるようだ。

このようにぼくは、「極度なアンビバレント人間」なのだろうと思う。正反対の事象を持っていて、振り子のように両者の間を激しく動いて「自分」という人間が存在しているのだろう。こういう生き方は正直疲れる。ましてそのバランスが崩れると、精神的なバランスだけでなく肉体的にも偏重をきたすことすらある。しかし、この両極端こそがぼくの持ち味でもあるし、その振れ幅がなくなったら...と考えるだけでも恐怖である。

本稿「KASHIROMANES (カシロマネス) -躍動-」は、「モノを書く」理由から始まって、ぼくが学問を志すきっかけとなった一コマを描いたものである。自伝的な内容なので、興味のない人には全く興味のない作品だろうと思う。自分のために書いた作品だから、他人の読んでもらおうと思って書いていない。「よかったら読んでね。」という程度の軽い気持ちでペンを握った。

ぜひ、Kashiromanに興味のあるというマニアックな方に読んでいただければ幸いである。


「モノ書き」の原点


最近は「Kashiromanの新スペイン法入門講義」の執筆を行った。これは5年間を費やして、ある程度自分の納得できる形でリリースすることができた。その間にも、愛知万博でのスペイン・パビリオンの舞台裏を1年間にわたって追い続けた「ありがとう!! スペイン・パビリオン 応援ウェブサイト」という作品もリリースした。 また、不定期ではあるが、Kashiroman's Blog 「ブログの王子様」というブログに文章と写真で日常生活を公開している。なぜ日常生活を文章にしているのか?正直言うと自分でもその理由は分からない。

「モノを書くことが好きなのか?」

と言われるが、答えに窮する。特に好きだから書いているわけではない。作家だとかライターになりたいだとか、そういう願望があるわけでもない。むしろ、文章を書いている最中は「苦痛」な気持ちの方が大きい。なぜなら、想像以上に「体力を使う」からである。1つの作品を書くのに、特に追い込んで書くときは大概体重は2kg以上は減る。神経が高ぶって眠れないこともある。今でこそしなくなったが、何日間か徹夜して倒れたこともあった。こんな辛い目にあっているはずなのに、ぼくは文章を書き続けている。2001年頃だったかと記憶しているが、ぼくはこんな文を書いたことがある。

今の気持ちを整理する道具として、「執筆」という手段はとても大事なものなのです。

しかしよく考えてみると、この当時の自己分析というのは若干甘いのかなぁと思う。「今の気持ちを整理する」目的で「執筆」を行うこともあるが、それが一義的な目的ではないのではないかと今になってみると思う。かつて自分が執筆した作品のことを述懐してみると、「ありがとう!! スペイン・パビリオン 応援ウェブサイト」などはその典型であるが、まず書きたいものありきで、取材をしたり執筆したりしている。やっぱり自分でストーリーを作ってそれを文章という形で表現しているにすぎないのではないかと感じるようになった。もし自分にとって文章よりも写真や映像で記録を残すことの方が「やり易い」とか「得意だ」ということであれば、

といったことをするはずである。

自分の周りで起こっていることについて、文章にせよ写真にせよ映像にせよ、「作品を作る」という観点で目の前で起こっていることについて注意深く見ていた方が確実に自分の心の中に思い出として残る。堅い言い方をすれば、経験したことを記録して自分のものにしたいのである。おそらく他人と比較しても「欲深い」のだろうと思う。同じことが目の前で起こっていたとしても、そこからできるだけ多くのものを吸収しなければ、「作品」としての価値はなさない。だから、「努力」してしまうのである。

「モノを書く理由...」

おそらく、溢れる好奇心が、目の前に起こっている様々なことを記録して記憶するために「作品」作りをぼくにさせているのだろうと思う。

ところで、そもそも「モノ書き」をしようと思ったきっかけとは何なのだろうか?

