KASHIROMAN.COMの基本理念及びポートフォーリオ
(2009/03/31更新)
KASHIROMAN.COMのポートフォーリオ
このコンテンツは、筆者のプロジェクトである"KASHIROMAN.COM"の基本理念をまとめ、それに基づいて如何なる活動を行うプロジェクトなのかということについてまとめたものである。
| 設立 | 1998年7月19日 () | |
| 設立者 | Kashiroman | |
| 主宰 | ||
| 資本金 | 0円 | |
| 理念 | 知識や体験から得た感動を体系化するという「学問」の楽しさを伝えること。 | |
| 主な活動内容 | Kashiromanの「学問成果」を公表する | 専門分野である「スペイン法研究」の研究成果を公表する。 |
| Kashiromanのエッセイを公開する。 | ||
| Kashiroman's BLOG"ブログの王子様"を運営する。 | ||
| 日本スペイン法研究会公式サイトの管理及び運営 | ||
| 「学問」を楽しむためのコツやノウハウを中高校生や大学生に向けての発信。 | ||
| 旧友がコンマスを務める「愛知室内オーケストラ」の応援 | ||
| Kashiromanのマネジメント | ||
KASHIROMAN.COMは、Kashiroman自身の専門分野である「スペイン法研究」の研究成果を公開するとともに、現代社会をユーモアと遊び心を持って生きるための知恵として「学問すること」の必要性と娯楽性を伝達するためのプロジェクトである。
KashiromanとKASHIROMAN.COM
Kashiromanの座右の銘は、「才能という抽象物を具体化するために」である。ここでいう「才能」とは、「潜在的な能力」とか「可能性」とか「夢」とかいうような意味合いである。これらのものは目には見えない。しかし、多くの人は目に見えない「才能」という抽象物を具体化するために、様々な試行錯誤を繰り返す。Kashiroman自身も試行錯誤を繰り返しながら、現象界において最も輝けるものは何か?を探求してきた。
Kashiromanは、「近代主義」によって生じた「大量生産主義」や「規格化」という流れによって生じた社会のひずみに目を背けることができなかった。確かに物理的な「豊かさ」のみを追い求め続ければ、大量生産も必要だし、大量生産を行うためには「規格化」も必要で、それは「人間」の「規格化」も例外ではなかった。なぜなら、異分子がいるよりもいない方が「右向け右」で一つの目標に向けて多くの人を「大量生産」の仕組みの中に組み込むことが可能だからである。それは日本が「高度成長時代」をむかえ、世界の経済大国の1つになるに至るまでは大きな役割を果たした。
しかし物理的な豊かさのみを求めたり物理的に豊かになるだけでは、「幸せ」を感じることができないことにKashiromanは気づき始めた。また、それは歴史的にも証明されている。かつてのギリシアの有力なポリスの1つであった「スパルタ」は、より「強いポリス」を作ることに奔走しすぎたために、次第に人々の心が離れていき、それが皮肉にも国力を落とし、国が滅んでいった歴史がある。個人や国を富ませるには、精神的な満足が必要なのである。
| - | アリストテレス的な考え方 (エピクロス的態度) |
アリストテレス的でない考え方 (ストア的態度) |
| 「レジャー」の時間の定義 | それ自身の目的のための「自己目的的行為」を行う時間のこと | 仕事の時間から離れた時間に、再び仕事に戻るための活力を回復するための時間のこと |
| 「レジャー」と「仕事」との関係 | 「レジャー」と「仕事」は直接関係ない。 | 「レジャー」は「仕事」に対して従属的である。 |
| 仕事中心の考え方ではない | 仕事中心の考え方 | |
| 「レジャー」そのものに価値があるので、そもそも「何か」に従属する概念ではない。 | ||
| 「レジャー」と「娯楽」や「レクレーション」との関係 | 関係ない | 「気晴らし」 「仕事のつまらなさからの逃避」 |
| 「レジャー」という行為についての態度 | 能動的な態度で臨まないと「レジャー」はできない。 | 能動的な態度でなくても、「レジャー」はできる。 |
「現代社会」は、ストア的な態度を持った人が主流である。しかし先ほども述べたように、「大量生産」することに重きを置きすぎると、「ココロの疲れを癒す」ことが、また「生産主義」に拍車をかけているような実態がある。飯坂良明さんの「レジャーとは何か?」という題材を扱った文章の中で、
技術の発展が、ますます多くの余暇をひとびとに将来あたえていくとすれば、その余暇においてひとびとが、生の充実を味わえるようないとなみ、つまりそれ自身において意味と価値ある行為をなすことができるであろうか。現実の傾向はむしろその逆をめざしているようにさえみえる。さいきんにおける余暇の増大は、いわゆるレジャー産業の目覚しい発展をみ、そのあくなき営利追求は、それが提供する大衆娯楽とあいまって、ひとびとに生の充実と人間性の回復の機会をあたえるよりは、生の堕落と人間性の喪失をはてしなく助長しつづけることになりかねず、余暇を善用できないひとびとを輩出する可能性が大である。
とあるが、「余暇」すら自分の力で楽しめない「不幸な」人たちが増えているのが現状なのではないだろうか?
こうした疑問を持ったKashiromanは、「学ぶ」という能動的でありかつ容易にできる行為の楽しさと大切さを広げたいと考えるようになった。それが、Kashiromanが社会に対して一番力になれること、つまり「才能」なのではないかと考えるようになったようである。つまり、Kashiromanにとっての「才能」とは、「学問の面白さ」を伝えることであり、また自らも「学問を楽しむ」ことなのである。
そういう動機が背景となって、KashiromanはKASHIROMAN.COMを自ら設立し、「学問の大切さと楽しさ」の普及に努めようと考えたのである。