カタルーニャ自治州ウィークに行ってきました!

今日は衆議院議員総選挙の投票日でしたが、ぼくは万博会場へ(既に投票済!)。実は、この日に「カタルーニャ自治州ウィーク」が行われることに対して、ぼくは大変な関心があったからです。

9月11日といえば、カタルーニャ人にとって忘れられない日です。1714年9月11日に「スペイン王位継承戦争」により、中央政府に反旗を翻したカタルーニャは自治権を失い、中央集権色の強いブルボン家の政治を前に不遇な時代を過ごしたきっかけとなった日だからです。

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カタルーニャ自治州

ここで、カタルーニャ地方についての歴史を「地方特権」という観点でまとめてみることにします。

カタルーニャ地方には、中世は「カタルーニャ・アラゴン王国」という国があり、それはイベリア半島東部から南部沿岸の地中海を征服していた海洋国家でした。一方、マドリード周辺には、トレドを中心に急進的な宗教国家(キリスト教)の「カスティーリャ王国」が存在していました。両国に転機が訪れたのは、1468年に「アラゴン・カタルーニャ連合王国」の皇太子のファラン(スペイン語名で「フェルナンド」)と「カスティーリャ王国」の王女イサベルが結婚した時でした。後に、両者はそれぞれの国の国王・女王となるのですが、世界史の教科書の年表にあるような「スペイン統一」は為されたわけではありませんでした。依然として両国とも「存在」しており、単に国のトップ同士の人的な結びつきがあったにすぎませんでした (両者の仲はよく、国家レベルにおいても、署名はイサベルが先で国家紋章はアラゴン・カタルーニャ王国が先というような取り決めまでなされていたのだという)。

彼らが国のトップに立った時はまだ「レコンキスタ(国土回復運動)」の真っ最中でした。つまり、イベリア半島には依然としてイスラム勢力が残っており、彼らを半島から追い出すという事業を行なっていた最中でした。「アラゴン・カタルーニャ王国」は、「カスティーリャ王国」の政策を譲歩しながらもそれを受け入れ、念願の「レコンキスタ」を完了させていきました。その後、彼らの孫のカルロス1世の時代になると名実ともに「スペイン」が統一されます。しかし、「アラゴン・カタルーニャ王国」の法律は残り続けます。

しかし、イベリア半島の中に「アラゴン・カタルーニャ王国」と「カスティーリャ王国」の法律が共存している状態は、1702年の「スペイン王位継承戦争」を契機に変化していきます。この頃の国王はハプスブルク家のカルロス2世でした。カルロス2世は、病弱で、性的に不能で嫡子を設けることができず、王の異母姉はフランスのルイ14世(太陽王)に嫁ぎ、妹は神聖ローマ帝国皇帝のレオポルト1世に嫁いでいました。仮に子どものいないカルロス2世が逝去すると、「スペイン国王」の相続権はハプスブルク家かブルボン家かのいずれかに帰属します。やがてカルロス2世が1700年に逝去し、遺言には「ルイ14世の孫の「フィリップ」を跡継ぎに指名する」と述べられていました。これに対し、フランスの領土拡大を恐れたイギリス・オランダは、神聖ローマ帝国の皇帝であるレオポルト1世の子どものカール大公を跡継ぎにすることを主張し、スペインの王位継承をめぐる戦争が勃発します。

ブルボン朝 ハプスブルク朝
王位継承者 フェリーぺ5世
(1700年)
カール大公
(1703年)
アメリカ大陸の
領有・貿易を
めぐる対立
フランス イギリス
オランダ
スペイン国内 地域 マドリード ほか 旧アラゴン王国
(バレンシア・アラゴン・カタルーニャ)
首都 マドリード(以前より設置) バルセロナ(1705年)
地方特権についての考え方 中央集権的 地方の特権の擁護を認める

 