小学校の思い出の一つの中で、おそらく多くの人は「夏休みのできごと」を挙げる人は少なくないはずである。ぼくもいろいろあったけれども、基本的には暇だったので、毎日無料で学校のプールで泳がせてくれるので、お盆以外はほとんど毎日学校のプールに出かけたものである。

それともう一つ夏休みの思い出に残っているのが「自由研究」というやつである。振り返ってみても、

学年 テーマ
小学校1年生 あさがおの研究
小学校2年生 新聞の研究、新聞広告の研究
小学校3年生 地球誕生から恐竜の研究
小学校4年生 人類誕生の研究
小学校5年生 日本史の研究、サビの研究
小学校6年生 世界史の研究

といったことを研究(調査!?)した。今思えば、夏休みの「暇な期間」の暇つぶしのような内容ばかりなのだが、これを通して、一つの「書物」を一部は親に手伝ってもらったものもあったが、ほぼ独力で作成していく中で、文章を完成させていくことの面白さや達成感というのを学習したと思う。

また、400字詰め原稿用紙100枚にわたって書いた「修学旅行記」もまた自分にとってはよい思い出である。「写真は使わない」というルールを自分で作って、文字と絵だけの世界で、自分の調べたことや感じたことをどれだけ楽しく表現できるかという点に注意して書き上げた。400字詰め原稿用紙100枚という量は、そんなに苦痛ではなかったし、モノが完成したときは達成感で天にも昇る気分だった。

小学校を卒業してからはしばらく多量の文章を書くことは少なくなったが、大学に入学したこととインターネットという媒体と出会ったことがきっかけで、再びこうして文章を書くことを再開した。

今では、ウェブサイトに独自ドメインを設定して文章などを公開するまでに至っているが、こうした体験がぼくの執筆活動の原点になっているのだろう。


学問


学問の面白さに目覚めたきっかけ

2007年になってから、齋藤孝「教育力」(岩波書店)・2007年という「岩波新書」を読んだ。Kashiroman's Blog 「ブログの王子様」にも、次のようにこの本を紹介した。

著書の話によると、「教育の根底にあるのは、あこがれの伝染である」と述べています。また、「「〜したい」という願望が、学ぶ意欲に火をつける」わけであり、「教育の一番の基本は、学ぶ意欲をかき立てることである」と述べています。そして、学ぶ意欲をかき立てる"役"まわりを演じる教師という存在は、教育の裏付けとなるような「研究」を行い、それが「面白くて仕方がない」と思うような「研究者性」を持ち続けることが、「教育力」の1つだということを述べています。
(中略)
ぼくもきっとそういう「学徒 (註: 80歳まで、その瞬間、学んでいることで素晴らしい生命の燃焼感が得られている場合、学ぶこと自体が目的といえるほどに幸せだと思っている人のこと)」であり続けるんだろうと思います。私見ではありますが、「学ぶ力」とは「感動する力」だと思います。その「感動したこと」を形にしたり人に話したりすることは、人間の感情として自然なことなんだと思いますね。ぼくだって、「スペイン法」で学んだ「感動」を伝えたいっていう一心でウェブサイトを作成しているわけですよね。そういう当たり前の人の摂理が次世代に知恵を伝承する力になって、人類の文化が引き継がれていくのだろうと俺は思います。

文章は若干修正したが、エッセンスはほぼそのままである。ぼくの「学問観」というか、「学びたい」という衝動というか気持ちというのは、「何か自分に役立てたい」とかそういう気持ちではないということである。

ぼくは「学問」の楽しさを、高校3年生の時の大学入試のための受験勉強をしていた時に初めて感じた。それまでの「勉強」というのは、先生から与えられた「課題」をこなしていき、その「課題」をきちんとこなしていけば、「学力」が自然と付いてくる、といった感じだった。確かに、高校生の段階ではまだ知識レベルも低いし、ある程度"その分野"のことについての知識を持った人から体系的に合理的に素直に学んだ方が、「学力」も身につく。しかしそれだけでは、単なる「学力向上」という目的のみで「勉強している」だけで、そこから決して「面白み」は感じなかった。

「学問」の面白さを感じたのは、高校3年生の時に通っていた東進衛星予備校での出口汪先生の講義だった。その中で登場したのが、「ストックノート」というものだった。

「ストックノート」とは、現代文の授業や問題集などをこなした時に学習した内容を「要約」し、その内容について、他の文章を読んだり新聞やニュースなどで収集した知識を関連付けたりしながら考え、それについて自由にメモしていくノートのことである。

