2000.03.24 (2) 弁護士事務所そしてマドリード散策

日本大使館を臨んで

ぼくたちは憲法裁判所を後にした。

ところで、憲法裁判所が建つ前は元外務省宿舎が建っていたそうだ。黒田先生が大学院時代に住んでいた場所だとか…。先生が住んでいたのは1970年ぐらい。当時はまだ末期とは言えどもフランコの時代であった。フランコの時代には憲法裁判所は存在しない。フランコが死亡した後に再開発されて、憲法裁判所などの「新しいスペイン」をこの地域に作っていったのであろう。

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この辺りを散策した後、食事を取るためにタクシーでレストランに移動した。

その最中に通りかかった日本の関連の建物があった。日本大使館である。今回のゼミ旅行では行程に入れられなかった場所である。過去の黒田ゼミのスペイン研修旅行では訪問したことがあるのだそうだ。当時の旅行記が図書館で調べたら出てきたので、その部分を引用したい。

日本大使館へ。眺めの良い最上階では、大使のみならず公使・参事官・書記官等お歴々が殆ど全員揃い、さらにはスペイン人館員を2名バーテンダー役に配置して高級な飲み物や軽食を用意しての大歓迎を受けた。学生たちもびっくりしたようであるが、坂本重太郎大使は、きさくに学生に語りかけ、含蓄に富むお話をして下さった。なかでも、今年(筆者註: 1997年)のミス・スペインの祖父がハポン(Japón=日本)という姓を有していたことから彼女自身が大使に表敬訪問をしたこと (1613年に日本を出て1614年にスペインに着いた伊達政宗派遣の使節団 -支倉常長一行、帰国1620年- のうちの何人かがこの地に残ったとの説があり、その子孫と目されるハポンさんが主にコリア・デル・リーオという村に大勢 -大使によれば約600名- 存在するのが確認されている)、それに対して大使が「日本もスペイン美人の創出に貢献しておりますな」と答えたという逸話や、「これからの世界においては入り乱れる諸民族の共生が大切であるが、スペインが歴史的にも良いお手本になる」という話など、学生たちは蒙を開かれたり、大いに納得したり。

黒田清彦「法学教育の一試み -スペイン研修の旅」有斐閣
(「書斎の窓」 1997・1・2号所収)

「ハポン(Japón=日本)」という姓の人がいるのは驚きである。日本国内の場合に置き換えて考えれば、この姓がいかに珍しいかが分かるはずである。つまり、日本国内に「スペイン」さんという姓を持った人がいるのだろうか、ということである。いつか、ハポンさんにお会いして、スペイン語で会話できる機会がほしいなぁとぼくは思った。

昼食を取るためのレストランに到着。そこでスペイン料理を堪能した。

弁護士事務所訪問

昼からは憲法裁判所からずっと同行してもらっているサルバドール弁護士の所属する弁護士事務所「CUATRECASAS」を訪問した。

20000324クアトレカサス法律事務所

クアトレカサス法律事務所

「CUATRECASAS」は、1917年に設立された弁護士事務所である。CUATRECASASは、企業法全般を得意にした法律事務所であり、国内企業と多国籍企業、金融機関、政府、自然人 (要するに「人間」のこと) が顧客となっている。CUATRECASASの本部は、スペインの経済の中心地であるバルセロナにある。

地域 国名 都市名
ヨーロッパ スペイン バルセロナ
マドリード
バレンシア
サラゴサ
ビルバオ
サン・セバスティアン
ジローナ
タラゴナ
リェリーダ
アリカンテ
パルマ
テネリフェ
ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ
ポルトガル リスボン
ポルト
ベルギー ブリュッセル
アフリカ モザンビーク マプート
北アメリカ アメリカ合衆国 ニューヨーク
南アメリカ ブラジル ブラジリア
サンパウロ
リオ・デ・ジャネイロ
クリティバ
サルバドール
アルゼンチン ブエノスアイレス
メンドーサ

 

このように、Cuatrecasas弁護士事務所は、国際的に弁護士事務所を持っている。スペイン国内で3番目に大きい弁護士事務所ということだが、事務所内では多くの弁護士や事務員がテキパキと働いており、一種の小さな図書館や役所と見間違えるほど六法や判例集、学術書、法律系のパンフレットや法律論文の冊子が置いてあった。

マドリード事務所の建物は、街並みにあったヨーロッパ風の建物である。そこで、サルバドールさんからどうやって弁護士になれるのかを、わざわざサルバドールさんが日本語で書いていただいたレジュメを配布され、それに基づいて日本語でレクチャーされた。

スペインの弁護士は、大学を卒業し、入会費と2人の弁護士の署名があれば弁護士会に登録できる (2000年3月現在)。登録できる資格は、法学部を卒業していればいい。ただ、そこでは日本の司法修習所みたいな実務的なことが教えられるわけではないので、それがいまスペインの弁護士制度の問題点である。大きな法律事務所であれば実務教育を法律事務所でやるケースが多いようであるが、小さな法律事務所ではそれができない。大学を卒業して弁護士登録を行うためには、憲法や民法といった日本でもいわれる六法科目を必修科目として履修し、最近ではヨーロッパ法も必修科目となっている。選択科目としては、倫理学や経済学や比較法といった科目があてられている。ただ、最近は弁護士になれる資格は与えられても弁護士としてやっていくには英語などの外国語に堪能であることやその他、特技を持っていなくてはなかなか弁護士として一線で活躍できないようであるのが実情である。今後、スペインでも日本と同様、司法改革が行われるようである。

