2002.02.09 レコンキスタ最後の地、グラナダで過ごす – アンダルシアを堪能した日 (その2)

今日も何事もなかったかのように起き、朝食をとり、そしてホテルを出発。この日はミハスを少し回った後、アルハンブラ宮殿 (Palacio de la Alhambra)に。ミハスでは日本人観光客のための店があったりしていたが、ぼくは買い物をしにスペインに来ているわけではないので、ミハスの街から見える地中海の眺めを1時間ぐらいぼけ~っとしながら見ていた。ぼくはマリン・スポーツをするわけではないけど、海がすごく好き。ぼくにとって、海は自分の存在とか自分が悩んでいることのちっぽけさを気付かせてくれるところ。だから好き。スペインの地中海沿岸で海が見える家に住むのがぼくの夢だ。

午後からはいよいよアルハンブラ宮殿のあるグラナダ (Granada)へ突入。

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20020209アルハンブラ宮殿

アルハンブラ宮殿
(撮影日: 2002年2月9日)

スペインはイスラームによって支配されてきたが、1492年に完全にスペインからイスラームを排除することができたということは歴史的にも有名な話だけれども (その後、コロンブスが西インド諸島に上陸)、イスラーム最後の地となったのがここグラナダだ。午前中までいたミハスよりも東に位置する(イベリア半島南部であることには変わりない)街である。

まずアルハンブラ宮殿の見学。アルハンブラ宮殿は、あまりの人気で建物内が人でゴッたがえさないよう、「完全予約制」になっている。ぼくみたいなツアで参加していないと、ここに入るのは至難の業だ。入場者が7700人に制限されていて (日曜日はもっと少ない)、しかも「何時から何時までに入らなければならない」という決まりもあるのだとか。宮殿が開かれる前からチケット売り場には長蛇の列ができているそうなので、アルハンブラ宮殿に行かれる場合は、日本でネットなどのサービスでチケットをとっておくことをお薦めしたい。

20020209アルハンブラ宮殿2

アルハンブラ宮殿内部
(撮影日: 2002年2月9日)

ここでもやっぱり現地ガイドが登場!!女性でこれがかなりのベッピンさん!!絶世のスペイン美女にぼくが声をかけないわけがない。ぼくはタイミングを見計らって声をかけることを決心した。その現地ガイドさんは日本語がとてもお上手で、「て・に・を・は」もほとんど使えているぐらいであった。それにびっくりしたのが時代背景の説明。北アフリカからイスラーム勢力がイベリア半島に侵入してきたのが711年で、これを日本では奈良時代ぐらいでしょうか…と説明。いくら彼女が仕事とはいえ、スペイン人の口から「奈良時代」だの「室町時代」だのと出てきたのにはさすがにびっくりした。さらにびっくりなのが、アルハンブラ宮殿の説明を日本人観光客用に日本語を「憶えて」いるといった感じではなく、日本人が日本語で質問をするときちんとした日本語で返ってきていた。しかし、ぼくは「スペイン語の力を試し」にスペインへ来ているので、日本語ができる女性であったのにも関わらずスペイン語で話すことに…。まずは

「日本語お上手ですね。」

とスペイン語で話し掛けた!!そうしたら、きちんとスペイン語で返ってきた。ついでに、

「どうして日本語を学んだのか」

「いつから日本語を勉強しているのか」

「日本には来たことがあるのか」

など、いろいろと質問攻めをしてみたが、これがびっくり。

「22歳のときに仕事のためにグラナダ大学で日本語を勉強し始めました。日本には行ったことがありません。」

とおっしゃっていらっしゃった。「Excelente!!」という以外の形容方法が見つからなかった。なるほどやればできるものかとも思えたが、ぼくの「ポンコツ脳みそ」ではとても無理だろうと思った (苦笑)。