具体的な「ストックノート」の作り方について紹介しよう。

  1. 一冊のノートを用意する。
  2. ノートを見開きにする。
  3. 左ページの欄外に抽象的な「題名」を書く。
  4. 要約文を作成する。具体的に書くこと。
  5. 読んだ文章のタイトルと筆者の名前をメモしておく。
  6. その他、読んだ文章に関しての留意点(論理構造や評論用語の意味など)を記入しておく。
  7. 右ページは、自由記述欄。最初は空欄で構わない。文章を読んだ感想でもいいし(但し具体的に)、他の文章と絡めての感想を書いたり、あるいは別ページの内容とリンクさせたり(例えば、文明論と教育論のシンクロなど)する。新聞や雑誌のスクラップでもいいだろう。だから無理して書く必要はない。空白にしておいても構わない。
  8. 1日1回はノートを見て、本文を思い出しながら要約を読む。そして、その「分野」について書きたいことが出てくれば、右ページにそれを書く。
<ストックノート参考例>
「教育論」 (2001/05/27)

知性のある人間というのは、様々な新しく複雑な問題に対して心を開いて勇敢に立ち向かう。過ちも潔く認め、そこから学ぶ。知性のない人間はこれとは正反対の対応をする。両者は基本的に異なった存在なのである。
(法政大学英語入試和訳)

[論理パターン]
最初に筆者の主張であとが全部「具体例」である。
[言葉]
「また」は「並列」の接続詞。
「西洋」における「教育」とは、「神から与えられた才能」を伸ばすことであるという認識が強い。
(GW中の学校の宿題の英文から)

日本における「教育観」は.....で....という傾向がある。

ぼくは......と思う。なぜなら...だから。
 

毎朝新聞記事
(2000/03/15付)
週刊毎朝
(2005/02/13付)

出口先生から指導を受けて、上記のように読んだ文章を保存(ストック)して、1日1回はノートを振り返り、自分の思考訓練の土俵としてこのノートを使用した。

「ストックノート」は、「要約」することで国語力も身につくし、知識の関連付けを行うことで柔軟に頭を働かせる訓練にもなった。さらに、「ストックノート」は、高校生のぼくの中にあった「教科」という壁を破壊して、いろいろな事柄を関連付けする面白さを感じるきっかけとなった。

ぼくの「学問観」

出口汪先生の現代文の講義「驚異の現代文」で扱った文章や問題集で解いた文章は、必ず「ストックノート」にまとめた。そして、「ストックノート」をまとめて、「現代」という時代についての様々な人たちの書いた文章を読んでいる中で、今後のぼくの生き方に影響を与えた文章に出会った。それは、飯坂良明さんという方の文章で、問題集には「現代社会を見る眼」というタイトルが書いてあった。早稲田大学の入試問題である。内容は、問題文の冒頭にある「レジャーとは何か?」という内容で、「現代という時代において、本来の意味におけるレジャー観が失われているのではないか?」という強烈なメッセージだった。

飯坂良明さんの文章やその後に読んだ「レジャー」の概念を検討した学術論文を読むと、現代社会においては「レジャーとは何か?」という考え方について大きく2つの考え方がある、と述べられている。下記の表にまとめてみた。

[レジャーとは何か?]
- アリストテレス的な考え方
(エピクロス的態度)
アリストテレス的でない考え方
(ストア的態度)
「レジャー」の時間の定義 それ自身の目的のための「自己目的的行為」を行う時間のこと 仕事の時間から離れた時間に、再び仕事に戻るための活力を回復するための時間のこと
「レジャー」と「仕事」との関係 「レジャー」と「仕事」は直接関係ない。 「レジャー」は「仕事」に対して従属的である。
仕事中心の考え方ではない 仕事中心の考え方
「レジャー」そのものに価値があるので、そもそも「何か」に従属する概念ではない。
「レジャー」と「娯楽」や「レクレーション」との関係 関係ない 「気晴らし」
「仕事のつまらなさからの逃避」
「レジャー」という行為についての態度 能動的な態度で臨まないと「レジャー」はできない。 能動的な態度でなくても、「レジャー」はできる。

アリストテレスは、自身の著書「ニコマコス倫理学」や「政治学」の中で、「レジャー」の重要性を説いている。その中で、かつてのギリシアの中でも強いポリスだったと言われている「スパルタ」が早期に滅亡したことについて、アリストテレスは、

「スパルタ人は戦争をしている時は安心しておれたが、しかし、武力で天下をとるとまもなく滅んでしまったのだ。なぜならば、平和によってもたらされたレジャーをいかに生きるかを知らず、また戦争の技術よりももっと大切な修練をつんでいなかったからである。」