この他、仕事をやっているところを見せてもらったりと大変有意義な2時間を過ごすことができた。

マドリード市内散策

2時間ばかりCuatrecasas弁護士事務所を見学した後、サルバドール弁護士と黒田先生と別れ、学生たちは自由行動をとった。さらにぼくは学生たちと別れた。ここからはぼくのマドリード散策記にしたいと思う。

Cuatrecasa弁護士事務所は、高級ブティックが軒を連ねているセラーノ通り (Calle de Serrano)にある。オシャレに興味のある方は、セラーノ通りを散策していると、スペインで有名な店がたくさんある。スペイン王室御用達の高級皮革品のブランドのロエベ (Loewe)やヤンコ (Yanko)、世界的にも有名なポーセリン人形で有名なリャドロ (Lladoró)という陶器屋の直営店などがある。

20000324アルカラ門

アルカラ門
(撮影日: 2000年3月24日)

ぼくはCuatrecasas弁護士事務所を南下して、独立広場 (Plaza de la Independencia)にあるアルカラ門 (Puerta de Alcalá)を目指した。アルカラ門は、18世紀後半にカルロス3世の命によって作られた門で、「ローマの凱旋門風に作る」ように命じたのだとか。周囲の「独立広場 (Plaza de la Independencia)」は、1814年にスペイン独立戦争の勝利を記念して名づけられた名前なのだそうだ。そして、ここが当時のマドリード市の東端だった。昨日のマドリード市内半日ツアでもバスの中から見た場所であった。

ここではスペインというか、ヨーロッパの都市の事情を垣間見ることができた。アルカラ門のある独立広場がいわゆる「ロータリー」の役割を果たし、広場から放射状に道が走っている。日本でも稀に見かけるが、多くは見られない。マドリード市内には、こういった交差点をいくつも見た。実は札幌からアムステルダム国際空港に着陸する際に飛行機が高度を下げていた際にも上空から見えた街並みも広場があって、そこから放射状に道路が走っているところを見た。知識として、ヨーロッパは「広場」と「教会」を中心にまちづくりが行われてきたという話は知っていたが、このように実物を見てみると、知識と実物が結びついたという感慨があった。意外に日々の読書(ぼくは高校時代に現代文の入試問題を解いていた時に知った)などが旅行の楽しさに役立つものなんだということを実感した。

次に、スペインの官公庁や大企業が軒を連ねているアルカラ通り (Calle de Alcalá)を西に向かって歩いた。キツイ下り坂が待っていた。一日歩いているので、随分膝や足に疲れがたまる。少し歩くと有名なシベーレス広場 (Plaza de Cibeles)がある。シベーレス広場といえば、サッカーの名門であるレアル・マドリーの選手たちがリーガ・エスパニョーラ (La Liga Española)やUEFAチャンピオンズリーグなどで優勝すると、シベーレス広場にある大地の女神と言われているシベーレスが2頭のライオンを操っている大理石で作られた石像の上に乗るという慣習がある。今シーズン(1999-2000)はシベーレス広場にレアル・マドリードの選手たちが現れるのか?楽しみである。

その後、これも昨日訪問したプラド美術館の西にあるプラド通りを南下して、国立ソフィア王妃芸術センター (Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía)に到着した。ソフィア王妃芸術センターは、20世紀の現代美術を集めた美術館で、ここの芸術センターの2階には知る人ぞ知る「ゲルニカ (Guernica)」がある。その他、ダリやミロといった現代武術の巨匠たちの作品を見ることができるし、25000冊以上の蔵書を持つ図書館、ミュージアムショップなども充実している。

ぼくは早速名画と呼ばれるピカソの「ゲルニカ」を見に行った。

(どうしてゲルニカが20世紀最高傑作の絵だと言われるのか?)

ゲルニカとはスペインの北部にあるバスク地方の都市の名前である。スペイン市民戦争が始まった翌年の1937年4月26日にドイツ軍機ユンカース (TMNのファンにはおなじみの名前ですね)によって人口6000人の小さなまちであるゲルニカが爆撃された。死者は598名、1500余人の負傷者を出した。戦争の醜さと恐怖を絵の中で表現し、1937年のパリ万博に出展した。

(これがゲルニカね。)

ゲルニカに描かれている馬・人間など、ほとんどのものの形が変形している。どうして馬や人間の姿が歪んでいるのだろうか?しかし、ただ一つ、きちんとした形で描かれている動物がいる。それは牛である。

(なぜ牛だけが形が変形していないのか?)

これは、話によるといくつもの解釈が分かれている。ピカソは、

「それは見るみなさんが判断してください。」

と言って、見る側の解釈に任せているようだ。だから「真理」というのは分からない。ぼくには

スペイン人の牛に対する思いが込められている、つまり尊敬の念があり、変形していない牛に揺るぎない未来の平和を求めているんじゃないのだろうか…。

と、そんなことを感じた。

画廊をしばらく歩いていると、その向こうには「スペインのポスター100年」という催しがやっていた。「スペインの歴史」を事前の情報として仕入れていなければ、とてもこんなポスターの意味なんか考えることはできないからだ。そう考えると、事前にいろんな情報を仕入れて調べ学習の効用というのが分かる。スペイン内戦の頃、フランコ将軍の独裁政治の頃、新憲法成立頃、バルセローナ・オリンピックのコビーのポスターなど、いろんなスペインをポスターを通して見ることができた。

しかし今日は頭を使う場所にたくさん行った上に、Cuatrecasas弁護士事務所から国立ソフィア王妃芸術センターまで歩くなど、肉体的にも精神的にも心地よい疲れが体を覆っていた。したがって、今から豪華に夕ご飯というわけにも行かず、タクシーでホテルまで戻って、スペインで日本料理を食し、早めに休むことにした。


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