「自分の卵を大切に育てよう」
-小柴昌俊東京大学名誉教授講演会を拝聴して-
[岐阜市民会館/2003年3月1日(土)]



Produced & Written by Kashiroman

目次

 
  1. 小柴昌俊東京大学名誉教授講演会録
  2. 講演会の感想
  3. あとがき
  4. 参考文献
  5. スタッフクレジット

小柴昌俊東京大学名誉教授講演会録


2003年3月1日(土)

この日は、三寒四温の季節らしい、冷たいながらもどこかしら春の香りのする雨の日だった。また、この日は岐阜県地方の高校では卒業式が行われる日で、花束を持った若々しい女子高生たちが、まもなく訪れようとしている、いやもう確実に訪れている春の雰囲気を引き立てていた。

ぼくは独り岐阜市美江寺町にある岐阜市民会館に向けて足を進ませていた。午後1時30分から2002年のノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊先生の講演会「ノーベル賞への道 -素粒子と宇宙」(中日新聞主催/岐阜県教育委員会・岐阜市教育委員会後援/アラコ株式会社・中部日本放送株式会社協力)が行われるからだ。

この講演を知ったきっかけは、たまたま愛知県の安城市というところにいた時に、昼飯を食べようと思って軽食店に入って新聞を読んでいた時に見た記事であった。小柴先生の講演会の記事がたまたま目に入ってきて、「今の流行りの人の講演だし、行ってみて悪くはないだろう...」と思った瞬間に急いでパスタを胃の中にかき込んで、テーブルの上に置いてあったナプキンに自分の持っていた万年筆で宛先や往復はがきを書く際に必要な事項を全てメモを取り、そのまま走って安城郵便局に直行して往復はがきを購入し、その場で必要事項を記入して郵便窓口に出したのがことの始まりだ。この手の一瞬の思いつき(この場合はかなりミーハーだが...)からすぐに行動に移してしまうのがぼくの性癖だから仕方ない。見方によっては、何とも行動力のある人間に見えるが、別の視点から見れば、深く物事を考える前に行動に移してしまう人間なのである(「やって」しまってから物事を考えるというバカな男の典型である)。多分、一生かかってもこういう性格は直らないだろう...。

この一件から1ヶ月ぐらいした時に、ぼくの事務所に中日新聞からのはがきが届いていた。どうやら抽選で当たったらしい。話はずれるが、そこで気になったのは、汚い字で「Kashiroman 行」と書いてあった宛名欄には「行」の字を「様」とわざわざ手書きで直してくれていた点だ。ぼくも自分で自分の名前を「様」と書くほど図々しくはない。だから「行」と書いたのだが、最近になって多いのが、契約書とかはがきとかに「小生意気」に「自分」で「様」だの「御中」だのと書いてあるものが増えているのである。確かに、大量な仕事を早く捌くためには、こういう「行」という文字を相手に「様」とか「御中」とかに書き直させる手間を省くことが必要になるかもしれないし、相手にとってもそれがいいことがあるのかもしれない。しかしそればかりを追い求めてしまうと、ちょっとした「気遣い」みたいなものが「型」に表れなくなって、日常生活での美しい所作が消えてしまっていくようで、ぼくはどうしても寂しい気持ちになってしまうのだ。そんな中、本当にたく先生の応募はがきを処理している時にこんな風にご丁寧な対応をしていただいて、とても嬉しかったのだ。

話は大きくずれたが、こんな風に講演会に行くことが決まり、いよいよ当日を迎えた。ぼくが会場に着いた午後1時00分頃にはすでに満員で、係員の誘導で2階席に回らざるを得なかったのだ。ぼくは2階席の空いている席を必死で探してできるだけ見やすい所に独りで陣取った。講演が始まるまでの時間は、入り口で配られていた広告類(長良川球場でのオープン戦や大相撲名古屋場所のチケット販売など)や、「スーパーカミオカンデ」について特集を組んだ 中日新聞サンデー版(2003年1月5日)などを読んで過ごした。ここには、今回の講演でのキーワードとなる「ニュートリノ」とか「素粒子」などの説明が簡単に載っていたので、講演を聞くにはいい予習材料になるというわけだ。

定刻をやや過ぎた頃にブザーがなり、照明が落とされてステージの下手に司会者が立った。まずは司会者によって小柴先生の簡単な紹介や小柴先生にまつわるエピソードを話す。小柴先生は東京大学理学部をビリで卒業したこと、小柴先生はあまり自分のことを語らないということなどをユーモアを交えながら紹介された。

小柴先生の紹介が終わった後、いよいよホールの中の照明が落とされ、小柴先生のご入場のアナウンスが流れた。その瞬間、まだ小柴先生のお姿が見えないのにもかかわらず、大きな拍手が会場内を埋め尽くしていた。ゆっくりとした足取りで小柴先生が舞台袖から出てこられた。そしてゆっくりと椅子に腰掛け、ゆっくりとした口調で話を始められた。