と具体例を交えながら、上の表でいう「ストア派的な態度」での国づくりを戒めている。アリストテレスは、平和時においてエピクロス的態度での国づくりを中心に据えるべきだと主張している。

この意味からすると、ぼくが「Kashiromanの新スペイン法入門講義」のような作品を書いたり、歴史を紐解く一人旅にでかけてエッセイにまとめたりする行為は、まさに「自己目的的行為」であり、アリストテレス的な考え方でいう「レジャー」なのである。したがって、これらのことを、例えば労働の目的であったり労働に役立つ目的で研究活動をしているわけではない。まず自分が「面白い」「やりたい」と思うから行うわけである。そして、「面白い」と思って勉強した成果は、たとえそれが陳腐なものであっても、他人に伝えたくなるものである。自分が面白いと思ったことを、「今日さぁ...。」と言って友達などに話すのと同じ感情である。

閑話休題、「レジャー」の概念についての検討のところに話を戻すと、飯坂氏の文章にこのようなくだりがある。

技術の発展が、ますます多くの余暇をひとびとに将来あたえていくとすれば、その余暇においてひとびとが、生の充実を味わえるようないとなみ、つまりそれ自身において意味と価値ある行為をなすことができるであろうか。現実の傾向はむしろその逆をめざしているようにさえみえる。さいきんにおける余暇の増大は、いわゆるレジャー産業の目覚しい発展をみ、そのあくなき営利追求は、それが提供する大衆娯楽とあいまって、ひとびとに生の充実と人間性の回復の機会をあたえるよりは、生の堕落と人間性の喪失をはてしなく助長しつづけることになりかねず、余暇を善用できないひとびとを輩出する可能性が大である。

さらに、飯坂氏は、別のところでも、「自由時間」を大衆娯楽を吸収する時間になってしまい、アリストテレス的な「レジャー」を行うのに必要な「能動的な態度」を育む環境が失われている、と述べている。

飯坂氏の主張は納得できる。市民革命や産業革命で生じた「近代主義」が生んだ「生産主義」が「規格化」「没個性化」を生んでいることは周知の事実だ。モノを売るために、たくさんのモノを大量に生産するには、生産工程をマニュアル化した方が「効率」的であるからだ。今や「娯楽」も生産され、無批判に「流行」を追おうとする。「受動的」な人間が増えている。個々の「主体性」が求められる「自由主義」が「近代立憲主義」を支配する考え方であるはずなのに...。しかし、それが現代である。ぼくは飯坂氏の分析には賛同できる。

ところが、ぼくは...というと、現代人ではないのだろうか...前に示した「アリストテレス的なレジャー観」を持ってこれまで成長してきたような気がする。周囲の環境がそうさせてくれたのだろうとも思う。

まず、家庭環境の面からいくと、自分の親は決して流行に敏感なタイプではない。むしろその反対である。こういった特に母親からの影響をぼくは受けたように思うのだが、母親にはお花やお茶や手芸といった趣味があり、それを心から楽しんでいた。ぼくは残念ながらお花もお茶も手芸もできないし手先に関して言えばパソコンのキーボード入力の速さ以外では極めて「不器用」な部類に属するが、そういう母親を見て育っているので、作り出された「流行」などに乗り遅れているか否かを気にしなくても、「自分が面白いと思ったことを飽きるまでやる」ことが楽しいんだということを背中で教えてくれたのだと思う。その母親はもうこの世にはいないが、母親がぼくに遺した貴重な「無言の教え」だったのかなと思う。

その他の学習環境でいえば、ぼくの「学問の楽しみ」がスタートした大学受験時には、さきほどの出口汪先生や英語の永田達三先生や横山雅彦先生、大学に入ってからもゼミの黒田清彦先生といった尊敬する師匠から、母親が背中で教えてくれたような「アリストテレス的なレジャー観」をいろんな形で叩き込まれたような気がする。

定年退職後の「余暇」

ちょっといらないお世話かもしれないが、自分の外に目を向けてみることにしてみたい。最近ニュースでよく話題になるのが、「団塊の世代」の大量退職の時代がとうとうやってきた、というニュースである。「団塊の世代」は、いわゆる昭和22年から昭和26年にかけて生まれた世代のことを言い、堺屋太一さんが命名したのだという。

その世代が「大量退職」し、会社から様々なノウハウがこれによって失われるということで憂慮されている一方で、「団塊の世代」の退職後の「余暇」を利用したビジネスがこれからもっと流行るということで、企業の様々な取り組みや商品が紹介されている。前者については由々しき問題であると思う。後者については、「退職者」が活躍できるチャンスを広げる企業の提案については賛成できる部分もあるが、「退職して暇になったから、さて何か始めてみませんか?」というようなコピーのビジネスについては余計なお世話だと思ってしまう。なぜか?

