2000.03.22 名古屋空港からアムステルダム経由、バラハス空港へ

名古屋空港からバラハス空港まで

虎雄は2000年3月22日の午前9時30分頃には名古屋空港の国際線の出発ロビーにいた。15分後には黒田先生を含めた全員が集合し、出国手続きを済ませた。午前11時40分の飛行機離陸時間までは随分時間が余ったいたが、黒田先生からスペインのお金についてのお話をお聞きした。

スペイン旧通貨(ペセタ)

スペイン旧通貨(ペセタ)

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スペインの通貨はペセタである。2002年よりエウロ(ユーロ)に代わる予定であるが、今のところスペイン国内で流通している通貨はペセタである。ペセタが分かりにくいのは同じ金額の硬貨なのに、硬貨の絵柄や硬貨の色が年によって異なっている点である。円であれば10円玉といえば平等院のあの色と決まっているのに、ペセタはそうではないとのこと。それから第1印象で使うのに苦労しそうな硬貨は25ペセタ硬貨である。日本の5円玉や10円玉と間違えそうである。小銭の支払いは苦労しそうだ。

話がややそれるが、現在はデパートや主だった商店ではユーロ流通の2002年1月1日に備えて、自国の通貨とユーロの二本立てで価格が表示されている。また、小切手、トラベラーズ・チェック、クレジット・カード、銀行振込等については、自国の通貨とユーロのいずれも使うことができる。

午前11時40分をちょっと回った頃、飛行機が動き出した。飛行機はボーイング747-400型機のKLM870便だ。名古屋空港を離陸したのち、岐阜県の東濃地方を通過し、日本アルプス上空を通過し、その後日本海を抜けて、北海道の新千歳国際空港に着陸した。

KLM旅客機を眺めて

KLM旅客機を眺めて

新千歳国際空港のトランジットではメンバーは思い思い過ごしていたようだった。直哉は旅客機が好きなので飛行機を搭乗口付近にあった窓から見ていた。彼らが乗ってきたANAはもちろん、大韓航空や中華航空のエアバス機があった。伸太郎は芳郎は売店で売っている立ち喰いラーメン屋を見て、ちょっとしたラーメン談義をしていた。この間に機内スタッフが全て交代し、さらに札幌からの乗客を乗せ、ほぼ満席になった状態でいよいよ新千歳空港を旅立った。

新千歳空港からアムステルダム国際空港までは10時間30分かかる。この間、ぼくは一睡もしなかった。スペインに着くのが午後10時頃で「夜」なので、寝てしまうと向こうで時差ぼけに苦労することになるからである。

ここで、この長時間の機内をどのように過ごすかの攻略法を考えてみた。

  1. シートは「通路側」をお願いすること。搭乗券を購入する時にそれはできる。そうすればちょっと座り疲れたときに機内の通路を自由に動くことができる。「エコノミー症候群」を防止する最善の方法だ。
  2. 機内食は肉を食べるのをできるだけ避ける。お腹がふくれて寝られなくなる。のどが渇くため、それだけ水分がほしくなる。そうするとお手洗いに行く回数も増える。これも搭乗券を取る時に、「機内食をベジタリアン用にしてください。」というと航空会社も対応してもらえるらしい。
  3. 飛行機に搭乗したら現地の時間に生活のリズムを合わせること。つまり、到着したときが「朝」か「夜」かで睡眠をとるかとらないかを決める。

ぼくは上記に挙げた上記2つの攻略法に反してこの10時間30分を過ごしたため、苦痛以外何ものでもなかった。機内食で日本を代表する食品とも言える「カップヌードル」がオランダ国籍のKLMで出てきたのは驚きだったが、コーヒーがコーヒーではなく、インスタントコーヒーの「粉」の味がして、とても飲めたものではなかった。

とてつもなく長い時間に感じ、まさに生き地獄を味わっていたが、スカンジナビア半島の地図が機内のスクリーンに映り、ようやく空の旅が終盤に入ったという実感が出てきた。何かしらここまで頑張って来たんだという妙な充実感(?)があった。「ウラル山脈を越えるとヨーロッパだ!!」だという言葉はよく耳にするが、機内から街並みが見えるはずもなくそんな実感はない。ぼくは窓側に座っていて、窓を開けてはいけなかったところをこっそりと開けてスカンジナビアの雪景色を見ていた。雪の光で勉強をするという中国の故事があるが、機内が暗いのに対して外が雪が太陽の光に反射して自分の目にそれが飛び込んできて、とても眩しく感じた。