岐阜といえば、岐阜県神岡町にニュートリノを世界で初めて観測した「カミオカンデ」がある場所だ。そこで、「カミオカンデ (Kamioka Nucleon Decay Experimentの略)」にまつわる面白話から講演は始まった。神岡町では、ニュートリノが観測された後に、「ニュートリノ温泉」という名前の温泉が作られたこと(「何の病気にも効かない温泉」と言ったら地元の人が悲しい顔をしたので「誰が入っても害のない温泉」だと地元の人をフォローした話)やニュートリノというコンビニエンス・ストアが今から2年位前にできたそうだが、1年もたたないうちに閉店してしまったという話をされていた。枕で観客の心をつかむのはとても大切なことだ。ぼくとはとんでもなく違う...。

その後、パワーポイントを使った講演が本格的に始まった。ここからは、現地でのメモ(暗くてなかなかとり辛かったが...)、講演の翌日(2003年3月2日の日曜日)の中日新聞朝刊に載っていた講演録などを参考にして、講演の内容をまとめてみた。

だんだんと大きいことに...

小柴先生は、人間の身長を踏まえて地球から太陽までの距離の話を始められた。

  1. 成人男性の一般的な身長は1m70cm
  2. 岐阜から東京までの距離が約350km
  3. 地球一回りが約40000km
  4. 地球から太陽までの距離が約1.5億km (光の速さで約8分)
光の速さは秒速300000km。1秒の間に地球を7週半するぐらい早い。大きな宇宙を議論するときは、光が1年間に進む距離で距離を計測する。1年で光が進む距離のことを「光年」という。

話はさらに大きなものになっていく。地球が所属する太陽系...太陽系のある銀河系の話。銀河系の隣の銀河、大マゼラン星雲が銀河系から約17万光年かかる。さらに、アメリカのハッブル望遠鏡から見て今のところ一番遠くに見える銀河は約50億光年かかるという話...。ハッブル望遠鏡でぼくたちが見ているこの銀河の光は、何と50億年以上も前に光ったものなのである。

ところで、1987年2月に(小柴先生の東京大学退官の年にもあたる)約17万光年離れている大マゼラン星雲が超新星爆発を起こしたことが岐阜県の神岡町にある「カミオカンデ」で発見された。実際は今から約17万年前に超新星爆発が起こっている。その光やニュートリノという謎の素粒子が現在の地球に届いた。カミオカンデは、大マゼラン星雲の超新星爆発の他にも、太陽からのニュートリノを捕まえている。

「カミオカンデ」は、岩盤に守られ、他の宇宙線の影響が少ない神岡鉱山の地下1000メートルのところに高さ16メートル、直径15.6メートルの円形タンクを設置して、そこに3000トンの純水を入れ、内壁に光を検出する光電子倍増管を約1000本配置された装置である。

ところで、ニュートリノとはいったい何だろうか。ニュートリノは、物質を透過する力が強い物質で、その透過力は、骨折した時に見るレントゲンのX線よりもはるかに大きい。大きくてたくさんの物質で構成されている星を芯まで見るには、ニュートリノで見た方がよいのである。つまり、ニュートリノは超新星爆発の時などに発生する物質で、ニュートリノが宇宙空間に広がり、地球に届いた時、その透過力を利用して天体の観測を行なうということである。

しかしながら、ニュートリノを観測するのは大変難しい。なぜなら、質量がほとんどゼロに近く電気的にも中性である上、透過力があるためにニュートリノを捕まえづらいからである。しかし、ニュートリノを使って宇宙を観測すれば、X線を使って撮られた写真よりもよりクリアに写すこともできる。そして何よりも、ニュートリノも、宇宙が誕生した1秒後に宇宙に満ち満ちていた物質であり、これが観測できれば、宇宙誕生直後の宇宙の様子もちょっぴり覗けたりもできる。したがって、ニュートリノの観測は科学者にとっても実に興味深いことであったのだ。

それを実現したのが日本の科学力であり、カミオカンデであったのだ。

だんだんと小さいことに...