退職後の「余暇」という考え方が気にくわない。人生80年というが、ぼく自身「いつ死ぬか?」分からない。「余暇」という概念に、人間が必ず体験する「死」という概念は包含されていない。「いつ死ぬか分からない」人に、「余暇」という概念は生まれるはずがないからである。毎日を生きることに必死なのだ。されば、誰しもが致死率100%の存在であるのならば、毎日「自分のやりたいこと」をして生きれば(100%というわけにはいかないだろうけれども)楽しい人生を過ごせるということは当然のことだし、そもそも作為的に作られた「退職」という制度も「余暇」という概念も関係ないのではなかろうか。

はっきり言ってしまえば、「退職して暇になったから、さて何か始めてみませんか?」と、今まで何もやってこなかった人(理由があって敢えて不作為だった人については考慮しない)が赤の他人に言われて何かを始めてそれを継続できる人というのは、圧倒的に少数派だと思う。そもそも「主体的」に生きられない人に、強制されずに物事を継続する力なんてないからだ。企業もよく「無駄金」を捨てさせるようなビジネスをいろいろとひねり出して考えるもんだと感心してしまうのはぼくだけだろうか...。現在の「団塊の世代」こそが、「アリストテレス的なレジャー観」を持っていた方がよいのかなぁ...と思う。

もっとも、ぼくのような現在20歳代の人たちが60歳代になる頃には、否が応でも生活のために働かなければ生活できないような経済状況になっているだろうけれども、理想は「退職」という制度の存否に関係なく、何らかの生き甲斐を持って「死」への道を歩き続けていきたいな...と思う。


音楽


モノを書くときのぼくと音楽は切っても切れない関係がある。今まで書いてきた作品の中で、一度も音楽を聴かずに書いたという作品は一つもない。この文章も、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」という、知る人ぞ知るピアノの難曲の1つで、ロマン派音楽の金字塔を打ち立てたと言われる曲を聴きながら執筆している。

いつの頃からか、ぼくは音楽がとても好きになっていた。歌を歌ったり楽器を弾いたりすることが楽しくて仕方なかった。だから、小学生の頃の音楽会というのは楽しみで仕方なかった。家にはないいろんな楽器を弾けるチャンスだし、自分ひとりではできない和声もクラスメイトと一緒であればできるからだ。

モーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク 第2楽章」

小学校1年生のときの音楽会の時の思い出の曲である。「アイネ・クライネ・ナハムジーク」は、知る人ぞ知るモーツァルトの有名なセレナードである。この第2楽章を、ぼくが小学校1年生の時の6年生が演奏したのだ。

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」第2楽章を演奏した6年生のクラスに憧れの先輩がいた。それは同じ町内の班長である。その班長がそのクラスに所属していた。最初はその班長にいろいろと優しくしてもらっていたのだが、次第に班長のクラスメイトにも、

「Kashiroman兄ちゃん」

なんてぼくに言ってくれながら、そのクラスメイトの「お兄ちゃん」たちと花火をしたり自転車でいろんなところに連れて行ってもらった。もしこの後に下級生が入ってきたら、

「あういう面倒見のいい上級生になりたいな...。」

と最下級生の時でありながらも思ったものである。

そういう憧れの「お兄ちゃん」たちのクラスが、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の第2楽章を演奏したのである。他の6年生のクラスは、みんな「コンドルは飛んでいく」を演奏していた(この曲もとっても大好きな曲なのですが...)のだが、憧れの「お兄ちゃん」たちのクラスはその曲を演奏した。音楽会の時にこの曲を初めて聴いたのだが、あまりに美しくて迫力のある演奏に背中がゾクゾクっとした。1度聴いて、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」第2楽章のだいたいのメロディを覚えて、音楽会が終わってからしばらくの期間はこの曲のメロディをずっと口ずさんでいた。

