大学で法律学と出会った頃に頂戴した黒田清彦教授からの教え

はじめに

本稿は、ボクが師事している黒田清彦教授のゼミ(基礎演習)において最初に仰った法律学の学習の心構えを箇条書きでまとめたものである。

こういったことは知らず知らずのうちに次第に忘れていくものであるが、基本的な姿勢こそ常に見直しができるようにしておくべきだろうと考え、当時のボクの講義ノートに書かれている内容をまとめてメモ書きとして公開したものである。

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ボクは学問観とはその方の「人となり」を表すものだと思っているが、黒田先生は「結論に至る道筋を自分の頭で考える」ために様々な価値観を吸収しようと「好奇心」を持たれて様々なことについて関心を抱かれていらっしゃる方である。ボクの学問観は黒田先生によって培われた面が多分にあり、今後もその影響は受け続けるのだろうと思う。

これからも黒田先生から受けた教えを大切に楽しく学問をしていけたらと思う次第である。

大学で勉強することの意義

価値観の多様性と自己決定

  • 人間の社会生活を研究する社会科学においては、ある問題に対する絶対的な答えは存在しない。
  • 問題を解決するにあたって、様々な価値観があることを知り、学ぶこと。
  • ある問題に対する先人の教えを検討し、自ら考えたうえで選択肢を複数作ってみる。然る後に、各々の時と場合に最も適合した解決を選ぶ作業が学問である。
  • 知識がなければ答えが出ないのは当然だが、知識があっても答えが出るとは限らない。
  • 結論に至る道筋を自分の頭で考える心構えが「リーガル・マインド」というものである。

人間的成熟と自発的態度

  • いろいろな本を読んだり人と議論をする、見聞を広めることで人間的成熟を深めることができる。
  • 大学では自分の頭で考えて自ら行動することが求められる。
  • 大学では学問内容を教授する側も教授される側も学徒 (Student)であるため、大学は基本的には自らが学徒として主体的に学問に取り組まなければならない場である。
  • 基本的な知識が不足していたことに気付いた場合、「教えてくれなかったからわからない」と幼稚なことを言うのではなく、主体的に不足を補うべく努力をすべし。

大学の講義について

  • 大学の講義は、学問の一素材に過ぎないことを銘記すべき。
  • 講義を聴いただけで学問をしたとは言えない。だからといって、講義をおろそかにしてもよいとは言っていない。

法律学は言葉により論理を構築する学問である

  • 言葉を大切にしよう。
  • 法律学は言葉によって論理を積み上げていく学問である。
  • 法律学の専門用語は、明治の文明開化の時代のヨーロッパの制度を輸入した先人たちの漢籍の素養が深かったため、翻訳語として漢語を多用したことで言葉が難しい。
  • 曖昧さを排除して言葉を慎重に選択し、文章構成も厳密にしなければならないため、法文は難しい。

「法」について

  • 「法」という言葉は、欧米語 (ius, Recht, droit, diritto, derecho etc.)では「正しい」「まっすぐな」という意味を持つ。「正しい」ことが「法」の理念であるといえる。
  • 「法学」を学ぶということは、正義 (justice)、公平 (fairness)あるいは「ものの道理」に適った対応を考える理知の力とそれを正しいと信ずることを主張して屈しない意志の力の2つを養うことになる。同時に、正しいと信じて主張したことについては責任を持つ、あとで言い逃れをしないことも大切である。
  • 具体的な問題解決にあたっては、これに適用すべき条文を論理的に解釈し、あるいは定められた制度の立法趣旨を綿密に探究することによって最も妥当な解決に導くことが大切である。

ゼミ合宿を前にした訓示

乃木大将が学習院の院長であったときのエピソードを例に、礼儀を重んじる黒田ゼミの心構えを確認したものである。

  • 大浴場は個人宅の浴室とは異なり多数の者が使用する場である。そのため、後から入る人のために身体をきれいにしてから入らなければならない。特にお尻の穴は人間の身体の中で一番汚いところなのでよく洗って入ること。
  • 船がへさきを沖に向けて停泊する(出船繋ぎ)ように、靴もまた出船にそろえること。

ボクの代のゼミ合宿は、「よく遊び、よく学び、よく勉強した」ものであった。明け方の4時ころまで飲み続けても朝の9時にはきっちりと研究発表をする。宿泊したロッジの食事は大変美味しかったのでよく食べた。

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この他にも日本だけでなくスペインの国家機関も訪れたりして、パワフルなゼミであった。「若さ」と「バカさ」があるからこそできたのだろう。