ぼくも「日本語でスペイン法を学んでいるんだ」と自己紹介。そして、

「ぼくが1番最初に覚えたスペイン語は何だと思いますか?」

とクイズを出して、彼女は

「Buenos días. (ブエノス・ディアス)ではないですか。」

と答えてくださったので、

「いや、separación (セパラシオン)なんだ。」

と答えた。

「次に覚えたのがdivorcio (ディボルシオ)だ。」

と答えた。実は、前者は「別居」、後者は「離婚」という意味なのだが、これはちょっと笑い気味で、

「そんな日本人は初めてだ。」

と言ってくださった。

実はこれは作り話ではなく「本当」の話だ。ぼくがスペイン語をやろうと思ったきっかけは、スペイン法の勉強をしていたからだ。だから、法律的な単語をはじめに覚えてしまったのだ。ついでに次に覚えたスペイン語を言うと、Constitución (コンスティトゥシオン)、つまり「憲法」という単語だ。

ガイドの女性にはスペイン語も教えていただけた。天気のことで会話が止まってしまった時に、晴れがsol (ソル)、曇りがnublado (ヌブラード)、雨がlluvia (リュビア)、雪がnieve (ニエヴェ)と教えてくださって、ワンポイントスペイン語レッスンも…。さすがにそれぐらいは…というのが本音ではあったが、楽しい雰囲気は壊せないのでそのまま知らないふりをしてノリノリでボクも応対。ではここでぼくも皆さんにスペイン語レッスンを。アンダルシア地方南部に連なる「ネヴァダ山脈 (sierra Nevada)」というのはご存知だろうか。おそらく高校生の時に地理を履修された方はご存知だと思う。ネヴァーダというのは「雪が降る」nevarの過去分詞形である。ということは、「ネバダ山脈」を日本語に訳すと「雪の山脈」ということにもなる。ちょっとオタクだったかな?じゃぁアメリカ合衆国 (Estados Unidos de America)にネバダ州というところがあるのはご存知だろうか。そうなんです、語源はこの言葉なのだ~。

20020209グラナダの街並み

グラナダの街並み
(撮影日: 2002年2月9日)

会話はすごく盛り上がった。ということで(!?)、アルハンブラ宮殿のことについてはほとんど覚えていない(苦笑)。まぁ旅行ガイドブックにもたくさん載っているし、ネットで探しても説明しているページはヒットすると思うので、詳しくアルハンブラ宮殿について知りたい方は、ネットとか本で探してみてほしい(笑)。

でもそれで終わってしまうとあまりに薄情なので(笑)一言だけいっておくと、本当にイスラームの国に来たみたいに感じる。決して描かれない動物や人間の姿…。単純な図形を無限に組み合わせて幻想的にも感じられる建物…。アラビア文字でアッラーをたたえる言葉があったり…。また、ここで王様からの深い寵愛を受けるためのお妃同士の骨肉の争いがあったそうだ。さらに、グラナダがカトリック両王により制圧された後に立てられたカルロス5世の宮殿 (Palacio de Carlos Ⅴ)があって、それがどこかしら「イスラームvsキリスト教」の争いの中でキリスト教側が勝ってそれを誇示したいかの如く存在していたりもする。なぜぼくはそう思うかといえば、イスラームの建物とキリスト教の建物があまりにも調和しておらず、その「不調和さ」があたかも「これが俺たちの力だ!!」と言っているかのごとく感じたからだ。本当のところはどうだか分からないが…。いずれにせよ、栄華を極めたこの宮殿の中には人間の欲望が渦巻いているのだろう。

彼女との会話はまだ続く。アルハンブラ宮殿を出た後、アルハンブラ宮殿の丘の下にあるお土産やさんに立ち寄った時のこと。ぼくは毎度のことながらお土産は基本的には「買わない主義」なので、店の中を暇していたのだが、そうしたら、その彼女がぼくの方を指差してレジの男性と話をしていた。それに気付いたぼくは早速レジまで行き、まずはスペイン語で挨拶。そうしたら彼女がぼくのことを