憧れの「お兄ちゃん」たちのクラスが演奏した楽曲名が「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の第2楽章だったということを知ったのは、あの音楽会が行われてから随分経った大人になってからである。嫌いだったモーツァルトの曲を聴いてみようということで、まず有名な「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のCDをレンタルショップで借りてきて聴いた時だった。小学1年生の時に聴いたあの曲がぼくのコンポのスピーカーを通して聴いた。メロディを覚えていたのだ。小学1年生の時の「お兄ちゃん」たちと遊んだ思い出が走馬灯のように駆け巡ってきた。

勢いよく坂道を転がる「お兄ちゃん」の運転する自転車の後ろで悲鳴を上げながら風を切る爽快感...
夏休みに夜空に開いた花火の光...
ひな祭りパーティーの時に「お兄ちゃん」と一緒に食べたチラシ寿司...
そして、音楽界の時に聴いた「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」第2楽章の演奏...

過去の感覚が一度に現在に蘇ってきた。まるで金縛りにあったかのような感じだ。流れてくる涙を止める術はなかった。過去に聴いた音楽がずっとぼくの体の中で生き続け、1枚のCDの力で蘇ってきたのだ。音楽は偉大だ。一度音楽を聴いただけで、過去のどんな思い出話よりも懐かしさがこみあげてきた。

橋本祥治「ひろい世界へ」

初めて全校の前でマエストロとしてデビューした曲である。初デビューは小学校の卒業式。きっかけは、音楽の授業や音楽会の時に目立っていた「ピアノを習っていた女の子」に対して、「男」でも音楽ができるし音楽会で目立つことができるんだということを証明するために、いろいろと試行錯誤した結果が、マエストロだったのだ。

「楽器ができなくても指揮なら目立つ!!」

という何とも短絡的な考えで、自ら立候補してマエストロになったのだ。

最初は校内音楽会で指揮をやろうと思って立候補したのだが、クラスの他の「男」がやりたいと言い出したのでぼくは彼にその役を譲った。しかし、卒業式での最後の合唱曲の指揮者になり手がなく、ぼくの所に「お役」が回ってきたのだ。さすがに戸惑った。音楽会なら何とかできるが、卒業式といえば、一生に一回のもの。こんな動機不純なぼくが一生に一回の大舞台でマエストロなんてやってもいいのか...と思ったからだ。しかしながら、よく考えてみれば、音楽会で仮にマエストロをやっていたとしても、不純な動機で演っていたことには変わりない。誰よりも上手に指揮をして「目立って」しまえばこっちのものである。そう思い直して、ぼくはマエストロのオファーを引き受けたのである。その時の曲が「ひろい世界へ」という曲だった。

ぼくらの前にはドアがある
いろんなドアがいつもある
ドアを大きく開け放そう
ひろい世界へ出ていこう

卒業式にピッタリの歌詞である。プレッシャーではあるが、こんな曲の指揮ができるのは幸せだった。

指揮をやると決まった時、とにかく「目立つように...。」と指揮者の小沢征司さんのビデオを参考にした。ビデオを見て学習したことは、

「指揮者とは音楽を体いっぱいに表現する人のことだ...。」

ビデオを見た結論が本当に正しいかどうか...それは未だに分からない...。でもそれを学んだ。さすれば、今度は「楽曲」を勉強しなければならない。しかし楽譜がきちんと読めない。小学校6年生の頃でも、ト音記号であれば詰まらずに読むことはできた。しかし楽譜が読めることと「楽曲」を知ることは違う。「ひろい世界へ」は合唱曲なので歌詞の意味だってきちんと理解しなければならない。ピアノの音だってどうしたらいいのか、理解しなければならない。指揮者の一振りで楽曲の全てが決まってしまうのだ。ものすごい責任である。だから自分なりの曲のイメージを作っていった。

当日、やっぱり緊張して足の震えが止まらなかったが、無事大役を果たすことができた。周りの人はぼくの指揮を評価してくれた。オーケストラの指揮者みたいだ...と。しかしぼくは不満だった。この時から越えられない課題を抱えて中学3年間を過ごすことになった。