機体が次第に傾き始めてきた。どうやら着陸体勢に入ったようだ。窓をパッと開けてみた。その時、そこに広がっていた世界は日本とは別世界だった。ヨーロッパの都市の特徴ともいえる、街の真ん中に広場があり、そこに向かって道が走っている。「碁盤の目」と言われる京都のような日本の都市の様相は、もはやそこにはなかった。次第に太陽が自分の視界の上の方に昇っていく。そう、その時オランダ時間はまだ2000年3月22日午後4時45分であった。

そしてついに、オランダ時間2000年3月22日午後5時10分頃(日本時間翌日午前1時10分頃)、オランダのアムステルダム国際空港に到着。KLMのフライトアテンダントにお礼を言って飛行機をついに降り、入国審査を受けた。ここでお手洗い等を済まし、マドリード行きの飛行機の搭乗時間になるまで、スペイン語の会話集でスペイン語の会話を確認していた。

ぼくはスペイン語をほとんど勉強していなかった。だから「挨拶の表現」もおぼつかない。英語の勉強のプロセスから言えば、中学1年生の1学期ぐらいにも満たない状況で異国の地に足を踏み入れようとしていたのだ。正直言って恐かった。引き返そうと思った。しかも機内で相当に疲れている。ストレスは最高潮に達していた。最悪な待ち時間であった。さらにこれに追い討ちをかけるように、マドリード行きのKLM1707便が30分も遅れてることが分かった。悪いことは続けて起こるものである。前途多難な旅行の始まりである。きっと虎雄たちもこのように思っていたに違いない。

しかしながらもうスペインは間近である。アムステルダムまで来てしまったのである。もうスペインに向かうしかない。また10時間もかけて戻る旅なんてしたくない。そうぼくは言い聞かせて飛行機に乗った。

どうやら気分が優れなかったのはぼくだけじゃなかったようだ。むしろ虎雄の方がひどかったようだった。虎雄はお腹の具合を悪くしていた。とても機内食なんか食べられる状況ではなかった。虎雄は常備薬を飲んで何とか体調を治そうと思い、フライトアテンダントに水を頼んだ。

“Water, please.”

虎雄は英語で水を頼んだ。これで薬を飲んで一眠りをして一安心…といきたかったところなのだが…

なんとフライトアテンダントが持ってきたのはウォーターではなくコーラだった。

ぼくも笑い話でこんな話を聞いたことがある。機内食にフォークが付いてこなかったので、

フォーク, please.”

と「フォーク」を持ってきてもらおうと英語で話しかけたら来たものは「コーラ(coke)」だった。上の歯で下の唇を軽く噛んで「F」の発音をしなかったから「コーク」なる「コーラ」が運ばれてきたんだということに気付かなかった人が何度か、

フォーク, please.”

と言ってしまったものだから、「コーラ」が机にのりきらないぐらい並んでしまったという笑い話を聞いたことがあるが、まさかこんなところでそんな体験をするとは思ってもみなかった。

虎雄がそのような目にあっている頃、ぼくは外を見ていた。外はもう真っ暗。なのにである。実を言うと、ぼくは外を見ながら、天気を心配していた。名古屋を出る前日、参考までにマドリードの天気をインターネットで調べていた。「雨」だったのである。空港に到着したとき、「雨」なのではなかろうか、と眼下に映る雲をじっと見つめていた。

その時である。機体は次第に下降し始めた。どうやら着陸体勢に入ったらしい。ぼくははその時感じた。

「雨だ…」

実を言えば、雲を見ていたときに、通常の夜よりも少し明るかった。それは灰色の雲があったからだ。しかし、機体が雲を突き抜けているときに、ポツン、ポツンと窓に水滴が付いたのだ。それが段々と激しく窓にあたるようになってきた。雨雲の中を通っているからだろう。段々と機体は傾いていき、

ドーン

という音と震動が機内に起こり、それが同時にスペイン・マドリードのバラハス国際空港 (Aeropuerto de Barajas)に到着した合図であった。

「フライトが終わった!!これでホテルに着けるぞ!!」

とぼくは思った。

バラハス空港からホテルまで

ぼくたちは足に重い鉄球をぶら下げているような感覚ではあったが、長いフライトが終わったという解放感に浸りながら飛行機から降り、荷物受け取り場所で預けた荷物を受け取り、ついに空港の到着ロビーまでたどり着いた。ぼくたちは急いで現地の旅行代理店の人を探した。

「あそこにいらっしゃる人かな?」

どうやら先生が発見されたようだ。ぼくたちは先生の後を追った。

(ホテルまであと30分だ!!)