次に、「ミクロ」の世界をのぞいてみよう。

自然界の全てのものは92種類の原子の組み合わせによってできている。92種類の原子のうち、もっとも軽いものが水素。一番重いものがウラニウムである。

水素は、原子核にプラスの電気を持った重い陽子の周りを、マイナスの電気を持った電子という軽い粒子がぐるぐると取り巻いている。ウラニウムは、中心に92個の陽子とそれを取り巻いて92個の電子から成っている。

このように、原子は原子核と電子によって成り立っているが、原子核はさらに細かく分けることができる。原子核は、プラスの電子を持った陽子と電気を持たない中性子という2種類の物質から成り立っている。陽子や中性は、さらにクォークという物質からできているということも分かった。

このほかに、電気を持たない素粒子 (物質を細分化して、最後にたどりつく究極の粒子)がある。その1つが「ニュートリノ (Neutrino)」である。

宇宙の始まり...原子の誕生

宇宙は、今から約150億年ほど前にビッグバンという大きな爆発によって誕生したといわれている。ビッグバンが終わったあと、約100分の1秒ぐらいが経ったときにクォークが3個くっついて陽子や中性子ができたり、陽子と中性子がくっついて重陽子ができたり、さらにくっついてヘリウム(電子を2個持っている)ができたりする。

宇宙に水素やヘリウムができてくると、今度は水素やヘリウムのガスがお互いに引き合い、ガスの塊が作られる。これが星の誕生である。集まったガスは自分の重力でどんどんと縮んでいく。そうすると温度が上がり、小さな原子がお互いにくっついて大きな原子核になる「核融合反応」が起こる。

宇宙が誕生して50億年ぐらい経ってくると、今度は核融合反応の燃料である水素がなくなり、徐々に収縮していく。収縮すると温度が上がり、やがてヘリウムが3個くっついて炭素という原子 (電子を6つ持った原子)が生まれる。

この頃になると、星は様相を変え、赤色超新星に変わり、ヘリウムを4個くっつけると酸素(電子を8つ持った原子)になるという反応も起きるようになる。さらに、シリコンなどの重い原子核を有する原子ができ、鉄もできる。

星の中にできた鉄は自分の力で支えきれなくなって陥没し、やがて第2の超新星爆発の引き金になる。鉄の芯が陥没した時にニュートリノが発生する。ニュートリノは、鉄の芯が持っていた重力の位置エネルギーを99%以上背負って星の外に出る。位置エネルギーがその場から減るということは、今まで支えていた力がなくなるということになる。そして超新星爆発が起こる。

爆発で中性子がたくさんでき、中性子は周りの鉄とかシリコンに吸収され、もっと重い原子であるウラニウムが作られる。このようにして92個の原子が作られていった。

つまり、ニュートリノは超新星爆発を誘発し、原子は星の爆発によって誕生したものなのである、と言ってもよい。ぼくたち人間がこのようにして存在できるのは、このようにして物質が誕生してきたからなのである。

地球が誕生したのは今から約45億年前のことで、約36億年前には地球上には生物も存在していたらしい。水が蒸発したり凍ったりすることなく、また木星があるおかげで隕石の衝突の可能性も低くなり、こうして恵まれた環境の中でぼくたち人間は生活しているのである。しかし、これから十億年ぐらい経つと、ぼくたちの生活に恵みを与えてくれている太陽は膨張をはじめ、地球の軌道ぐらいまで膨張してきた頃にはもう地球に生物なんて住むことができる環境はなくなっている。

要するにぼくたちは「幸福」なのである。そういった中で、自分の人生で何をやりたいか、というような「卵」を持って、それを大事に育てていってもらいたいと思う...。


講演会の感想

講演が終了した時には大喝采だった。ぼくたちの住む地球はすごく恵まれていて、だからこそそこに住む一人一人を、一つ一つを大切にして毎日を過ごさなければならないなぁということを感じさせられた。それとともに、人生も大切にしていかなければならないと思った、たった一度の人生なのだし...。

はっきり言って、物理学は門外漢である。ぼくの物理の力は中学3年生の高校入試の段階で止まっている(わりと「得意科目」だった)。大学入試の勉強で多少「化学」をやっていたので原子の話は理解できた。ニュートリノの話はやはりぼくには難しかったようだ。小柴先生は講演が上手な方だと思った。講演の初めの方にお話された「カミオカンデ」の子ネタで観衆を引き付け、ゆっくりとした口調でお話される。このテクニックは、今後自分に生かしていけたらと思う。

場内は少々の休憩時間に入った後、質疑応答のコーナーに。小柴先生が再びステージに。今回はパワーポイントでのプレゼンテーションでスクリーンを使用してステージの下手に座っておられたのとは対照的にステージの中央に座られていた。司会者が挙手を促していると次々と手が挙がる。質問であがっていたものは次の通り。答えは敢えてここでは書かないことにしたい。

  1. 学生時代、楽しかったことは?
  2. やる気になるきっかけは何ですか?
  3. なぜ実験施設を神岡町を選んで作られたのか?
  4. 「カミオカンデ」の「ンデ」って何ですか?