「曲のイメージがなかなか伝えられない。」

やはり引け目を感じていたのだろう。自分よりも音楽を何倍も一生懸命やっている女の子に対して、

「この小節のピアノの音をこうしてくれ!!」

とはなかなか言えなかった。

中学に入ってからも指揮は続けた。合唱が盛んだった中学校の生徒会長をやっていたこともあり、クラス合唱から学年合唱から全校合唱まで全ての指揮を同時に引き受けた。いろんな楽曲でタクトを振ってきた。とにかくメロディに自分の体を預けて懸命に振った。

「指揮者とは音楽を体いっぱいに表現する人のことだ...。」

を実践しながら...。自分の人生経験がないために、曲が理解できないこともあった。「心の瞳」という曲がそうだった。

心の瞳で君を見つめれば 愛すること それがどんなことだか分かりかけてきた

全く実感できなかったのである。当時は歌詞を読んでもまともな恋愛をしたことがないので、歌詞の内容が理解できなかったのだ。卒業式ソングとしておなじみの「大地讃頌」も、歌詞のスケールがデカすぎて理解できなかった。そういう曲もあったので必ずしも順風満帆とはいかなかった。

最後に合唱でタクトを振ったのは、「旅立ちのいま確かめあって」という曲で、場所は中学校の卒業式...。これは「卒業する」という自分の感情を素直にぶつければよい曲だったので、比較的指揮のしやすい曲だった。

小学校の卒業式から中学校の3年間は合唱の指揮者としての生活を送った。そのきっかけとなったのが、「ひろい世界へ」だったのだった。

小学校を卒業してどれぐらい経っただろうか...。ぼくはパソコンで音楽を作れるようになっていた。しばらくしてぜひアレンジをやってみたい曲があった。その曲とは、ぼくの原点である「ひろい世界へ」だ。中学を卒業してからいろんな曲を聴いてきた。J-Popからロック、クラシックに至るまで様々だ。どのジャンルの音楽もぼくの心を動かしてくれるものばかりだ。歌って踊れて楽しい音楽...。悲しいときに涙を流す音楽...。いろんな音楽を指揮をやってきたあの頃と同じように今まで吸収してきた。それをDTM (Desk Top Music)で表現したいのだ。パソコンの力は借りるが、自分ひとりで和声を奏でることができる術をぼくは持っている。だからやってみたいのだ。もちろん、みんなで一緒に奏でる音には敵わないのだろうけれども...。

今、アレンジが終わってミックスダウンをやっている最中である。著作権の関係でウェブ上にはリリースはできないけれども、いつか完成させたいと思う、時間をかけても...。


ささやかな幸せのために...


2005年にはぼくの一番大切にしている大親友が病に倒れ亡くなった。2006年には天真爛漫な母親がこれまた病気で呆気なく世を去った。ここ数年で自分の大切な人が次々と旅立っていった。これからもそういう機会が年を重ねるにつれて、「愛別離苦」を体感する機会はますます増えていく。人と接することが嫌になったことがあった。このような悲しみを体験しないでおくためには「人と接しない」ことである。でも、やっぱり人と握手したり抱擁したりしてスキンシップを図ったり笑ったり泣いたりできる快感というのは、人と接しなければ味わえないものであるし、「人と接しない」という選択肢と前述した「快感」を比較すれば、その「快感」に勝るものはない。親友が亡くなった時、あまりに「いい奴」を失ってしまったために、死んだ「あいつ」をものすごく恨んだ。これまで付き合ってきたことがすごく嫌になった。しかし「あいつ」との思い出を心の中から抹消することはできない。思い出を消去することよりも昔の楽しかったことの方が勝っていたからである。その時に気づいたのである。「あいつ」の為に涙できることって実は「幸せ」なことなんじゃないのかって...。自分以外の人にとっては、ひょっとしたら「あいつ」が死んだことは「事件」にもならないのかもしれない。でもそれを「重大事件」として感じることができる。「あいつ」の近くに生前いたからこそ、「あいつ」の想いは人より少しは分かるはずである。「あいつ」の想いの少量でも大切にして毎日を過ごせる選ばれた人間だと思った時、気分が楽になった。それからも、自分ができる範囲で「あいつ」の供養は続けている、「あいつ」との縁を大切にしたいために...。

[]


著者"Kashiroman"をより知るために...


[作品についての感想はこちら]