戦争が終結に向かったのは、1711年のことで、契機となったできごとは、カール大公が神聖ローマ帝国の皇帝に就任したことでした。これによって、新たなハプスブルク家の「帝国出現」を恐れたイギリス・オランダとフランスは和平へと向かい、1713年にユトレヒト条約が締結され、国際紛争としての「スペイン王位継承戦争」は終息し、イギリス・オランダは手を引きました。(条約の内容はここでは詳しくは触れませんが、スペインにとっては現在のスペインにも影響を与えるような大きな痛手を被ることになります)

こうしてカール大公やイギリス・オランダがスペインから手を引いてしまったため、旧アラゴン王国の地域の中で最後まで粘り強く抵抗していたのがカタルーニャ地方は孤立し、やがてブルボン王朝に占領されてしまいます。それが1714年9月11日のできごとです。

その後、ブルボン朝スペインは、厳しい中央集権を敷き、特にカタルーニャ地方には厳しい態度で臨んでいきます。1716年には、Decreto de Nueva Plantaにより、カタルーニャの伝統的制度(独自の議会、議会常設代表部、バルセロナ市百人会議など)が廃止されました。カタルーニャのアイデンティティを失わせる政策が次々ととられていきます。

カタルーニャの自治が奪還できたのは、1978年憲法が施行された後でした。この間、カタルーニャは幾度となく自治権をめぐって中央政府と対峙していました。現在のカタルーニャは、9月11日を「カタルーニャの日」として自治州の祝日としており(1980年法制化)、「1714年9月11日に自由を喪失したという痛ましい思い出と、権利回復と抑圧に対する積極的抵抗の態度を意味するだけでなく、完全なる国として回復することへの希望をも意味する日」として、現在もその精神を受け継いでいます。

プラザのステージ上に掲げられているカタルーニャ自治州旗

「カタルーニャの日」の9月11日の「スペイン・パビリオン」は、名古屋に住むカタルーニャ人のために催事が行われたようで、スペイン・パビリオンは一般来場者に対しては「閉館」されていました。今回は、さすがのぼくも中には入れませんでした。しかし、こういった歴史的背景を持つ人たちにとっては大切な日ですから、入館禁止については納得できました。

ちなみに、館内では次のようなことが行われていたようです。

12:00-13:00 ルイス・クラレット チェロコンサートと中世文学紹介
13:00-13:30 ペップボウ公演

ここで、出演者についての紹介を…。

ルイス・クラレットは、9歳で音楽の勉強を始め、1975年ボローニャ国際コンクール、1976年パウ・カザルス国際コンクール、1977年第一回ロストロボーヴィッチでそれぞれ優勝。レパートリーは幅広く、バッハからブーレーズ、ルストワフスキ、クセナキス、ディティーユ等の現代作品に及んでおり、1981年から1994年まで、トリオ・デ・バルセロナ(ピアノトリオ)のメンバーとしても活躍。現在はバルセロナ音楽院、フランス・トゥールーズ音楽院で教鞭を執っています。

そして、ペップボウについては、スペインウィークでも触れましたが、スペインを代表するパントマイム役者。建築家であり技術者である彼の素養と造形・視覚芸術に対する飽くなき情熱は、シャボン玉のように儚くてすぐに消えてしまうような形や空間に対し、明確で強い繊細さを与えています。

シャボン玉ショーの様子@EXPO DOME in NAGAKUTE

一般来場客に開放されたのは、これらの鑑賞が行われ、式典の後でした。オリーブオイルのテイスティングとワインのテイスティングは一般客に開放されましたが、ぼくが来場したのはちょうど開場とテイスティングの間で時間があったため、ハビエル副館長に案内されて、「ヒガンテス(巨人)」のスタッフたちが集う控え室を案内してくれました。

筆者は全てのヒガンテスを担がせてもらった

「ヒガンテス(巨人)」とは、カタルーニャ地方において、クリスマスやイースター祭、サン・ジュアンの前夜祭など、1年を通していろいろな祭りが行なわれる際に登場し、祭りを引き立てます。万博でも、スペイン・パビリオンからグローバル・コモン3のイベントステージまでを音楽と一緒に練り歩いていました。