そう思ったのはぼくだけではないだろう。誰もがそう思っていた。気持ちが高揚した。

「こんばんは。」

全員が旅行代理店の人と挨拶を交わした。

(さぁ、ホテルへ直行だ!!)

と思っていたとき、衝撃的な言葉がぼくたちを待ち受けていた。

「もう一つの団体が来られますので、しばらくロビーでお待ちください。」

旅行代理店の人の前ではなんとか平生を装っていたものの、その時のぼくには、

「ここで死んでください。」

と言われているようにしか聞こえなかった。

ぼくは困った。体がもたない。現地時間でこの時すでに午後11時頃。日本を出発してすでに22時間が経過していた。

(日本ではめざましテレビやってる頃だ…。でもこっちはニュースステーションの終わる時間だよ… でもスペインではニュースステーションなんかやってないんだよな…)

そう思うと、余計に体調がおかしくなる。こういう時、ぼくは必ずといっていいほど他事を考えて、体調不良から気をそらそうとする性癖がある。学校の授業中に、授業の内容そっちのけで必死に下痢をこらえている時のあの感覚である。

そんな時、初めて海外旅行へ出かけたあのアメリカのポートランド空港でのことを思い出していた。

(日本とは違う空気の匂いがしたよなぁ…)

(空港に降りて何やったんだっけ?あの時は…)

(そうそう、ジュース飲んだよな。あれは確かスプライト。スプライトを口に含んだ瞬間に、炭酸が鼻から抜けてとんでもなく炭酸が強かった記憶がある。まずかったよなぁ。)

というようなことをいつの間にか、ロビーの端っこの方にあるベンチに座ってみんなの前で口にしていた。その時である。体から信号が出た。

「のどが渇いているから、水分を補給しなさい。」

ぼくは決断した、スプライトを飲もうと。そこで、みんなを誘った。しかし動こうとしない。買いに行くのが面倒なのか、疲れていて動く元気がないのか。 どうやらぼくが一番元気なようだった。

「ついでにスペインのジュースの価格調査もしてきてよ。」

いかにも芳郎らしいセリフである。

そこにマイペースで空港内の両替所で両替してきたペセタを手にしてぼくたちの方に戻ってくる伸太郎。それで、

「どこいくの?」

とまたマイペースな口調で僕に尋ねてきた。

(疲れていてもまだ「個性」が出ていてこれから面白くなりそうだな)

そう思いながら、ぼくはみんなの下を離れていった。

まずは疲れた足を引きずりながら売店を探した。自販機が海外にないのは常識。それは前のアメリカ旅行で体験済み。だから、自販機を探すようなムダなことはしなかった。

(昼だったらなぁ)

もう午後11時を過ぎている。こんな時間に店はほとんどやっていない。皮肉にも閉店時間が午後11時と書いてある看板を見たときは、クロノス (時間の神様)を呪ってやろうかと思った。10分弱ほど歩いただろうか、ついに缶ジュースが冷蔵庫の中に置いてある光景がちらりと視界に入った。

(ようやくジュースにありつけた)

そこでぼくは店員さんに声をかけてみた、英語で。しかし店員は険しい表情をしていた。何回か英語で声をかけてみた。ぼくは国際空港だから英語は通じるだろう、と思って英語で話しかけてみた。しかし雰囲気から通じそうにもなかった。ぼくは覚えたてのスペイン語を使いながらスプライトを指さして、

“Por favol.”