「彼はスペインの法律を勉強している日本人ですよ。」

とレジの男性に紹介していただけたが、男性がぼくに

「ぼくには法律なんて難しくて分からないや。しかしながら、スペインの法律なんて分かったところで日本では使えるの?」

と言って、3人でレジの前でバカウケしていた。そこにはぼくたちのツアの参加者しか店の中にはいなかったので、商売の邪魔にもならず (多分…)、ほとんどバルと同じノリでいた。ぼくはアルハンブラ宮殿の本を買おうと思っていたので、ついでに店の人に場所を尋ねて本を購入 (もちろんスペイン語版の本です)した。ここで彼女とはお別れ。

「今日の夜はお食事しましょう」

と言いたかったのだが、今日の夜は実を言うと「フラメンコ」を見に行くことになっていたので残念ながらそれも言えずじまい…。彼女と握手を交わして別れた。本当に楽しい一時だった。

アルハンブラ宮殿を出た後、ホテルに直行。その後「フラメンコ・ツア」の時間まで、ぼくは市街地にあったカテドラールと王室礼拝堂に行った。

まず訪れたのは王室礼拝堂。ここは、スペインを統一したイサベル女王とフェルナンド王の遺骸が安置されているところ。グラナダといえばレコンキスタ最後の地だが、女王イサベルが大変この地を気に入ったらしく、生前に「ここにお墓を作ってほしい。」と言っていたらしく、生前からこの地にお墓を建設したそうだ。結局、彼女も彼女の夫であったフェルナンド王も建設中に死亡してしまったが、建築技術は天下一品だとか。ルネサンス様式を上手に使った建物だ。

当然、両王の遺骸が安置されている場所も見た。棺桶までもが見られる。遺体が安置されている場所は一段低いところにあって (地下室みたいになっている)、その上には両王がどの向きに寝ているのかが模型で表されている。この向きには実は様々な理由があるようだが、ここでは話が長くなるので割愛!!いずれにせよ、何かと政治色の強い力を感じた建物だった。

次に行ったのがカテドラル (Catedral)。さすがはグラナダにあるカテドラルだけあって、モスクの跡地に建てられた教会ということでイスラームの空気を微妙に漂わせながらも建物の形式はルネサンスの頃の形式を採用。印象的だったのは教会のパイプオルガン。残念ながらその音色は聞くことができなかったが、教会の音響効果は頗るよさそうで、これが鳴ったらどう響くんだろう…とツアで知り合った友蔵と話をしていた。

その2つを回った後、フラメンコ・ツアに参加するために集合場所のホテルに行くことにした。フラメンコの本場はセビーリャだが、セビーリャには夜いなかったので、グラナダで見ることにした。実は前回スペインに行った時もフラメンコを見に行ったのでスペインでは2回目ということになる。このツアは食事付きツアだった。

フラメンコでどのような演目が演奏されたのかは記憶にないが (アルコールのせいではない!!)、演奏自体はよかったと思う。しかし、ぼくが座っていた席が舞台から遠かったのと客席全体のノリがそんなによくなかったので、全体としては不満足だ。

その後は夜のアルハンブラ宮殿を見るということで、それがよく見えるアルバイシン地区に向かった。この辺に来ると、ぼくは日本にもいるような単なる酔っ払いオヤジになっていたが、実はここは単なる夜景がきれいだという場所ではないのだ。アルバイシンという名前は、この一帯にバエサを追放したアラブ人が住んでいたところから名付けられた地名なのだが、レコンキスタの時には最後の砦になった部分 (城塞都市ってことですね)であり、カサ・ブランカ (白い家)と石畳は戦いによって真っ赤に染まった場所なのだ。自分が立っている場所に死体がゴロゴロしていて、血で真っ赤っ赤であったということを想像しただけで、歴史の重みというのを感じた。

その後、ぼくたちはホテルに戻った。

「清麿、先に風呂に入って来い!!」

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というお休みの挨拶(?)をしてぼくはベッドの上で眠りについた…。

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