ぼくは、ヒガンテスのスタッフやハビエル副館長の説明を受け、さらに巨大人形の中に潜入。実は持ち上げさせてもらえました。自分の体重よりも重いものを持ち上げるのはキツかったのですが、最高の思い出となりました。

アートエキジビション@スペインパビリオン・プラザ

カタルーニャ自治州ウィークには、カタルーニャ地方の農業・ファッション・インテリアデザイン等が展示されていました。カタルーニャ地方を本拠に活動している芸術家や企業が作った作品が紹介されていました。2000年11月に岐阜県岐阜市の岐阜ルネッサンスホテルで行われた「第4回日西シンポジウム」の中で、カタルーニャのファッション性の高さについてのプレゼンテーションが行われていましたが、ぜひカタルーニャ発信のファッションが日本でももっともっと知られるようになると、日本のアパレル業界のよりよい発展にカタルーニャのデザインが寄与できるかもしれないなぁと感じました。

時間もきたので、ワインとオリーブオイルのテイスティングへ。

ワインとオリーブオイルのテイスティング

カタルーニャは、ヨーロッパにおける品質の高いワインの生産地です。今回のテイスティングはカバ(Cava)というスパークリング・ワインです。製造方法はシャンパンと同じ「シャンパーニュ方式 (瓶内二次醗酵)」であるにも関わらず、値段はシャンパンよりも安いそうで、高級なのにお買い得ワインです。味は、非常にサッパリした癖のないスパークリングでした。このワインテイスティングは人数限定でしたが、無事参加することができました。

次にオリーブオイルテイスティング。これは来場者に対して、オリーブオイルの小瓶のプレゼントがあったほか、パンにオリーブオイルをしみこませたものをテイスティングするという方法で行われました。配布されていたオリーブオイルのパンフレットには、カタルーニャ地方で製造されているオリーブオイルについて、「酸度が低く質が高い」と書かれています。アテンダントの話によると、「お年寄りや子どもには少し脂っこく感じる」ようで、一片の小さなパンでしたが食べられなかった人たちが、お年寄りと子どもでは多かったとのことです。ぼくは美味しくいただきました。

「カタルーニャの日」に、「カタルーニャ自治州」を開催したのは成功だったというか、分かる人には分かるスペインパビリオンの粋な計らいだったと思います。シャボン玉ショーやチェロコンサートが聴けなかったのは残念でしたが、それでもぼくは満足でした。

時間に少し余裕があったので、カタルーニャ自治州からのプレゼントということで、「カタルーニャ、より高いクオリティを目指して」というパンフレットが入っていたので、それをプラザのベンチで座ってチラチラと読み始めました。始めのページからビックリする表現がありました。

表紙をめくったところには、商業・観光・消費部部長のジュセップ・ウゲットさんという方のメッセージです。

みなさん、独自の言語と文化を持つ21世紀を担う、カタルーニャへようこそ。(中略) カタルーニャは現代ヨーロッパを形成する一国として、希望と信頼を託して将来へ向かっていく大きな機会に恵まれています。

カタルーニャは「国」なんだそうです。「国」という言葉が、「カントリー」という意味なのか「ステイト」という意味で使われているかなのですが、どちらにも解釈できる文章です。この部分についての記述を、スペイン語(あるいはカタルーニャ語か?)で書かれた原稿を読んでみたかったです。原稿こういった微妙な「言い回し」を深く追究には、原文にあたるしかないでしょう。もし、「ステイト」という意味で使われているとしたら、「スペイン」としては大問題でしょう(笑)。とはいっても、カタルーニャの独立志向は今に始まったことではないですし(バルセローナ・オリンピック前の新聞全面広告の例などを見れば明らかでしょう)…。他のページにも同じような表現をしている箇所がいくつかありました。

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個性の強いカタルーニャ自治州ウィークでした。

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