と言ってみた。そうしたら次の瞬間、なぎなたで胸を突かれるような勢いで、ぼくの方にスペイン語が飛んできた。正直言ってびっくりした。びっくりして声が出なくなってしまった。冷や汗が出てくる。

(どうしよう…。逃げるわけにもいかない。俺はジュースの価格を調べるためにみんなのためにわざわざここまで来たんだ。)

つまらない責任感だけが心の中で膨張してくる。ところがこの時間はぼくの背後で一瞬感じたオーラが助けてくださった。

(世話が焼ける奴だなぁ)

そう顔がぼくに語りかけてくださっているようだった。その正体はたまたまそこを通りかかった黒田先生であった。ぼくは黒田先生に助けていただいて、何とかスプライトを手にした。ぼくは黒田先生といっしょにみんなのところへ戻ることにした。

「自分一人で買い物1つできないようではこれから思いやられますよ。」

ぼくは先生に話をした。

「スペインにいれば、それなりに何とかなる」

温かい言葉をいただいた。

「ところで先生はどこへ行っていらっしゃったのですか?」

「予定の確認をしていました。疲れたね。でも明日はもっと疲れるぞ。」

それにしてもこの先生はお元気である。疲れているとおっしゃっていても、ぼくにはあまりそんな感じがしなかった。スペインに来られてウキウキしていらっしゃるような気がした。どうやら一番元気なのはぼくではなく先生のようだった。そんなことを考えていたら、ジュースを飲んで疲れを癒すはずが、余計に疲れてしまった。

みんなのところへ戻ってレシートを見せた。これでようやく責任を果たして、スプライトを飲んだ。

(うぇっ!)

すっかり忘れていた。ぼくはアメリカのポートランド空港で飲んだスプライトと比較するために、これを飲んだことを。日本のスプライトよりきつかった。でもアメリカのポートランド空港で飲んだスプライトよりは炭酸はきつくなかった。でもあまりおいしくなかった。なぜならウロウロとしているうちにスプライトが暖まってしまったからだ。

日付が3月23日に変わったぼくたちはまだバラハス国際空港にいた。結局空港を出発したのは0時30頃だった。外は雨。土砂降りの雨だった。ぼくは送迎バスの一番前に座ってスペインの町並みを、雨のしずくで街灯の光が屈折はしていたが、じっとみていた。どうか明日は晴れますように…と。

結局ホテルに着いたのはもう深夜1時00分近かった。明らかに予定外だった。ホテルの名前はフロリダ・ノルテ (Florida Norte)である。そこで4泊することになる。何せよ眠かった。ぼくたちは次の日の打ち合わせをホテルのロビーでやったが、ぼくはもはや上の空。目をつぶったら夢の世界に体が飛んでいってしまうようだった。

ぼくたちはさっさと部屋割りをした。特に仲間同士で特別な感情があるわけではない。だからジャンケンで適当に決めた。誰と一緒の部屋になるかより、早く寝ることの方が今のぼくたちには重要なことだったのだ。結果、虎雄と芳郎が668号室、伸太郎とぼくが670号室に決まった。先生は一人部屋で865号室であった。ぼくたちはそれぞれの部屋の鍵を持ってエレベータに乗り込んだ。エレベータに乗っていたのは同部屋の伸太郎とぼくと他のお客さんの数人だった。ぼくは早く部屋に入りたいと思った。ところが疲れているぼくたちの体の状態下においては、それは大事件だった。エレベーターに乗り込んで「6」のボタンを押して、さぁ閉めるぞ… あれ?実はここのホテルのエレベーターにはアレがなかったのだ。伸太郎もぼくも必死でアレを探した。しかし驚くことなかれ、日本人であったぼくたち以外の人たちは済ました顔をしている。気が短いぼくはイライラしていた。

(早く閉まらんかい!!)

実は「閉」のボタンがなかったのである。

ようやく部屋に着いたあと、伸太郎とぼくとの見解は一致した。

(ここが4つ星ホテルかあ…)

スペインでは、5段階でホテルが評価され、それぞれのホテルには看板の「H」の字の上に星の絵がある。ぼくたちが泊まっているホテルは4段階で、 「高級ホテル」に属する。しかしエレベーターでイライラしたぼくたちには決してそうは映らなかった。が、日本語と英語が通じるという意味ではやっぱり4段階なのだろうか…。

そんなことを話しながらドアを開けて部屋の中に入っていった。

ひとまず部屋にあったテレビをつけてみた。テレビは無料で見られる。CNNチャンネルを付けて、分かる英語をひろってニュースをチェックした。ロシアの大統領選挙で、プーチン氏がどうやらほぼ確定なのではというような内容のニュースだった。

しかしながらそれから風呂に入ろうとは思えなかった。ぼくたちはさっさと床についたのであった。

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