講演の終了時刻は午後3時00分だった。しかしいつの間にか時刻は午後3時15分を指していた。主催者側は大慌て...。仕方なくこれで最後...ということで出た質問が、「カミオカンデ」の「ンデ」って何ですか?という質問。ぼくの一番好きな質問だ。これだけは前述したおいた。実質的にはKamioka Neutrino Detection Experimentだろ!!って世界中から突っ込まれたのだとか...(笑)。ちなみに、「カミオカンデ」の後を受け継いでいる「スーパーカミオカンデ」の英訳は、「Super Kamiokande Neutrino Detection Experiment」となっている。

こうして和やかな雰囲気のまま、講演会は終了した。ぼくは途中柳ヶ瀬にある本屋に立ち寄って小柴先生の本を購入した後、家路に着いた。


あとがき

ぼくは、小学校の中学年の頃に、星に関する本をよく読んだり、プラネタリウムに通ったりしたものだ。何億年前かに光った星を今のぼくたちが見ているということを知ったとき、宇宙には約150億年もの歴史があって、やがてその宇宙もなくなってしまうということを知った時、自分は宇宙の歴史から見れば、ほんのほんの一瞬を生きているに過ぎないんだということを知った時、宇宙の巨大さを少しでも知った時...、体全体が熱くような感動がぼくにはあった。

小柴先生のニュートリノ天文学は、ぼくたちの起源を知るための、魅力的でスケールが大きくて、自分の心もちょっぴり大きくなれるような学問だと感じた。ぼくが少年時代に抱いたあの感動は、小柴先生のような方たちが血反吐を吐くような弛まない努力によって抱くことができたのだと思う。そう考えると、子供の頃に持った宇宙に対して抱いたあの熱い気持ちは、小柴先生のような先生方の努力のおかげだということになる。

この講演会を聴いて、優しいお人柄がにじみ出ていた一方で、「情熱」を持った方だなぁと思った。小柴先生が多くの優秀な先生や同僚や後輩たちに恵まれたのも、きっとこの「情熱」が呼んだものだろうとぼくは思うのだ。小柴先生のお言葉を拝借すれば、一つのことに対する「情熱」や「集中力」といったものは、ぼくたちにとっては、「自分の卵」を孵化させる「熱」になっているのだと思う。

みんながみんな、ノーベル賞を取れるわけではないが、「自分の卵」を孵化させるために、「自分の卵」を大事に大事に温めることなら、ひょっとしたらぼくたちにはできるかもしれない。今回の講演会では、物理学の基礎知識を少しだけ習得できたのはもちろんだが、小柴先生の生き様をとおして、自分の「卵」を大切に少しずつ育てていくという生き方のカッコよさも理解できた。果たして自分はどうだろうか...。そっと胸に手を置いて考えてみたい...。


参考文献

ここで、この講演録を作成するに当たって参考にした書籍及びホームページを紹介したいと思う。

  1. 「中日新聞」(2003年3月2日朝刊)1面・8面・34面
  2. 「宇宙の創成のナゾと未来の解明 スーパーカミオカンデの世界」(2003年1月5日「中日新聞サンデー版」)
  3. 小柴昌俊「やれば、できる」新潮社・2003年
  4. 小柴昌俊「ニュートリノ天体物理学入門 知られざる宇宙の姿を透視する」講談社・2002年
  5. 小柴昌俊「物理屋になりたかったんだよ ノーベル物理学賞への軌跡」朝日新聞社・2002年
  6. 小柴昌俊「心に夢のタマゴを持とう」講談社文庫・2002年
  7. 東京大学宇宙線研究所 神岡宇宙素粒子研究施設
  8. 東京大学大学院理学系研究科・理学部
  9. 宇宙ニュートリノ観測情報融合センター
  10. 岐阜県神岡町
  11. 東北大学大学院ニュートリノ科学研究センター
  12. K2K つくば-神岡間 長基線ニュートリノ振動実験公式ホームページ

この文章は、学術論文ではないので、同一人物の著作を参考にさせていただいている。小柴先生関係の書籍及びウェブサイトの紹介だと考えていただいた方が望ましい。


Produced & Written by Kashiroman

Edited by Matomi Bunno (KASHIROMAN.COM)
Written at KASHIROMAN DOT COM Office Head Quater (Nagoya)
Art Direction & Designed by MK MATRIX ART CENTER

Promoted by Hikaru Minamoto (MK MATRIX Distribution)
Public Relations by Hitono Mamori (KASHIROMAN.COM)
Production Supervised by DGR Educational Institute
Special Coordinated by H.Shirasu (KASHIROMAN.COM MANAGEMENT)
Executive Produced by Manabu Kimino (DGR Educational Institute)

Kashiroman Management by Kayoko Watedo & Masesugi Honno
(KASHIROMAN.COM MANAGEMENT)

Special thanx to Masatoshi Koshiba (Tokyo Univ.), The Chunichi Shimbun
and the earth which gives us many blessings

Released on March 30, 2003
 

Published by KASHIROMAN.COM


[トップページに戻る]